オランダ&スコットランド 2004
美術館とゴルフの旅

2004年7月12日(月)〜21日(水)

ピーターへの追悼(追悼ゴルフ、追悼演奏) 

 最初にエジンバラ郊外のマセバラゴルフコースでピーターとゴルフをしたのが1993年。それからかれこれ7回くらい訪れて、1度だけプレーをしなかったことがあった以外は毎年プレーをした。
1997年は当時小学校5年生10歳の息子と一緒で、彼がキャディーを務めた。
毎年のことで、回数を重ねるとゴルフ場にも顔見知りが増えてくる。
今年も7月15日に2000年以来4年ぶりにマセバラゴルフコースを訪れ、クラブハウスで懐かしい顔と再開し、一緒にビールを飲みながら全英オープンを観たりして旧交を温めたが、そこにピーターはいなかった。
 7月にスコットランドに行くことになり、2月にピーターに電話をしたところとても苦しそうな声だったので番号を間違えたのかと思って一度は切ってしまったくらいだった。2回目に同じ声で「Jun」と呼ばれたのでやっと本人と気がついた。何とか頑張ってもらってもう一度お会いしたいと願っていた。
 7月になって日本にいる彼の息子に電話すると、実は3月に亡くなっていたと言う。せめてお墓参りをと思って聞くと、大好きだったゴルフ場のどこかに灰をまく予定との事だった。
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                           7月15日(木)
 7月14日、オランダ、スキポール空港からスコットランドのエジンバラ空港に着いて、レンタカーでセントアンドリュースで1泊し、15日ジュビリーコースでプレーした後、そのままマセバラ・ゴルフコース、モンクトンホールに直行した。
クラブハウスに入ると、ちょっと中のレイアウトが変わっていたが、雰囲気は全くそのまま。誰か知り合いはいないかと探したが、津久井湖ゴルフコースでもそうだが、いつもプレーする日と曜日が違うと顔ぶれが全然違う。
きょろきょろしていると、品の良いおじさんが話しかけて来たので、「実はここのメンバーのピーターと毎年プレーして今年が8回目になる。そのピーターが3月に亡くなったので追悼に来ました。」というようなことを伝えると、「私はここのクラブキャプテンで彼のことは良く知っている。」と言ってボードのところに連れて行かれ「彼はかつてクラブチャンピオンで、彼の息子もクラブチャンピオンになっている。親子でクラブチャンピオンになったのは彼らだけだ。」
それから話がはずんで、彼の灰は11番ホールのティーグラウンド付近に撒かれる予定であること、土曜日にクラブコンペがあるから君の友人も大勢くるはずであること、などを教えてくれた。
そしてせっかくだから供養に明日ここでプレーしていったらどうか、スタート係に連絡しておくから、ということで近くのホテルを予約してくれた。
ホテルへ行く途中に、何度か泊めてもらったピーターの家に行ってみた。門は鎖が巻かれ鍵がかかっていた。きれいに手入れされていた庭は雑草が伸び、大きな木は切り倒されてその束が積まれていた。思い出にとVTRを回していたら中に人の気配。近寄ってみると、向こうも何やら怪しげな日本人がVTRを撮っていると思ったらしい。事情を話すと、自分は2週間前からここに泊まっている、ピーターは知らない、と言われた。あらためて彼が亡くなったことを実感させられ、悲しさと寂しさが湧いてきた。
何とも言えない気持ちをどうしようもなく、ホテルでの夕食後、庭でケーナを吹いた。気がついたら暗くなって、寒くなっていた。       **********************************************************************************

                          7月16日(金)
 ちょっと早めにコースに着いたので、併設の練習場に行く。練習場といっても打席があるわけではなく、広い芝生の上で勝手にボールを打つだけ。ボールは自分のボールを使う。早い話が日本でも見かける公園や川原の芝生でボールを打っているようなもの。
 平日とあって客は少なく、二人でゆったり回れた。ピーターと一緒に回った記憶をそこここで思い返しながら。
コースは以前より手入れが良くなって、フェアウェイとラフの差がしっかりとけじめがついていて結構難しくなっていた。
11番ホールに来た。このあたりに彼の灰が撒かれるのかと思われるあたりを探して、ティーグラウンドの周りをVTRに収め、思い出にと人に拾われないようカラーボールをラフに置いてきた。
もう少し思い出に浸りたいので後ろの組を追い越させた。
11番は185ヤードくらいのショートホール。わずかにティーグラウンド高くなっているので近く見えるが、見たとおり打つと必ずショートする。今日はそれに関係なくひどいショットで大たたきした。
「ピーターが今頃笑ってるかもしれない。」と二人で話しながらホールアウトした。

 クラブハウスに戻って食事をして、マセバラの街を後にし、ヘイドリアンウオールに向かった。        *******************************************************************************
                            
                           7月17日(土)
 ヘイドリアンウオールから戻ってエディンバラ市内に宿を探したが、週末のせいかなかなか良い宿が見つからず市内を走り回って、マセバラに近いところに落ち着いた。Kさんをゲストハウスに残して一人で昨日のゴルフコースに向かう。プレーを終えてクラブハウスで一杯やっているはずの友人に会いに。
クラブハウスに入ると・・・・。いるいる。みんないる。おりしも全英オープン3日目。あいさつもそこそこにみんなでテレビを見る。
4年ぶりの再会を楽しんだ後、帰ろうとするとドアの外にKさんが。
スチュウワートの車についてジャクリンの家に向かう。彼女はいなかったが夫がいてここでも再会を喜び合う。
長いドライブの後ホテルに着き、夕食を探すが時間が遅く何軒か断られて中華料理にありつく。
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                            7月18日(日)
 日曜日。Kさんにはここまでの疲れをとってもらおうと、起こさずに一人で車に乗り、ホリドール公園、アーサーズ・シート(アーサー王の椅子)251Mに登る。251Mというとたいしたことないように思われるが、東京タワーの333Mには及ばないが横浜みなとみらいにあるランドマークタワー296Mより45M低い高さ。かつて1997年に息子と一緒に登った。その前は1993年に日本人アナリストの旦那さんで生粋のスコットランド人のハーディーさんと二人で登った。
今回はせいぜい途中までと思っていたら上の方を女の子が二人登ってゆくのが見えたので自然とついて行った。
頂上に登り、景色を眺め、VTRに収めた。そしてサンポーニャとケーナを取り出す。強風でサンポーニャを持っているだけで音がする。ピーターの愛したゴルフ場まで届けと思いっきり30分ほど吹いた。ちょうど女の子と頂上で一緒になったのでVTR撮影を頼んだが、後で見たら映っていなかった。とても残念。やがて女の子は去り、下山しようかと思っていると杖をつきながら初老の男の人が登ってきて、「不思議な笛を吹いていたのはあなたですか?」と聞かれ、事情を伝えしばらく話し込んだ。彼いわく「今朝は街でバグパイプの音を聴き、ここでケーナを聴き、とってもハッピー。」

         ******************** この項終わり *********************
                                                続く
2004年9月月13日 

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