「週末を死人とともに」




↓第四十三回 〔第四章・シーン2・その1 2006年12月21日(木)分〕↓




 一キロほど進むと、前方にトンネルが見えてきた。
 間近まで近づいていくと、左右の地面が徐々に立ち上がってコンクリート製の擁壁に変わっていく。
「うー、真っ暗ですね。暗いの苦手なんですよ」
 暗い口腔を開いたトンネル内部を覗き込んで、沢村は唸った。
「自分でこっちの方がいいって言ったくせに」
「それとこれとは別問題です。命がかかってるんですから」
 おれのつっこみに、すぐさま反論する。
「だったら、立ち止まってないでさっさと歩く」
「ひぇ〜」
 実際に、ひぇ〜と言うヤツは初めて見た。が、ふざけている訳ではないらしい。沢村は、明らかに気の進まない顔をしていた。
 トンネル内に足を踏み入れると、内部はプラットホームになっていた。実際には、トンネルと言うよりは谷間にホームを造り、その上に駅舎を被せたような構造になっている。
 島式のプラットホームが二つ並んでいて、それぞれの両側にレールが走っている。島同士に挟まれた中央部分はレールが二組並び、両端の壁際を通っている部分より倍広い。その広い部分を選んで歩いていった。急行の待ち合わせをする駅だから、こういう形になっているのだろう。
 ここ数年で改装工事を終えたホームは、おそらく最新式の設備が導入されているのだろう、車両と接する側は腰くらいの高さの衝立で囲われていた。車両が停車すると、乗車口に接する部分だけが開く仕組みの、確かホームドアという形式だったと思う。
「これ、線路から見ると圧迫感ありますね」
 沢村が衝立を指差して言う。
「ああ、なんか嫌な感じだな」
 確かに、線路上からだとプラットホームでも胸ほどの高さなのに、衝立部分は頭のずっと上の方までそそり立っている。照明がない環境では上端は暗がりに呑み込まれて、かろうじてそうと見分けられるくらいだ。身長176センチのおれでも感じるのだから、たぶん150センチ代の沢村ならなおさらだろう。
「一枚目」
 沢村が右手の衝立を指差して言う。
「二枚目」
 ある程度の距離を移動してから、また声に出して確認する。よく見ると、衝立のドアになっている部分を数えているのだった。
「っていうか、一枚でも二枚でもないぞ」
 ここに来るまでに四、五枚分は通り過ぎていた。いったいなんの儀式だ?
「いいんです、気を紛らわしてるだけですから。三枚目」
「そういえば、前の駅前でも信号数えてたよな」
「昔からのクセで、緊張したりするとなにか数えちゃうんですよ」




↓第四十四回 〔第四章・シーン2・その2 2006年12月25日(月)分〕↓




「今、緊張してるんだ?」
「暗いの苦手なんです。なにか出てきそうで……怖くありませんか」
「お化け屋敷とかそういうのでもなければ、どうってことないけどなぁ」
「あ」
 沢村が声をあげて、突然しゃがみ込んだ。
「どうした?」
 足を止めて、覗き込むと顔を上げる。
「いえ、靴ひもが解けただけです」
 暗くてよく見えないが、しゃがんだままなにかやっていた。黙って待っていると、やがて立ち上がった。
「すみません」
「うん」
 再び出口に向かって歩き出す。
「えーっと、暗がりが怖くないって話でしたよね? 四枚目」
「怖くないとは言わないよ。これくらいだったら大丈夫だって話」
 ごんっ!
 言い終わるか終わらないか、突然、右手の衝立で音がした。
「うおっ!」
 思わず声をあげて身構えると、なぜかこっちに向いた沢村がにこーっと笑った。
 左手が衝立に向かって伸ばされている。地面の砂利の上で石でも落ちたような音がした。
 状況を呑み込んで、おれは息を吐き出した。
「おっまえさぁー、やめろよなぁ」
「小野田さん、いますっごい顔してましたよ」
 そういって沢村は、堪えきれないといった風に笑い出した。
「笑いすぎ……ぷっ」
 いいながら、おれもおかしくなってきて笑った。
 こういう冗談をするやつだとは思っていなかった。これまでの道程での出来事が、おれと沢村の距離感を縮めたのだと思い浮かぶ。なんだよ、茶目っ気たっぷりじゃないか。沢村の意外な一面を見た気がして、また、胸の高鳴りを感じていた。
 沢村はまだクスクス笑っている。
「いこうぜ」
 おれは沢村の背中を叩いて先を促した。
「はいっ」
 並んで歩き出そうとして……。
 とっ。
 構内のどこかで、唐突に物音がした。密閉されている訳ではないから響きはしないが、確かに聞こえた。
「もういいって、沢村」
 そんな訳がないと思いつつ、苦笑を浮かべながらみると、沢村は緊張した面持ちで凍り付いていた。
「違います。今のは私じゃありません」
 だよなぁ。今のはもっと遠くでした音だ。嫌な予感が背筋を這い昇ってきて、おれはとにかく耳を澄ませた。音は左手から聞こえた気がする。そうと思われる方向へ神経を集中した。




↓第四十五回 〔第四章・シーン2・その3 2006年12月26日(火)分〕↓




 耳を突くほどの森閑とした空気が周囲を満たしていて、しばらくはなんの音も聞こえなかった。そのうち耳鳴りでもしそうな静寂を破ったのは、微かな、離れた位置から届く唸り声だった。
「……ァァァァァ……」
「ゾンビだ」
「聞こえました」
 ちょっと、油断し過ぎてたな。胸の内で己を戒める。
 考えてみれば、深夜中に駅入り口のシャッターが降りていて、それが今も開けられていないとしても、マンションの鉄の玄関ドアを引き倒すような連中なのだ、駅構内だから絶対いないとは言えなかった。
 唸りが聞こえたのは左前方。だいぶ先の方だった。おれ達がいる位置は、駅の中央より少し手前、まだ行程の半分には達していない。
「抜けるにはまだ距離がある。ゾンビがいるのはたぶん出口に近い方のどこかだ。どうする。このまま前進して鉢合わせするのもごめんだろ」
「それはそうですけど……、街道に戻ってもそっちが安全とは限りませんし、このままこちらからいった方がいいかもしれません」
「もし、このレールの先にゾンビがいたら? この感じならそう何体もいないだろうけど、結局は戻るしかなくなるんじゃないか?」
 沢村は、少し考え込むような仕草をみせて沈黙した。
「最初に聞こえた物音……」
 やがて、なにかを思いついたようにいった。
「ああ、あれは足音だろう。マンションで聞いたのと似てる」
 部屋の中で聞いた足音ではなく、十階の廊下を全力疾走したときに追いかけてきた足音と、頭の中で重なっていた。勢いや大きさは異なるが、質の点で似ている。
「だとしたら、ゾンビがいるのはホームの上だと思うんです」
 それで、沢村が言わんとしていることを理解した。ホーム上ならコンクリートの床を踏めばああ言う音がするかもしれない。が、線路上にいるのならば、聞こえてくるのは砂利を踏む音だ。枕木を踏めばホーム上と同じような音がするかも知れないが、ゾンビにそういう頭があるとは思えなかった。
「そうか。なら、こっちが物音さえさせなければいけるかも知れないな」
「そう思います。衝立のおかげで見つかりにくいと思いますし」
「よし、じゃ、それでいこう」
「はい」
 それからは、黙って枕木を踏んでいく時間になった。前方に小さくみえる出口の光を目指して、息を詰めて一歩ずつ進んでいく。
 途中、何度か唸り声や床を突く特有の足音が届いてきたが、いずれもおれ達のいる方へ向かってくることはなく、神経には障っても実害のあるものじゃなかった。




↓第四十六回 〔第四章・シーン2・その4 2006年12月27日(水)分〕↓




 前後のトンネル出入り口の遠い光以外、なんの明かりもない状況に息苦しさは感じながらも、ジリジリと出口までの距離は縮まっていった。
 どれくらいかかったのだろう。長い時間が過ぎたような感じがする割には、あっさりと出口に到達していた。トンネルの開口部から外に出ると、冬場の弱々しい光でさえ眩しかった。
「結局は、こっちで正解だったな」
「ええ、予想が当たってよかったです」
 ふたりして安堵の息を吐き、行く手を眺める。
 線路は緩やかに右方向へカーブし、やがて街並みに呑み込まれて視界から外れる。右手はバスの操車場。奥に立つ建物に遮られて、その先は見えない。左手には、線路沿いの道を挟んで商店らしきシャッターの列がならび。その先は二車線道路に向かって谷になっている。道の向こう側は斜面や頂上に住宅が建ち並ぶ丘になっていた。
 斜面に鎮座する団地らしき建物の一棟、屋上部分に予想外の光景をみつけて指差した。
「沢村、あれ、テントじゃないか?」
 遠目にもバラバラな色やデザイン、大きさのテントが、統一感なく、不似合いな場所に寄り固まって設置されていた。それに、その周りで動いているのは……。
「小野田さん、人もいます! きっと避難所ですよ」
 おれの言葉を受けたあと、急いで取り出したらしい双眼鏡を覗き込みながら、沢村が勢い込んだ声を上げた。
「行こう」
 確認するまでもなかった。おれにもと、差し出された双眼鏡を受け取ることはせず、沢村の空いている左手を取って駆け出す。また置いていったら、今度こそ本当に沢村の怒りを買う。そっちの方が気になった。
 線路の左側は谷間になっているため、高度差がありすぎて飛び降りるのは問題外だった。二車線道路を跨ぐところまで線路を辿ってから、丘を登る線路脇の脇道へ外れて団地を目指した。




(第四章・シーン2 了)




                    ☆第四十七回へ続く☆




                        






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