ペルー、ボリビア 2002
初めての南米大陸

2002年9月15日(日)〜26日(木)

高山病

 日本とボリビアは位置的には地球の反対側。北半球と南半球。それはわかる。しかし、横浜、ほとんど海抜零メートルの生活から、海抜3千数百メートルの世界を想像するのは難しい。
高山病。これが一番の不安のタネだだったが、こればかりは経験したことがないのでわからない。しかも人によって、あるいは体調によっても異なるらしい。
普段から少し血圧が高めで、脈はかなり低い。(45〜52/分くらい)  かかりつけの医者に聞いたら「まあビールは控えめにすることですね。」というアドバイス程度だった。

 L さんと一緒に17日(火)早朝リマからクスコに着いてタラップを降りると、気のせいか空気が薄いという実感がする。歩く時や空港のバスの中で、薄い分多く吸いこめば酸素の量は変わらないだろうと深呼吸を繰り返す。海抜零メートルから約1時間で3600メートルにアンデス山脈に一気に来たのだから体もビックリしているはずだ。
タクシーに乗って市内に入り、先ず宿探し、3軒目で良いところが見つかった。
 クスコ市内観光やサン・アントニオでのコンサートの話、翌日のマチュピチュ日帰りツアーの話は別の機会として、テーマに沿って話を進める。
19日(木)早朝、ここまでご一緒してくれた L さんとお別れして、タクシーでバス・ターミナルへ行き、時間をつぶすために外のベンチでサンポーニャを吹いていて出会ったのが、前回の最後に出てくる少年。この辺りはまだまだ快調。
クスコからデラックス・バスに乗る。隣は空いていたのでゆったり。窓も広いし、2階席で眺めは良い。
クスコ市内を出る時はこんな狭い道をと思ったが、市街を抜け郊外に出ると景色は一変する。どうしてこんな3600メートル以上の高いところにこんな広い、見渡す限りの平原があるのだろう。これがアルティプラノーというやつか。
高原へ出ると道は比較的まっすぐで舗装状態も良い。途中、いくつか峠を越えるようになってきて、そのたびごとに高度が増して行くような気がする。 

クスコからプーノへ向かう途中の高原(アルティプラーノ)
道路沿いに鉄道が。ここらで3500〜3600mくらいか。
クスコ3360m、プーノ3855m。
なお、プーノからラパスへ向かう途中のチチカカ湖は3890m

 


 帰国した今になって思い出そうとするが、昼食に何を食べたか思い出せない。ひょっとしたらビスケットくらいでたいした物は食べていないような気もする。いや、確かバスがプーノ行きのはずがアレキパとなっていて、途中でアレキパ行きとプーノ行きに分かれて乗り換えた時に何か買ってバスの中で食べた。
アレキパはリッキーさんの故郷で、昨年大きな地震のあった所。標高は2335mで首都リマに続くペルー第2の都市。今回はココへは行かない。
プーノにつく頃から何故か頭がボーッとしてきて、ジーンという音が聞こえる。気のせいか気持ち悪い。

 バス・ターミナルに着くと”JUN OHSAWA”と書いた紙を持ったホテルの人が迎えに来てくれていた。若い、英国紳士風の男の子。
英語を話すので大助かり。明日の、プーノ⇒ラパスのバスチケットを買ってターミナルを出ようと思ったら、女の子に呼びとめられた。「マチュピチュで会った方ですよね。」と言われて思い出した。私達二人にたまたまマチュピチュで同行していたIさんが飛行機で一緒だった方。事情を聞くと、客引きにつかまったらしくそのまま勧められたホテルにいこうかどうか迷っているらしい。
私の泊まる所で良ければ安心できるし英語も通じるから、と助け舟を出したが高いところは泊まれないからと、客引き氏に着いて行くことにすると。かえって高いものにつくかもしれないのに。
 タクシーに乗ってホテルに着く。名前を書くのも面倒になってきた。やっぱりふらふらする。これはとうとう高山病かな。
キーをもらって部屋に入る、リュックを下ろしてそのままベッドに倒れこむ。
しばらくしてノックの音。先ほどの若い男の子がマテ茶を持ってきてくれた。高山病の予防によいとかで、こちらに来てからは紅茶やコーヒーでなくずっとコレ。水を沢山飲むと新陳代謝に良いのでペットボトルで飲む。
しばらく横になっていたが、ドアの鍵を閉めていなかったのに気がつく。閉めに行こうという意識はあるが体が動かない。
意識と体が戦っていたが、何とか意識が勝った。立ったついでにズボンを脱いで寝こんでしまった。昼の3時ころだった。

 何度か目が覚めたりして、また眠った。そのうち気持ちが悪くなり、何度かトイレでもどす。
夜9時頃 Iさんから電話がかかってきたが、高山病にやられたので一緒の夕食をお断りする。
昼はたいした物を食べた記憶が無いし、夜は全く食べてない。それでも朝方も吐いた。

 9月20日。ラパスへ向かうバスは8時に出るので7時にはホテルを出なければならない。いつもどうり5時半(南米に来てまで日本のの通勤時の起床タイムに合わせなくても良いのに)に起きる。荷物の整理をして忘れ物を確かめてからもう一度トイレで吐く。何も出ない。
何も食べられないと思いつつもホテルの食堂でジュースとパンを一切れ口にする。そしてマテ茶、ジュースをもう一杯。
今日でペルーとお別れなので残りの所要額を計算し、こちらの金をキレイに使いきる。
タクシーに乗って運チャンと話をしていたら気の良い方で,おかげで気分も良くなって来た。けっこう通じるのが嬉しい。
バスターミナルに入るとき施設使用料を払う。これは計算どうり。タクシー代も計算どうり。バス会社のカウンターに行ってTaxを払ってきてくれと言われてこれが計算外。結局一緒のバスに乗るアメリカ人のカップルに20ドルを崩してもらってTaxを支払う。
 バスに乗っていたら、だんだん体調は回復した。昨日から今朝までは最悪で、一人ぼっちで気弱になってしまった。
しかし、おかげで1日だけだが高山病も体験することが出来て、貴重な経験をした。

 クスコでは何とも無かった。標高3360M
 プーノでやられた。        3855M
と言うことは富士山(3776M)より高いところでは高山病になるということかな。
でもラパス空港4100M、ラパス市内3650Mでは何とも無かったのは慣れによるものか。



 続く


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