ペルー、ボリビア 2002
初めての南米大陸

2002年9月15日(日)〜26日(木)

国境越え(あわや入国拒否か)

 9月20日(金)。一晩高山病で苦しんだが、5時に目が覚めてトイレでゲーをして(といっても昨日のビスケット程度の昼食から何も食べていないので吐くものはペットボトルで飲んだ水だけ。)、何とか気力で荷物をまとめてフロントへ。時間があるので食堂でジュースとこちらへ来てからすっかり好物になったマテ茶を飲む。何か固形物を一つ食べたように思うが何だったかは思い出せない。
まだフラフラするが今日のうちに、それもできるだけ早い時間にラパスに着い、てカルカスのステージを見たいという欲望から来る気力で体を操る。いつもはからだが自然に反応するのだが、今日は、欲望⇒頭で次の行動を認知・確認⇒気力⇒体に指令⇒指令を体が確認・行動開始⇒頭が行動確認⇒
この繰り返しを一つ一つ分けて行っていた。どれかが欠けても行動出来ない。
昨日ホテルのベッドに倒れこんで、「ドアの鍵を閉めなければ・・・・・」と頭は自覚していても体が動かず、しばらくベッドで意識と体が葛藤していたが、最後の気力でやっと鍵を閉めて寝たのと同じだ。

 フロントで残りのソルをペルー出国時に全部使い切るよう計算してドルと両方で支払う。
ホテルの人がタクシーを呼んでくれたので乗りこむ。ここのホテルはとても親切で電話をしておいたらバスターミナルまで迎えに来てくれた。出発時刻を知らせたとはいえ何時につくか分からないバスなのに。
しかも英語が通じるのが嬉しい。正確にはホテルではなくオスタル、ホテルより少し格しただがホテル並みであった。「オスタル・シュスタニ Hostal Sillustani」
タクシーでホテルの人が連れてきてくれたのと、高山病で、場所はどこだか分からない。
 バスターミナルに向かうタクシーの運チャンが日本びいきの気の良い人で、フジモリはカムバックするぞとか、日本のことをいろいろ来てくるので、頭がボーッとしているのを幸いに話を合わせてお喋りをしていたら、自然とスペイン語が涌いてくるような気がして見る見るうちに気分が良くなって来た。
 そのうちにバス会社の人が客席を回り出した。パスポートとチケット、それと何だかを出すように言われたが最後のものが何かわからなかった。バスの中からはチチカカ湖が見えていた。
他の乗客を見ると白いカードを持っている。隣の人(英語の上手いドイツ人)に聞くと出国カードだという。リマ空港でくれたそうだ。私はもらった記憶がないので不安になった。
果たして自分の番になると、「何とかはどうした?」と聞かれたので”No Tengo.”と答えると早口なので良くわからない。隣のドイツ人が「ペルーからの出国カードがないと出国できない。入国したところに戻ってもらう。」と通訳してくれた。
今日中にラパスに行かなければカルカスが聴けないよー。
これはまずいことになったなと思ったが、頭の中のもう一方の回路が、『何とかなるよ。ロンドンの地下鉄の中でIRAの爆破予告電話で途中で下ろされた時だって、ボストンで乗るはずの飛行機がキャンセルになりシカゴからニューヨクの乗継便に間に合わなくなった時だって(ニューヨークに着いたのは真夜中だった)、イギリスの,ヨークの時で鉄道員のストライキで寝台列車がストップした時だって。他にもいろいろあったが一人で何とか切り抜けて来たではないか。』と楽観的に回っていた。さらに『旅にトラブルや予期しない出来事は当然ではないか。せっかくだからそれも楽しもう。』という気持ちすらあった。
でも今までは英語だったなあ。

 そうは言いながらも『何とかなる。』ではなくて、『何とかしなければならない』状況にあったので必死に対策を考えた。「自分は日本人で、これこれこういう者です。こういう目的で・・・・。」と言ってみても・・・・だめだろうな。・・・・・・・・・・。
こういう場合は身元引きうけ人だろうな。と考えて,ラパスの日本大使館のことを思い出した。
イミグレーションで彼女に電話しよう。

 バスは市街地に入って行き、先ほどのバス会社の人が10分だけ止まるからここで両替するようにと言った。両替を終わって出てくると彼が私を手招きして呼んで、「空港のイミグレーションで何かもらわなかったか?」と聞いたらしい。(と私は理解した。)
そう言われてみれば、他の乗客が持っている出国カードはくれなかったが関税の紙切れのようなものをもらったのを思い出した。それなら持っているよ。と差し出すと、「おお!!」と声を上げて、「これだよ。これ。」と自分の事のように嬉しそうに喜んでくれた。思わず握手。

 さて、ここが国境の町で国境はすぐ近くだろうと想像していると、またバスに乗ってさらに走る。
やっと着いたのが何もない所。確かに前方にアーチが見える。その手前でペルー側の出国審査。審査は簡単。 終わると坂を歩いて国境を越える。これが高地と熱さのためきつい。
国境は拍子抜けするほど何もない。バーが1本あるだけ。警備兵もいない。箱根の関所の方が立派。

バスの中からチチカカ湖が見える。
バス会社の人が国境越えの説明を始める。
「出国カード?」そんなものもらってない。
円いアーチが見えるところが国境。何もない。
警備兵もいない。箱根の関所の方が立派。
坂道を歩いて渡る。これが高地と熱さのため
きつい。
ボリビア側の入国審査 無事国境を超え、ボリビア入国。
バスは未舗装、ガードレールのない悪路を
のろのろと走る。何時間かかることやら。
 国境を渡ると今度はボリビア川の入国審査。やれやれ何とか入国できた。今回も何とかなった。
ここでしばらく休憩。陽射しが強い。


 続く


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