ペルー、ボリビア 2002
初めての南米大陸

2002年9月15日(日)〜26日(木)

ミュージシャン達との交流2(フローレス家

9月23日(月)
 昨晩からどうもお腹の調子が悪い。今朝起きたら、悪いなんてもんじゃない。
「水には気をつけたほうが良いですよ。」とは何回も色んな方から教えてもらっていた。「水割りやオンザロック、ジュースでも氷が危ないですよ。気がつかないけど。」
教えをきっちり守って、ずっと生水は飲まないようにしてきた。
昨日は地元の酒。酒というよりジュースのような味で口当たりが良かったのと、やたら勧められるのでたらふく飲んだ。でも。あの入れ物は・・・。
だって、ポリバケツそのものなんだもの。それに椰子の実を半分に割ってくり貫いたような器ですくって・・・。これを昼間から夜まで、ほとんど食べ物は食べずに、飲んで踊って。

 10時にホテルに集合しコチャバンバの市場カンチャに出かけた。人が多くとてもにぎやかで、小さなお店や露天がびっしり。日本の戦後の闇市のようだ。(戦後生まれなので実際に見たことはないが)
彼らは朝食。私はお腹の調子が悪いのと、あまり衛生的とは思えずないことからとても食べられない。のでみやげ物屋を見て回る。
 カンチャではケナーチョのケース、手提げバッグ、娘達用のお土産のプチ・リュックなどを買う。全てアンデスの綺麗な織物によるもの。手織りのものだけに同じ柄のものはない。お店で聞くと「湖の柄はどこそこの誰それさんが織ったものだよ。ねえ?」とか言って隣のお店の人に聞いたりする。

 お昼近くなってタクシーに乗り、ファビオラ家を訪ねる。町のはずれの家で、この辺りの家は皆塀が高い。途中の道は舗装がなく凸凹。雨が降ったら大変だろうなあ。家に着くと,家族全員が出迎てくれた。どこかで会ったなあと思ったらそのはず、昨日の女性グループのメンバーだった。
ここは住宅兼楽器工房で、サンポーニャの材料がごろごろ。壁際に薪がたくさん積んであるなあと思ったらチャランゴの材料だった。もちろんケーナもたくさん。しばらくサンポーニャの制作過程を見学させてもらった。ご主人が時々音程を確認している。私も吹かせてもらったり、ついでに吹き方を教わったり。
そしてみんなで昼食。もちろんチチャも出たが最小限にしておいた。だってずっとお腹が。
昼食後二人はギターを買いに街へ出ていったので日本人は私一人となる。のんびり景色を見たり、ケーナやサンポーニャを吹いたりしていた。空気が乾いているせいか、とても綺麗に音が抜ける。
スケッチブックを出して、すぐ後ろにそびえるアンデスの山々を背景にフローレス家を描きだしたがすぐにギブアップ。とても暑い。
工房に戻るとファビオラが自分のスケッチブックや彫刻を見せてくれた。そしてお互いの顔を描こうと言い出して、椅子に座って書き出したが、これが意外と難しい。自分が描く時はスケッチブックに目線を落とすことになり下を向くので、お互いにタイミングを合わせないといけない。
遠くに目線をやるとこれまたアンデスの山々がよく見える。遠くに砂塵が舞いあがる。空気が乾いているせいだろう。
フォーレス家は子沢山。娘4人に男の子が一人。
楽しい時間を過ごしていたが、5時を過ぎても二人が戻ってこない。ラパスへ帰る飛行機の時間も迫っているし、心配していると5時半過ぎにホテルに置いた私の荷物も持って戻ってきた。
いよいよお別れの時が来てボリビア式の挨拶。
タクシーに乗り、いつも通りギリギリの厳しい時間に空港に到着。一番最後の搭乗となった。

 続く


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