ペルー、ボリビア 2002
初めての南米大陸

2002年9月15日(日)〜26日(木)

ラパスは坂の街(どこへいっても)

 前回も書いたとおり、ここラパスはどこへ行っても、どこで立ち止まっても坂。絶対に坂。右も左も。前も後ろも坂。平地はない。考えてみればすり鉢状になっているのだから当たり前で、なおかつそれにうねりがある。
9月21日(土)久々にぐっすりと快適に眠った。8時に起きてホTルで食事。フルーツをこれでもかと食べる。
マテ茶がうまい。二人で朝市に出かける。目指すはサガルナガ通り界隈。相変わらずタクシーやミニバスが多い。ミニバスは少年あるいは若者が助手席から身を乗り出して乗客を拾おうと声を掛ける。タクシーですら安いのにもっと安い。
楽器屋、CD屋などを回るが半分くらいはまだ閉まっていた。元グルーポ・アイマラのメンバーのClarken Orosco の工房に寄る。8畳くらいのところに二人で制作していた。
一万円くらいの予算でチャランゴを一つ欲しい、とお願いすると出してきてくれた。そのうち、「これは今年の作品の中で最も気に入っているものの一つで、コンサート用の物なのだが。」と言って見せてくれたのが、音量が大きくて音色の良いチャランゴ。2万円だという。こういう物は、後で、と言うわけに行かないのと、換算のため金銭感覚が鈍っているのと、折角だから良い物をと思う気持ちとがいっぺんに混じって頭の中を駆け巡る。
「息子さんに、コンサートで良い演奏をしてください、伝えてください。」という言葉が決めて手になって、迷うことなく買うことにした。
 通りへ出て別の楽器屋へ入る。単に店を覗いただけだったが、サンポーニャが目にとまり、サンポーニャを持っていたので、半ば冗談に、「クロマティカ(3列)の3段目だけが欲しいんだけど。」と言ったら「OK」と外して出してくれた。日本円で900円。これまた安いので即買うことにした。
さらにサガルナガ通りを下ってチャランゴやギターの紐を買う。
さらに歩き回ってCDを買い込む。
ギセラ・サンタクルーズの「ロマンセ・ヴェルデ」を4枚買おうとしたところで所持金が尽きた。大金は(もともと持っていないが)持ち歩かない方が良いですよ、というアドバイスに従ったので。
店の主人(これが日本にもよくいる顔で親しみが涌く顔)に聞いたら、1時には店を閉めると言うので一旦ホテルへ戻ることにした。
「このあたりはスリが多いから狙われないように。時々後ろを確かめて。」というアドバイスをもらって、ここで別れて、一人でチャランゴを持って歩いてホテルへ向かう。
20分ぐらいだったが、アドバイスのおかげで長く感じた。でも、ホテルまで下り坂だから歩こうという気になったが、上りだったら絶対に歩かなかった。
ラパス市内はとてもにぎやかだ。なぜこんなにと思うくらい人が多い。若い婦人警官(制服をきて交通整理をしているので多分警官だと思うが)も多く、それがなかなか美人ぞろい。
街を歩く女の人のスタイルが良いのがとても印象的だ。Gパン姿が多いが脚が長い。後姿が誘っている。街の雰囲気、熱気と3800メートルという高度と、乾燥した熱さやらでついボーッとしてしまう。
おっと。気を取られていると危ない危ない! 「ボリビアは自分の国で、こんなこと言いたくないけど、気をつけたほうがいいよ!自分も国に帰る時は気持ちを入れかえているからね。」というルイス・カルロス氏の言葉がどこからか聞こえてきた。

 お金を持ってまたムリリョ広場近くのCD屋に向かう。もちろんタクシー。この炎天下にあの坂を登る気は起きない。ここは3800メートルの高地。普通に歩いているだけで登山をしているようなものだから。(そこをタクシーで移動するというのも妙な感覚ではあるが)
タクシーを降りて人ごみをかき分けながら坂を上って店に入ると。いたいた。日本人顔のおじさんが。顔を合わせるとお互いにこっとして。これが良いんだなあ。このニコッが。スマイル。そういえばクスコのバスターミナルの少年もスマイルという名前だった。
 ギセラ・サンタクルーズの「ロマンセ・ヴェルデ」というタイトルのCDを4枚買う。これはロス・トレス・アミーゴスのオリジナル曲で、彼女が来日して彼らと一緒に公演していたときに気に入ってボリビアでCD化したもの。彼らへのお土産でもある。

 さて、距離的にはさほどではないが、随分歩き回ったように疲れて、しかも腹が減ってきたので近くのレストラン「ナイラ」で食事とする。メニューをみても良くわからないのでオレンジジュースとサンドイッチをオーダーする。単なる昼食のつもりがノンビリしてしまった。
何回も書くが、ラパスは「坂が多い」のではなくどこへ行くにも「坂しかない」ので休む時はたっぷり休まないと体がもたない。3800メートルの世界を動き回るのだから。

 約小1時間休んで、再び大統領官邸へ向けて再度挑戦。小さな広場がありカテドラル、国会議事堂とならんで小さな官邸があった。広場のベンチで少し休んでから、また坂を上って楽器博物館に入る。南米はもちろん、世界中の楽器のコレクションが並んでいた。尺八や琴、胡弓などもあった。
これらの楽器をながめながら、「楽器のない民族はあったのだろうか?」「音楽を持たない人種はあったのだろうか? 言葉を持たない民族がないように?」という疑問が涌いてきた。
とても疲れたので下り坂ながらタクシーでホテルに戻り、カフェでマテ茶をゆっくり時間をかけて飲む。飲み終わって、ホテル前の広場でサンポーニャを吹く。

 続く


トップ