Why UK ?  第4号

今回でこのメールも5号目になります。「なぜ、イギリスなのか。」というご質問をいただいておりまして、 自分なりに総括したいと思いまとめてみました。

(当初この文章は、親しいメール友達に、勝手に「通信」として送っていたものでした。随分迷惑と思った方もいらしたと思いますが、中には「あれ面白かったよ。」と感想を頂いたりする方もいて、それを間に受けて続けていました。そのうち、ある日突然に「ホームページを作ってみよう。」と思い立ち、―私の場合いつも突然思い立つのですが―そのコンテンツの一部に、このメールが役だった、という事情があります。)

  正確に言うとスコットランドに関心を持った、惹かれたのがきっかけです。
上場したばかりの会社で知名度もまったくない中で、なぜかスコットランドからファンドマネジャーが沢山来られることを疑問に思い、93年に夏休みを利用してエジンバラに行ったのがきっかけです。昨年で5回目となりました。

 「エジンバラとはどこだ?日本で言えば仙台くらいの町か?いやせいぜい盛岡程度だろう。 そんなところからなぜこんなにSRLにくるのだろうか?それにしてもエジンバラは不思議な響きがある。」 「1度そのなぞを確かめに行こう。」「いやどうしても行かなければならない。」そう思い立って女房を説得にかかりました。
「これは遊びではなくて、いわゆるひとつの仕事だからどうしても行かなければならない。」 「仕事なら何で会社で費用を出してくれないの?」「いやそういうものじゃないんだ。自費で行くから価値があるんだ。これは自分に対する投資のようなもので、現在得ている収入も過去の投資の成果だから、将来のために今投資しておかなければならないんだ。」てなことを言って何となく納得させて(したかどうかはわかりませんが)英国へ旅立ったのが93年9月15日(敬老の日)前後です。

  ヒースロー空港からホテルに向かう途中、グリーンパークで地下鉄がとまってしまい、「IRA(Ireland Republic Army)が仕掛けたらしい爆発物が構内にあり当分停車する。」というアナウンスがあり、動かなくなってしまい、隣に座っていたおばさんに聞くと「 Quite often(お布団に聞こえた)」とあっさり言われてしまい、そんなにしょっちゅうなのかと納得してしまった。 夕暮れの中、バスに乗り換え、散々探し回ってやっとホテルにつく。これ以来なるべく London には近づかないようにしている。泊まったホテルがこれまたひどいところで、時差ぼけで夜中の3時頃、眠れずに果物を食べていると、突然火災報知器がけたたましく鳴り出す。こんなところで焼け死んでなるものかと急いで着替えて、バッグパックを背負って1階に降りると、女主人が「電気がショートして鳴っただけです。おやすみなさい。」
翌朝食堂に行くと、女主人が「あーMr.大澤。何か困ったことありますか?」と寄ってきたのでからかってやろうと 「 Everything is OK except too early wake up call.」といってやる「 OH?!! Too Early Wake Up Call. 」と言って笑っていた。(さらに翌日も警報が鳴ったが今度は誰も起きなかった。) いろいろとものの本を読むと、テレビがつかないだの、窓が開かないだの、ガス器具が壊れたけど直してくれないだの、この手の話は数限りないらしい。

  翌日、モルガン・グレンフェル投資顧問を訪問。難問が来たら、 「 I am afraid. I'm in a vacation. 」とか言って「難しい質問は帰ってから電話します。」と逃げよう。と思っていたら、通された部屋がボードルーム。広い。豪華。ちょっと違うぞ。緊張感の中じっと待っていると、6人くらい入ってくる。名刺交換。常務以下、日本株担当全員に取り囲まれることとなってしまった。とてもExitingで、Jokeでごまかせる雰囲気ではない。なんとか1時間半のQ&Aをこなすと、気分爽快。2軒目のシュローダー投信も無事終えて翌日キングスクロス発エジンバラ行きの列車に乗る。(途中の話は省略)

 エジンバラには12時過ぎに着く。スケッチをして、1時にスコッティッシュ・プロビデントに行き、日本人のファンドマネジャーなのでスムーズに話が進み、時間が空いてしまった。次のアポイントが3時半なのでその間スケッチをしようか迷ったが、せっかくここまで来たのだからもう1軒訪問することに決め、アイヴォリー・スチュワ―トのMs.バルフォアに電話する。「今、エジンバラにいます。もし、よろしければ訪問したい。」相手の驚いた様子が電話の向こうか らわかる。バッグパックにスニーカーで現れたのでさらに驚いた様子。地下室のミーティング・ルーム(というより地下牢に近い)で1時間ほどQ&Aを行ってから、「アイヴォリー・サイムに約束をしているのですが、どこかわかりますか?」と聞くと、ニヤッと笑って、 「With in thirty seconds」 何と 30秒以内と言うではないか。ドアを開けてくれて、「あれだよ。」と指差したのが石畳の片道1車線の反対側の建物。
この辺は投資顧問だらけ。投資顧問の巣。なぜあんなにエジンバラからの訪問が多いかが少しわかってきた。
ここまで来た甲斐があった。

 さらに後日談があって、日本に帰って2日目にスイス銀証券(当時)のアナリスト(コリン・ミルズさん。その後SGウオーバーグ証券と合併し調査本部長になられたが、オーストラリアに帰国。日本語が堪能で、電話では日本人より上手なのでわからない。)から電話をもらい、「大澤さん。聞きましたよ。SRLの人がアポイントなしで突然説明に来たって、あちらで評判ですよ。」と言われた。驚くべき情報スピードだ。 また、ある外国人ファンドマネジャーから、「もともとスコットランド人は他民族に対して壁の厚い民族だが、大澤さんの場合は壁など関係なく、いきなり相手の中に飛び込んで行くのですね。そういう IR(Investor Relations 投資家に対する広報活動)のやり方もあるのですねえ。」と感心というかあきれていたこともあった。
こうしてどんどんハマッて行くことになるのですが、今日はここまでにします

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