Uluru 物語 

(21)2008年11月1日 ケアンズ⇒ダーウィン

 

11月1日(土)。4時30分ケアンズ着。20分ほど早まったが、こんな早朝にさらに早く着いてもすることがない。もっと遅く着いてくれたら睡眠時間が多く取れてありがたいのだが。しかも時差が1時間あるので日本時間にすると3時半だ。

着陸して空港の中を荷物を押しながら歩いている時に、T君が「あのさあ! 成田⇒ケアンズの飛行距離が確か5980キロと出ていたよ。ということは我々がオーストラリアを走る距離とほぼ同じなんだよなあ!!」と言った。それを聞いて全員ちょっと先行きが心配になった。

荷物をいったん国内便の近くに預けて、一足早くケアンズに投宿しているY君のところにタクシーで向かう。車内から見る景色はハワイかグアムを思わせる。気温は33度。熱さはハワイと言うよりグアム。

ホテル前でY君と24日の最終打ち合わせ以来の再開後、朝食を求めて町を散策。途中大きな木の上でギャーギャー鳴く声が、鳥にしては変だと思って見上げると20匹以上はいようかというコウモリ。枝に逆さにぶらさがって鳴いていた。

歩き回ったものの適当な店が開いてなく、結局Y君の宿近くの海岸沿いの店で朝食を取り、10時半に集合を確認し7時半にいったん解散した。Y君は宿に戻ったものの我々4人は結局同一行動。海岸をぶらつき、やがて強くなる一方の南国の日差しをよけて大小の船が係留されている海岸際の少しばかりの屋根のあるベンチでごろ寝、読書、散策など。

いつも冒険心旺盛なT君が、防波堤の先を一人だけ散策し戻ってきて、「今度はあっちに行って見ようと思うけど一緒にどう?」という誘いに応じて、大きな観光船がデッキにいっぱい人を乗せている船着場の方へ歩き出した。着いてみると大きな観光船がざっと10隻。中小の観光船、釣り舟などを合わせると100隻はあるのではないか。

まるで装甲車のようなごつい形をしたり、ヘリを搭載したりした沿岸警備艇らしき船もあった。すぐ近くには大きなホテルとチケット売り場の大きな建物。その前には大勢の観光客。中国人が多い。

他の3人がいるベンチに戻る途中、熱さを避けてホテルの中を通って行ったところ、涼しくて体を休める絶好の場所を見つけ、皆で移動した。それにしても集合まで時間はたっぷりある。

空港へ移動するタクシーの中で我々の乗るケアンズ⇒ダーウィンのジェットスターは出発ロビーが国際線か国内線かで意見が分かれた。JAL出身のY君は前者、彼以外は後者。「だって、成田からケアンズで降りて、オーストラリア国内のダーウィンに向かうのだから国内線でしょう?」 と思ったら国際線だった。なぜならその飛行機はダーウィン経由シンガポール行きだったからだ。

そのため、せっかく国内線近くに預けた荷物を押して国際線まで徒歩で移動することになったが、運の悪いことはこれだけではなかった。

成田空港の免税店で買ったPさんへの土産の日本酒が出国審査で没収になってしまった。機内持込出来る容器は100m以内という規定の引っ掛かったためだった。だったらなぜ免税店で販売するのか。

 

 ダーウィンのホテルでPさんと40年ぶりの再開を果たすことが出来た。メールで写真交換をしていたので全く違和感はなかったが、それがなかったら偶然どこかであっても絶対にわからなかっただろう。海岸近くのレストランでウェルカムパーティーを行い、我々より1年下のKY君は初対面だがすぐに10年来の友人のようになった。

続く
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