グランドキャニオンのバスドライバー  No.28

17:20、ロッジのセンター前集合でバスによるサンセットツアーに出かけました。 全部でバスは3台ですが乗客は日本人・English Speaker・その他に分けられました。 ドライバー兼ガイドは小錦をずっとスマートにしたような黒人で、口ひげをはやし、非常に教養のありそうな、牧師のような、哲学者のような雰囲気をただよわせている人でした。

何時もそうなのですが、バスの一番前に座る人は旅慣れていて自分はこの国は大体知っている、そのことを見せたくてガイドと話したい人が多いようです。 バスに乗り込んで出発前、一番前に座った英語の良く出来る40代の人が、いろいろドライバーに話し掛けたのですが、ドライバー氏は聞かれるたびに完全に無視して、”I  am George"。何を聞かれてもはっきりと区切って” I am George" 。5回くらい言ってました。4回目くらいから全員大笑い。その間George はにこりともせず、不思議な雰囲気で乗客の気持ちをつかんでいきました。息子も英語はまだわからないとはいえこの雰囲気は察したようで、面白がっていましたが何か惹かれるものがあったようですが、それは私も一緒でした。

出発に先立ってGeorgeが挨拶。 ”私はGeorgeだ。これからサンセットツアーに出かける。その前にバスの番号を覚えて欲しい。Three Four Six。” また、はっきりと区切りながら、” Three Four Six”  なんとこれを全員で10回は唱和させ、”Ok。 はい。バスの番号は?” と言ってまた3回唱和させました。

不思議なもので、声に出すうちに全員の気持ちがひとつになり一体感が生じてくるのは、デモなどのシュプレヒコール、出陣前のえいえいおー! ばんざーい! と同じ効果でしょうか。甲子園で歌われる校歌や,こんどの国会で国歌になってしまった君が代などもおなじでしょうか。

ついでに、私見を述べますと、君が代については論争がありますが、私は国歌を国が(すなわち国民の総意で)決定するのは当然だと思いますが、あの暗いメロディーの君が代だけは何とかして欲しい、あんなものを歌っていたら気持ちが暗くなるし、そうでなくても今なお悲しい記憶を思い出させるメロディーなのに、と思ってしまいます。悲しい記憶を忘れさせないために制定したのだとしたら、それはそれで意義は認めますが。

挨拶は続きます。”自分はサンセットメーカーではない。” ”Listen.”と声を大きくして、”サンセットは毎日、必ずある。だが、天気によって見えたり、見えなかったりする。今日サンセットが見えるか見えないかは私にはわからない。”(少し前までは時々シャワーが降り、雷もなっていました。確率は50:50くらいだと思っていました。) ”私はサンセットメーカーではない。I am  just a Driver. I   just take you to the point." そしてまた、”Three  Four  Six。” というようなわけで、19:03サンセットを迎えるのですが。その前にGeorgeから一言。 ”サンセットは1日のうちで特別な時間である。その瞬間はおしゃべりをしたり、カメラのシャッターを押したりせず、じっと座って祈りなさい。


” サンセットツアーの最後にGeorgeが挨拶。 ”今日もサンセットが見られた。この偉大なサンセットメーカーに拍手。” ”人生は長い。毎日毎日、感謝と笑顔を忘れないように。こうやって笑顔を作ろう。”と言って、それまでややぶっきらぼうに見えたその大きい顔とが少しづつ、変化してゆきスローモーションのようにSmileに変わってゆきました。 なんと素晴らしいキャラクターの人だろうと感心して、あの恥ずかしがり屋の息子が「一緒に写真を撮りたいと言い出したほどでした。

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