アメリカ IR(Investor Relations) の旅 2

ニューヨーク証取を訪ねて

 94年11月22日(火)。ボストンから深夜ニューヨークに戻り翌朝、全米教職員組合退職者年金基金、ニューヨーク銀行を訪問し、ニューヨーク銀行のご紹介でNYSE(New York Stock Exchange ニューヨーク証券取引所)の中を見学させていただいた。

 お会いしたのはNYSEのマーケティング副社長(証取にマーケティング部門があること自体、日本では考えられない)で、応接室に案内され副社長が自らコーヒーを入れてくれた。日本のように女性秘書がお茶を運んでくるなどということはない。ポットと紙コップとビスケットが置いてあり、自分たちで勝手に入れる。

 

 さて、本題に入り、副社長は当社にNYSEに上場するように勧める。初めはお世辞かと思っていたが私どもの会社のことを良く知っており、「上場条件は全てクリアしている。たった一つだけ足りないのは株主数だけだ。」と言う。NYSEに上場するメリット(資金、世界的な知名度アップなど)、リスティングまでのスケジュール、資料は特別なものは要求しない、など、この熱心さは本物だ。「実は私は有給休暇をとって個人の意思で勉強にきているのです。」とはとても言えなかった。

 その後、「もう直ぐ15時になり、場が終わるので中へ案内しよう。」と、映画のWall Street やCNNのニュースでよく見るあのど真ん中へ連れて行ってくれた。たまたま株価が大きく下がって、副社長が「明日は東京は大変だぞ」と言われたので、「いや明日は Thanks Lavor Day(勤労感謝の日と言いたかったのだが、合ってるかどうかわかりません。)だから市場は休みです。」とお答えした。

 「Jun (ファーストネームで呼ぶところがアメリカらしい)15時になるとあの時計の下を見ていなさい。木槌で終了の合図を打つよ。」・・・待っていると「ポン」と木魚のような間抜けな音がして場は終了。 デジタルの表示板が−93を示し、さらに表示板が流れて「今年の最悪レコード」。上からはCNNのカメラが回っていた。ひょっとしたら映ったかもしれない。

 

その後、理事会の開かれるとても立派なボードルームに案内される。テレビスクリーンなどの設備が整っており、ステージの上にはプレゼンテーションを行う台があり、副社長が茶目っ気タップリに「御社の上場おめでとう」と言って一緒に写真を撮ったが照明足りず、私のディスポーザルカメラには写っていなかった。部屋には歴代の理事長の肖像画が並んでいる。これでも全部は掛けきれないず順番待ちで、掛けてもらっていない元理事長達から催促されるので、1955から、亡くなった人のみ掛けるようにルールを決めたら誰を文句を言わなくなったという。

 大きな壷を見せてくれて、これはニコライ2世がファイナンスを行った時にNYSEに贈ったもので、ゴルバチョフがNYSEにきたときレーガンが案内し、ゴルバチョフがその壷を返してくれと言ったとかいう話を披露してくれた。「そういえば副社長もゴルバチョフに似ておられますね。」と言うと「良くそう言われる。」とおっしゃっていた。

 16:30に副社長と別れ、NYSEを後にして、Wall Street を歩いてテクニメトリックスに行く。

 地下鉄に乗り、Green Line でGrand Centralで降り、ホテルに戻る。仕事の日程は全て終了。予定していた人にはすべて会った。

 近くのすし屋で、1人でビールを飲む。美味い。飛行機の遅れや、時差、緊張感、プレゼンテーションリハーサルなどから、満足に眠っていないので、疲れと安堵感、達成感が一気に広がって、頭の中がボーっとなって来た。

This is the end of 1994 NY & Boston IR Tour.

  


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