ブライトン ここは熱海かワイキキか

1999.12.4

ブライトン 素描 描き終ったら急に寒くなって・・
1998年9月23日18時30分。砂浜にあったヨットに座ってスケッチを終える。不思議なもので、描いている時は夢中なので寒さを感じないが、書き終わったとたんに寒くて震えてしまった。でも、ここはまだ手が動くから良い、スコットランドのインバネス城は同じ時期の15時なのにあまりの寒さに途中で止めてしまった。1993年のことである。構図が気に入っていたので息子と一緒に行った1997年に早起きして描こうと思ったが二人とも寝坊してしまった。

 こちらの砂浜は白くない。赤茶色をしていて、そのうえ比較的大きな丸い砂利がごろごろしている。砂浜というより石浜。泳いでいる人は誰もいない。犬を連れた人や、石ころを海に向かって投げている人、じっと座って海を見ている人。場所は違ってもどこにもある海岸風景。右側遠くに見えるのはパレスピア。埠頭である。先端の方に観覧車があったり、遊園地になっている。左側は・・・、と見るとこれがイギリスらしくない。ホテルが建ち並んでいて思わず「ここは熱海かワイキキか。」と叫びそうになってしまった。パレスピアはケバイ。なぜジェットコースターやゲームセンターがなければならないのか。

 ブライトンはロンドンのほぼ真南、列車で1時間45分のところにあるリゾート地だから、熱海という表現は妥当なところだろう。なぜ私がイギリスらしくないこの地を訪れたかというと、この年、長女が大学に合格したので、2週間の語学研修プラス1週間の旅行をプレゼントし、娘が帰国した直ぐ後に語学学校を訪れたためである。なるべく日本人の来ないところで、みっちり英語漬けになって上達して欲しいと思い、直接現地の学校とEメールでやりとりをしてコンタクトしているうちに、「自分も行ってみよう。行って娘の勉強ぶりを聞いてこよう。」と思ったしだい。ふっと思い立ったら実行してしまうのはいつ頃から身についたのだろうか。

 翌日、EF校まで歩く。ホテルからパレスピアまで15分位と踏んでいたが、海岸沿いだから遠くから良く見えるがなかなか近づかない。パレスピアを過ぎてから15分位と読んでいたがまだまだ。一般にイギリス人はよく歩くし、速い。結局小1時間かかって学校に着く。Eメールや電話でやり取りしていたので私のことは良く覚えていてくれたが、肝心の娘の様子は、「生徒が多くて、詳しいことは担当の先生がちょうどいないのでわからない。」ということであった。娘の話しでは、「生徒の3割位は日本人だった。」というので聞いたところ、「日本人が多いのではなく、従来韓国やインドネシアなど東南アジアからの生徒が多かったが経済不振で急減してしまった。相対的に日本人の比率が上がった。」という説明に、納得。経済力の底の深さの違いを感じた。学校の中を案内してもらい、ブライトンの街のことなども教えていただいた。案内してくれた女性(Ms.ルー)は、イギリス政府からの派遣で熊本の小学校で英語を教えていて、1年の予定が3年になり帰って来たばかりだと言う。「Brightonの語源はBright、明るい、から来ているのですか?」と聞いたら彼女は”Might be."と言って自信がなさそうだったが、隣に座って私たちの会話を気にしながらタイプを打っていた控えめな若い女性が、はっきり「イエース」と、エのところにアクセントをつけさらに伸ばして肯定した。考え過ぎかもしれないが二人の、日常の力関係、人間関係を想像してしまった。


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