Uluru 物語 
(11)壮行会

 お盆休み直後の2008年8月22日、いつものように如水モータークラブの例会が行われた。

今回はオーストラリア遠征隊の壮行会を兼ねたものだが、お盆休みの後ということもあり遠征隊員の方が多かった。 

 壮行会は、JMCホームページの編集長の私から大型スクリーンを使って遠征準備の進捗状況報告、遠征隊員一人一人のスピーチ、南米遠征の隊員のK先輩の送る言葉&南米遠征のエピソード、最後にI会長の挨拶、というの進行であった。

特に私の印象に残ったのは冨岡君のBPiper氏発見までの詳細な経緯と、楠木先輩の「今年が南米遠征から50年目である。」ということ、そしてオーストラリア駐在の長かった石坂会長の飛び入りの行程説明の、「昔は大変だったけど今は道路も整備されて『遠征』などとはおこがましい。」という言葉だった。

 会の間ずっと国光君のデザイン&アレンジによるユニフォームを着用し、雰囲気を盛り上げた。

 会が始まる前に会長から「当時、最後は中止せざるを得なくなって、OB会として君達を説得する立場に立たざるを得なかったが、それがずっと心残りだった。こうして君達が40年後にまたチャレンジしてくれて本当に嬉しい。」と言っていただいた。

「いや。客観的に考えてあの時は中止しか他に選択肢はありませんでした。一生懸命準備してきた私達から中止という結論はなかなか出せませんでした。」

40年間私達の心に、喉に刺さった小骨のようなつかえは私達だけではなかったという事をあらためて知らされた。

 

 さて、Piperさんの奥さん(M子さん)から何回か日本語のメールをいただいていた。

「今日は主人は朝から『壮行会!! 壮行会!!』と言っております。皆様と一緒に分かち合っているのでしょう」。  その姿が目に浮かぶようである。

また、シドニーの奥様友達のSさんに「主人が日本に留学していたころの友達から急にメールが来て、オーストラリアに皆で来るみたいよ。主人も途中一緒に走るんですって。」という話をしたら、「あら!! その話なら良く知っているわ。」という事になったという。その方は豪州トヨタにお勤めだった。

 その話を冨岡君が会長にしたところ、Sさんご主人も奥様も同じ会社にお勤めで、私達の遠征用の車を手配されている方だった。

何とも、偶然が重なるものだと皆でびっくり。

続く
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