ペルー、ボリビア 2002
初めての南米大陸

2002年9月15日(日)〜26日(木)

アンデスの家

 クスコ(ペルー)やラパス(ボリビアの首都)(ともに3千数百メートルを超えるアンデス山脈に位置する。)や途中の高原で見た家々、コチャバンバでお邪魔したアヨパヨマンタのオルランドさんやコリティカのフローレスさんの家などの印象から。

 9月17日(火)、クスコ空港に着陸する時、左に大きく旋回する機内からクスコ市内の景色が見えた。家が山の高い所まで並んでいる。赤みがかった茶褐色(?)の山と同じ色で統一された見事な色調だ。同系色は眼に優しい。とても良い気持ち。空港に降りて見渡すと機内の窓からよりも一層この印象が強まる。
こんな高い所によくこれだけの大きさの都市が出来たものだ、というのが第一印象だった。
 クスコ空港に着いて、宿を決めてからサクサイワマン遺跡へ向かった。遺跡のことは第3回に書いたが、途中、Luisさんのお友達の家に寄る。タクシーでかなり登ったところでクスコ市内が眼下に見渡せる。

クスコ市内。屋根の色、家や壁色調が同系統で統一されている。
日本の、カラフルだが不統一な色調とは異なるので街全体に落着きがあり、眼に優しい。

だが、家の建っているところの条件は厳しい。崖の淵までびっしりと建っており、
日本の建築基準法では絶対に許可されないことは間違いない。左右の家のすぐ下は崖。
上の写真の右の部分を拡大すると山に”VIVA EL PERU”と読める。
 アンデス地域では、富裕層は低地に住み、高地に貧困層が住むというのが一般的らしい。確かにクスコでもラパスでもそのとおりであった。日本人の感覚で考えると高いところの方が見渡しも良く、「港を一望する小高い丘の上の洋館」などと言うと、横浜の山手をイメージしてしまう。これは生活条件が全て整ったうえでのことだろう。
こちらでは、空気の濃さの問題、水の供給の問題、生活物資の入手の問題など、いろいろあるのだろう。
さらに直接的ではないにせよ貧富の差から生じる教育や治安そして差別の問題など、旅行者の目、異邦人の目からは見えない物があるように思われる。
クスコで途中降り立ったあたりでは昼間でも野犬の群れがうろつき、ゴミをあさっていた。ゴミや食べ残しはそのまま外に散らかっており、野犬がリサイクル係のような気がする。家(というより小屋)のすぐ下は崖になっており、土留め工事などは全くない。
 家の壁や塀は土をそのまま固めたブロックで、建築中の家を見たら、その土地の土を掘ってブロックに並べていた。
これなら同じ色調に見えるはずだと納得した。
クスコのバスターミナルから
空港から市内への途中で見たラパス市内 左に同じ。山の頂上付近まで家が
クスコからマチュピチュへ向かう列車の中から
塀も家の壁も土の色そのまま、土そのまま
クスコからプーノへ向かう郊外の家
   コチャバンバで描いた昔のボリビアの家
後日、宍戸さんから「僕の描いた場所と全く同じ場所です。同じ場所を二人が描くとは不思議です。」とのご指摘がありました。あらためてスケッチ集5」見ると描いた角度こそ違いますが同じ家でした。何と言う偶然でしょうか。今回の旅では数少ない貴重なスケッチの1枚なのに。
左の家の写真
 結局、市内が同じ色調で統一されていると思ったのは、そこの土を使った建築様式がなせるわざだときがついた。地震が来れば来たでその時は元に戻るだけ。高い家は建てられないから被害も最小限度でおさまる。土に帰る、とはこのことだろうか。


 続く


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