Uluru 物語 
(16)NHKの取材

 

2008.9.21記

9月17日、NHKからの取材事前打合せで早乙女、横山両君と澁谷のNHK放送センターに行った。原宿駅で山手線を降り、9月中旬とはいえまだ夏の日差しが少し残っている並木道を、西に傾き始めた太陽を避け、木陰を探しながら人通りの少ない歩道を歩く。多少汗ばむ感じだが、むしろ心地良い。第一体育館を過ぎた角を左に折れてNHKの敷地内に入り、NHKホールを過ぎると「みんなの広場ふれあいホール」が見えてきた。ここは八代亜紀とロス・トレス・アミーゴスのコンサート収録を見に行った所、そんなことを思い出しながら歩く。放送センターの看板が見えたので正面から入ろうと歩いていったら、結局ぐるりと一周することになり遠回りしてしまった。それでも予定時間の2時50分より10分早く着いた。正面玄関から中に入ろうとすると警備員のおじさんに「面会ですか?」と声を掛けられ、「ええ。でも時間より早く着いたので。」と答えると、羽田空港や成田空港のロビーのような所を案内された。禁煙である。
椅子に腰掛けて辺りを観察していると、隣でNHK職員と思しき人と打合せに来た業者の人と思しき人が打合せを始めた。
そんな様子を眺めていたが、ロビーは蒸し暑いので風を求めて玄関の外に出て待つことにした。やがて横山君が来た。山手線の文字放送を見ていたら「湘南新宿イラインは人身事故のため不通」となっていたので心配していたが、何事もなかったかのように時間前にひょっこり現れた。程なく早乙女君も到着して全員時間前に揃った。
お会いする方は報道局スポーツ部、サンデースポーツを担当されているNさん。
話の経緯は、早乙女君の会社の同僚(東大柔道部出身)の柔道部つながりで我々の話が伝わり、Nさんが関心を持たれた模様。
すぐにNさんが現れた。元柔道部という予想通りがっしりした体格のニコニコした好青年。てっきり、応接室とまでは行かなくとも会議室か打合せ室と思っていたが、我々が座っていた待合所が打合せ場所であった。
我々のやろうとしていることは他人から見ればしょせん「集団的自己満足」。こちらから積極的にアピールするようなものではない。ただ、第三者的に見て何らかの価値を見出して、取り上げて貰うのは悪いことではないから、ありのまま自然体で取材をお受けしよう。というスタンスで取材に臨み、30分強お話した。
「団塊の世代の人達がこれだけ揃って、40年ぶりに学生時代の夢を実現させるためにオーストラリアを車で縦断する、ということは視聴者に共感や元気を与えるかもしれない。」
「皆さんをそこまで駆り立てたものは何でしょうか? これまでの人生でどんな意味を持っていて、行くことによって何が変わるのでしょうか? その辺をどなたか一人二人に焦点を当てて追ってみたい気がします。」
「自分としては今週中に企画案をまとめて企画会議にかけようと思いますが、そこで上司がどう判断するかですね。」「海外取材が前提の番組ではないので予算が潤沢にあるわけではないので取材価値とのバランスもあります。」概ね、以上のような内容であった。

 打合せを終わって原宿駅に向かって歩き出したが、この暑さと開放感から、駅に着くころには「生ビールを飲もう。」ということになったのはごく自然の成り行きだった。

 山手線の中で、『取材対象として取り上げるかどうかはNさんの企画案次第だろう。バリューとコストとの関係でどう判断するかだが、自分がNさんの上司なら・・・。まあ、否定的だろうなあ。』『それにしても、我々の間では全く疑問の余地無く、よし行こう、と決まったが、あらためてNさんに何故と問われると第三者には説明しにくいなあ。暗黙知を明示知に変えないと。答えはオーストラリアまで出ないかもしれないなあ。』などと考えながら帰途に着いた。

 

そして、9月20日の土曜日の夕方、早乙女君よりNさんから返事をもらったというメールが来た。

「残念ながら今回番組にさせていただくのは難しい。 旅のテーマには非常に共感を得られたものの、旅自体にある程度困難さがあり、挑戦感がないとテレビ的には厳しい。」と言う内容であった。もっともな結論と思った。


続く
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