「週末を屍人とともに」
↓第一回 〔プロローグ・その@ 2006年10月10日(火)更新分〕↓
嫌だ、嫌だ、嫌だ、起きたくない。
ほとんど寝ていないと言うのに、頭は冴え切っていた。まぶたを閉じても、羊を数えても、昨夜のおれには眠りは訪れなかった。
原因は分かっている。昨日の出来事を忘れたいと願う余り、返ってそのことで頭がいっぱいになってしまったからだ。
いつもだったら、目覚ましが大音量で鳴り響こうが、バイト先から遅刻、欠勤を咎める電話が入ろうが、真梨子に叩き起こされようが、昼過ぎまでは眠っていられるのに。
眠りたい、眠りたい、眠りたい、眠りたい。
願えば願うだけ眠りの国との距離は開くばかりで、どんどん目が冴えてゆく。眠れないならいっそ消えてなくなりたい!
そうしよう、そうしよう。
頭の中で思いながら、被った毛布をいっそう体に密着させて、胎児のようにまん丸くなる。 このままどんどん小さくなって、最後にはこの世から消えてなくなるのだ。そうすれば後の事なんてオレには関係ないじゃん。
関係ない、関係ない、関係ない、関係ない。
ああ良かった。関係ないんだから、オレが怯えることない。
「一樹、どうしよう。 ねぇ、どうしたらいいと思う?」
真梨子の声が静かに立ち上って、毛布の上から控えめに揺さぶられた。
「うわぁ!」
驚いて悲鳴をあげてしまった。同時に体がビクッと震えてしまう。
「起きてるの? 起きてるなら布団から出て相談に乗ってよ、一樹」
揺さぶり続ける二つの手を背中に感じて、おれは勢いよく毛布をはねのけた。宙を舞った毛布が真梨子に被さる。茶色い毛むくじゃらのオバQみたいだ。……のっぺらぼうの。
「なにするの……」
オバQが冷静な口調で抗議の声を上げた。同時に内側から毛布がめくられた。
「うおぉっ!」
おれは露わになった真梨子の姿を目にして悲鳴を上げた。
本来あるはずの体の上には……、頭が乗っていなかった。見慣れた小さな顔は、右胸の辺りに逆さまになって垂れ下がっていた。これは……。
「おおお、お前なんで……」
「分からない。起きたらこうなってたの」
おれが言いたかったのはそう言う事じゃない。が、あえて訂正はしなかった。いったい何がどうなっているのか、混乱する頭を律して状況を把握するように努める。布団に入る前に思い描いた朝の風景とあまりにもかけ離れていた。
「真梨子、今なんて言った?」
「ん……なにを?」
真梨子の顔が逆さまのまま当惑気な表情を浮かべる。
↓第二回 〔プロローグ・そのA 2006年10月11日(水)更新分〕↓
「いや、起きたらこうなってたって言ったよな? なんでそうなってるのか分からないんだな?」
「……うん。分からない」
「よし、分かった。原因はとりあえず向こうの棚に除けておいて、どうしたらいいか考えよう。そうしようそれがいい」
有無を言わせない様に捲し立てて、おれは真梨子の頸の辺りに顔を近づけた。頸回りの皮膚に破けたり傷ついたりしているところはない。ただ根本からぐにゃりと折れ曲がっているだけだ。が、背骨が頸に達した辺りで途切れて、断面が皮膚を盛り上げていた。
「ねぇ、どうなってる? あたしの体」
「……首が折れてる……んだと思う。痛くないのか?」
真梨子の体が小刻みに揺れる。首を振っているつもりなんだろう。
「ぜんぜん痛くない。……どうしよう」
どうしようもないもんだ。おれは至極真っ当な意見を言った。
「救急車を呼ぼう」
真梨子がより激しく体を揺する。
「いや。恥ずかしいでしょ」
「じゃあどうするんだよ。このままじゃ困るだろ」
真梨子は逆さの眉間に皺を寄せて少し考え込む。
「一樹、頭持って元に戻してよ」
「ええ!だってお前絶対下手なことしない方がいいだろ、これは」
「いいからやって。やってくれないならこのまま生活する」
「分かったよ、分かった。ほんとに痛くないんだな?」
「大丈夫」
仕方ない。オレはぶら下がった真梨子の頭をゆっくり持ち上げて、元々の場所に戻した。
「出来たぞ」
「手を離してみて」
ゴロン
言われた通り離すと、真梨子の頭は重力に従ってまたぶら下がった。
「それ絶対痛いだろう、お前、なぁ」
見ているこっちが痛そうな顔になってしまう。
「ほんとに痛くない。一樹、あたしのチェストからタートルネックのセーター持って来て。それとハサミとボール紙が欲しい」
真梨子がなにをしようとしているか見当が付いて、おれは言われた通りの物を用意した。ボール紙を10センチ幅×頸を一回りするくらいの大きさに切り、パジャマを脱がせてタートルネックを着せる。頭を元々の位置で支えながらボール紙をあてがい、セーターで隠した。
「これでとりあえずは、普通に見える……かな」
全体のバランスに対して頸だけが若干短く見えるが、ぶら下がっているよりはよっぽどいいだろう。
↓第三回 〔プロローグ・そのB 2006年10月12日(木)更新分〕↓
真梨子は姿見を覗き込んで確認してから、セーター以外の部分の着替えを始めた。すっかり準備が整うとおれの前に戻ってきて言う。
「病院に行ってくる」
「なに、一人で行くのか?」
「うん。一人で行ってくる。付いてこないで」
「……分かった」
おれが頷くと、真梨子は頭が落ちないように慎重に屈んでお気に入りのブーツを履いた。
「そうだ一樹。それどころじゃなくなっちゃったから黙ってようと思ったけど、やっぱり言うよ。このまま就職しないでアルバイト生活続けるつもりなら、本当に出て行くからね。昨日した話、忘れた訳じゃないんだから」
昨日と言ったところで虚を突かれて、おれは身構えた。
「き、昨日って?」
「今言った事、そっくりそのまま昨日話したでしょ? 忘れたの」
「ああ……いや、憶えてる。分かった」
「……行ってきます」
真梨子は踵を返して部屋を出て行った。安っぽいドアが軽い音を響かせる。「お腹空いたなぁ……」という真梨子の呟きと、鉄階段を下っていく足音が聞こえて、すぐに遠ざかって行った。
静寂の戻ってきた玄関口で、おれは自分の指先を見つめた。今さっき触れた真梨子の肌が、異常にツヤツヤしていたのだ。確か、保湿クリームを変えたとかで、元々荒れ気味だった真梨子の肌が、最近はわりとしっとりしていることが多かったのだが、それと比べてもまるで別人の様な肌になっていた。
「いったいどうなってるんだ……」
疑問に答える者などなく、呟きは天井に吸い込まれていった
(プロローグ・了)
☆第四回へ続く☆
SFジュブナイル