ペルー、ボリビア 2002
初めての南米大陸

2002年9月15日(日)〜26日(木)

ミュージシャン達との交流1(地域のお祭り)

 9月22日(日)
ゆっくりと、ぐっすりと眠って8時に目が覚めて、9時に朝食を摂っているところにUチャンから電話が入った。10時集合集合。集合場所まで俊子さんにメモを書いてもらって一人でミニバスに乗る。
ミニバスとは言いながら要するに8人乗り位の小さな車。他に客が3人ほどいた。メモに書かれた場所を聞きながらやがて集合場所に着いた。そこからタクシーに乗り換えてアヨパヤマンタのオルランドさんの家へ向かう。今日はメンバーの方の誕生パーティーで、一緒に参加させてもらうことになった。
例によって未舗装の凸凹道を入ると彼の家があった。どこかで見たことのある体の大きな、顔の大きなにこにこしたおじさんが出てきて、握手。何と彼がリーダーのオルランドさんだった。どうりで見たことがあるはずだ。
 Uチャン達がキッチンで料理に腕を振るっている間オルランドさんやウィルソンさんが話し相手になってくれる。といってもこちらはまだ習いたてだからかなり想像で補うしかない。オルランドさんがCDをかけてくれたが、これが結構な年代物で早送りが上手く行かない。トッププロでもこんなCDで聴いているのか、とビックリ。
LLegar a tus suenos を歌いたいと私が言ったら、オルランドさんが歌ってウィルソンが歌詞をメモしてくれた。ボリビアでもリッキーさんが作曲したリンリチャが流行るようにと楽譜を渡そうとしたらウィルソンさんは楽譜は読めないと言っていたので恥を忍んで吹いた。彼も地声が素晴らしい。ルックスも良いし,俳優になっても良いような人だ。
 そうこうしているうちにコリティカスのメンバーやアヨパヨマンタの他のメンバーも揃い、料理もできたのでみんなで昼食パーティー。
 食べ終わってトイレへ行くと、土間のようなところ。用を足し終わって流そうとしたがレバーがどこにもない。いろいろ探したがどうしてもない。便器の横にバケツがあり水が入っているので、これだと思いゆっくり流してみた。これが良くなかったみたいだ。
仕方なくオルランドさんに聞くと水道から水を汲んで流せば良いと言われてやってみたが上手く行かない。3回位トライしてやっぱりダメだったので再びオルランドさんに相談すると、”I’ll Make It”と言って始末してくれた。
実はクスコの中華料理店でも流れずに、店の人が流してくれた。勢い良く流すのがコツだ。

 食べ終わってから、今日は地区のお祭りがありこれから演奏に出かけるが一緒に行くかと聞かれたのでもちろん行く事にする。オルランドさんの古い古い、とっても古い大きな車(しかももとタクシーに使われた代物で一見してわかる)に前に3人後ろに6人総勢9人乗りこんだ。走るとボトボトボトという音がする。
 会場に着くと既に車が一杯。普通のお宅の庭にテントを張り、舞台を作ってあり、大勢人が集まって飲んだり喋ったり、演奏を聴いたり。早速ミュージシャン仲間に紹介される。こちらが日本人だとわかると人が寄ってきて話しかけてきたり、チチャという酒を飲まされたり。
中には日本で日産の工場で働いていたり、日系人だとか言う人が懐かしそうに話しかけてくる。
 その内、先ほどオルランドさんの家で一緒にパーティーをしていたコリティカスの演奏の番になり、デジカメで沢山写真を撮った。とても素晴らしい演奏で、特にボンボを叩いているファビオラがリズム感が良く踊るように叩いていた。
そしてアヨパヤマンタ。最初に LLegar a tus suenos を演奏してくれて、「これは日本から来たアミーゴのために」とか言って私を指差す。なかなかにくい演出。

このあたりになるとビールやチチャが回ってきて、そのうちインディオのおばさんに誘われて踊ることになった。こうなったら徹底的にこの人達のなかに入りこんでしまおうとおばさんや子供を狙って踊りに誘った。ちょっと疲れるとデジカメで写真を撮ってその場で見せてあげると、みんなとても喜んでくれた。
終わり頃になって、一人の品の良い年配のおじさんが寄ってきて「貴方は皆と一緒になって楽しませてくれた、とても嬉しい。ありがとう。」というようなことを言ってボリビア式の挨拶(胸を合わせて抱き合う)をしてくれた。こちらもとても楽しかったし、その頃はすっかり暗くなっていたこともあり、やや感傷的になっていたせいか、心が通じたように思えて、思わずぐっと胸に来てしまった。
ここの人達はみんな陽気で。気さくで、親切で、純粋で、いい人ばかりだ。

 宴も終わって、オルランドさんの車でスマホワシまで送ってもらった。

 続く


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