スカイ島にて(1)第9号
Date: Sun, 07 Mar 1999 19:48:16 +0900
アーマデール城(廃城)
クラン・ドナルド・ビジター・センターが廃城の隣にある。
マックは息子という意味で、
例のマクドナルドはドナルド家の息子という意味。
スコットランドの姓にマックとつく名前が多い。
93年はスカイ島までフェリーで渡って、時間の関係で(一日に4本しか列車がない。日曜は全くない。)1時間程でインバネスにむけ戻ることにしたが、どうしても滞在したかったのとマレイグからグラスゴーへ戻る列車からの景色を見たかったので、翌94年にトライ。キングスクロス駅からヨーク城を見てインバネスに向かおうとしたところ、鉄道員のストライキのため動かないとのアナウンス。一瞬頭の中は真っ白になったが「予定通りに行かないのが旅の醍醐味。」と急きょグラスゴーに向かい、グラスゴー大学の学生寮(夏休み中は旅行客に開放)に泊る。
翌朝7時発のバスに乗ると、客は6人。と思ったら途中で運転手が交代。乗客と思ったのは交代の乗務員。料金は1500円位だったと思う。どうしてこれで採算が取れるのだろうか不思議でしょうがなかった。想像するに、人件費が安い、バスの使用期間が長い(償却費がかからない)などの理由ではないかと思う。一般に物価は安い。1ポンド160円位だったこともある。
グラスゴー市内を抜けロッホ・ローモンド(湖。ロッホはケルト語で湖のこと。有名なネス湖はロッホ・ネスという。)を過ぎ、グレンコー(ここはスコットランド史では有名な所で、スコットランドのクラン(氏族)同士の争いにより大虐殺が行われた所。)を過ぎ、フォート・ウィリアムの港町を過ぎると景色が一変して、荒々しい山が迫って来る。この荒涼とした景色がたまらない。いわゆるハイランドの景色である。インバネスからの鉄道(スコットレイル)の終点でもあるカイル・オブ・ロッハルシュで降りてフェリーで島に渡る。ここでローカルバスに乗り換えアーマデールに向かう。田舎のバスとはこういうものか。椅子は横長のベンチ。途中高い山の間に白い雲が見えて「ずいぶん標高が高いのかな。」と思っていたら、さらに近づくと氷河であった。バスは道を歩く大きなリュックを背負ったイラン系の二人ずれを追越して行く。ここは夏でも霧の多い所で、遭難する人もいると聞いているのに歩くとは信じられない。ゴキブリのようにタフな民族だな、と感心する。40分位突っ走ってアーマデールに着き、海がみえるB&Bに宿を決める
スケッチブックを持って外出。20分ほど歩いた所にクラン・マクドナルド・ビジターセンター(廃虚となったお城と博物館がある。)に行く。マクドナルド家の子孫は世界中に散らばっており、ハンバーガーのマクドナルドもその一人。博物館に入ると大きな電話帳の数倍あるようなノートがあり、「マクドナルド家にゆかりのある人は記帳するように」と書かれている。ぎっしり署名が並んでいる。帰り際、出口の扉に「(千7百か千八百何年かは覚えてないが)スコットランドよりオーストラリアに○○号で渡った子孫の方、連絡されたし。Reunionを結成したい。」との張り紙がしてあった。歴史を大切にする民族とは聞いていたが、これにはびっくり。土産物ショップの品の良いおばさんの横に、スコットランドのクランの紋章の解説があり、ルーツが調べられるようになっている。試しに、女性ファンドマネジャーの名前を挙げると、「それはインバネスに典型的な名前。」毎年お世話になるLamondを挙げると、「それは○○世紀にフランスから渡ってきた名前。」とすぐ教えてくれる。ちなみにLamondの家にはファミリー・ツリーが飾ってある。彼の先祖はグレンコーで虐殺される前は大変広い領地を持っていたという。
博物館を出て歩いていると、前に二人連れが歩いている。大きなリュックを背負って。はじめは何とも思わなかったが、「あっ。あのイラン系。」と気が付いた。3時間以上は経っている。追いついて、「良かったら同じB&Bに泊らないか?」と誘うと「B&Bは自分たちには高すぎる。自分たちの宿はここだ。」とリュックを指差す。テントを張るつもりなのだ。こんな寒い所で、と思うと再びこのバイタリティーに驚くばかり。この驚きが3日後のコッツウオルズでの「えい。イラン人に歩けて日本人に歩けないことはない。」という意思決定になったのです。

  トップ