「週末を死人とともに」
↓第四十七回 〔第四章・シーン3・その1 2006年12月28日(木)分〕↓
線路脇の細い坂道は、下ると二車線道路、上ると住宅群に紛れて先は見えない。団地は、もっと線路から離れた丘の中腹に位置している。おれ達は、線路から離れて少し坂を上り、住宅街に入って行く側道へ踏み込んだ。
車一台が入るのがやっとの細い道を辿ってゆく。
この辺りは結構な傾斜地で、丘の頂上方向である右手に道路と同じ高さで住宅が建ち並び、左手は一段低くなって住宅群が二階部分の上半分と屋根を晒している。右手にだけ注意を払えばいい分気持ちとしては若干楽だが、それでも歩みを進めるごとに凄惨な光景が目に付いて暗澹とした気分に襲われた。
道沿いに軒を連ねた住居は、どれもこれも荒れ放題に荒れている。どの窓もガラスが割られ、覗き見える室内はもとより外壁や敷地内のそこかしこに惨劇の痕跡……血糊がべったりと残っているのだった。
「ひどいな」
路上にまで漂う血生臭さに辟易しながら、思わずこぼす。
沢村に聞いた話とこれまで目にしてきた光景からの想像で、大多数の人間が深夜を過ごしたはずの住宅街がどんなありさまか、理解はしているつもりだったが予想を遙かに超えていた。
おれの呟きへの返事はなかった。
予想した反応が帰ってこなかったことに不審を抱き、傍らに目をやると沢村は固い表情で物思いに耽っているようだった。視線の先は、どこともなく無惨な空虚を晒す元住居の並びに向けられている。自宅での出来事を思い起こしているのかも知れない。
宙に浮いた言葉はそのまま呑み込むことにして、足を運び続ける。目的の団地は、行く手の街並みの中に屋上部分だけを垣間見せていたが、辿り着くにはまだ少し時間がかかりそうだった。
ふと、左手に目を向けると、屋根の連なりを透かしてさっき通ってきたばかりの駅が見えた。
今いるのよりは低い高台の上に、長方形のそれほど背の高くない建物が横たわっていて、倒れた墓石を連想させた。周囲を取り巻く様々な建物の群れの向こうに、高層マンションが遠くそびえているのも見られて、これまで通ってきた道のりの意外な長さを思った。
「こうやってみると、ずいぶん遠くにきたような気持ちになりますね」
沢村の声に顔を振り向けると、おれを通り越して駅の向こう側に視線を投げかけていた。
「ああ、普通なら、小一時間も歩けば、嫌でも着くくらいの距離なのにな」
実際、それほどの時間がかかったわけでもないのに同意したくなるのは、ここにくるまでの道のりの以前とは比べものにならないくらいの密度ゆえだろう。
↓第四十八回 〔第四章・シーン3・その2 2007年1月1日(月)分〕↓
「避難所に着いたらどうするつもりですか?」
降って湧いたような質問に、思わず沢村の顔色を窺う。憂いを含んだ浮かない表情をしていた。
「避難所に着いたら……そりゃ、避難するだろう?」
沢村の様子が腑に落ちず、浮かない表情の理由を思いつけないまま、当たり前の答えを返した。なぜ、ここでこんな問いかけが飛び出すのか分からない。
「そう、……ですよね。当然です」
いいながらも、沢村の表情は冴えなかった。
なにかマズイことをいっただろうか。沢村の態度のさっきまでとの落差に、困惑している自分を感じながらも記憶をまさぐる。思い当たる節はなかった。
「なんだ? なにか引っかかってることでもあるのか」
「いえ、いいんです。私の考えが間違ってますから」
いいにくい種類の事柄かと思って水を向けたが、乗ってこない。その上、私の考えが間違ってますから、ときた。
「……」
こういういい方をされて気にならない方がどうかしてると思う。足を止めて沢村が立ち止まるのを待った。少し通り過ぎたところで足を止めた沢村は、躊躇いがちにおれに向き直った。
「なにか不満なのか? 思ってることがあるならいってくれよ」
正直、ちょっといらつき始めていた。沢村がなにを考えているのか分からないからだ。普通、こういう場面だったら、二人とも同じ気持ちで避難所へ向かうものなんじゃないのか?
「いえ、そういうのじゃなくて……」
口を開いたものの後が続かなかった。思っていることが言葉になるの黙ってを待つが、それ以上なにも言わずに口を閉じた。
「沢村だって、助かりたくない訳じゃないだろう」
「はい」
素直に頷く。なにか、苛めてるような気がしてここですっぱり無かったことにしたくなったが、押し隠して先を続けた。
「だったら、この噛み合わなさはなんだよ。これって生き延びるチャンスじゃないのか? この先に生き残った人達がいるんだぜ。なんでそんな浮かない顔してるんだよ」
苛立ちが物言いに現れているのは自分でも分かったが、もう止められなかった。責めるような口調でいってしまっていた。
「……自分でも分かってるんです。でも、気分を切り替えられなかったんです。ごめんなさい」
「だから、なにを……」
「小野田さんいったじゃないですか。 『それくらいの夢だったら叶えてやるよ』って」
沢村の言葉を受けて、マンション付属の立体駐車場でいった言葉を思い出した。確かにそういうことをおれは言った。
。
↓第四十九回 〔第四章・シーン3・その3 2007年1月2日(火)分〕↓
「バイク用品店のことか」
忘れていたわけではないし、思い浮かばないでもなかったが、まさかと思ってスルーしていた。そういうことなら、避難所に避難すれば沢村との約束を破ることになる。が、場合が場合であって、生き延びる道と天秤にかけるには重さが違い過ぎる。沢村にとっても同じことだと思っていたのだが……。
「そうです。自分でも、比べるものじゃないことは分かってるんです。だから、気にしないでください」
それだけいって、沢村は口を閉じた。おれの返答を待つように黙って待っている。
理屈がいつも感情に勝るわけじゃないし、分かっていても呑み込めない時もある。沢村が自分で間違っているという以上、そのうえおれが言うべきこともない。ただ、今この場でおれがなんと答えてやるべきか、それがすぐには思いつかなかった。
無言で向き合う数瞬が過ぎても、おれはなにも言えずに立ちつくしていた。沈黙を破ったのは、おれでも沢村でもなく、出し抜けに聞こえてきたゾンビの唸りだった。
すぐに出所を特定することは出来なかったが、通り沿いの家屋のどれかから聞こえてきているのは間違いなかった。
「いきましょう」
沢村が踵を返して歩き出す。後に付いて、その場を立ち去った。足を運びながら、いうべき言葉が浮かんでくるのを感じた。
「沢村」
「はい」
おれの呼びかけに、前を向いたまま短く答える。その背中に向かって、おれは思いついた言葉を投げかけた。
「避難所に駆け込んで足場が固まれば、用品店にだって行き安くなるだろう。後で必ず行くから、今はとりあえず我慢してくれよ」
沢村は顔だけを向けておれをみた。
よし! 納得してくれた!
そう思ってよく見ると、笑顔とも苦笑ともつかない微笑みが一瞬浮かんだ。それはすぐに消えて顔も正面を向いてしまったが、おれは釈然としなかった。
あれっ? あれれ?
内心で慌ててみても、前を歩く沢村の背中は登山用バックパックに遮られて、なにも語ってはくれなかった。
(第四章 シーン3 了)
☆ 第五十回へ続く ☆
SFジュブナイル