「週末を死人とともに」
↓第五十回 〔第四章・シーン4・その1 2007年1月3日(水)分〕↓
路地をいくつか曲がって方向を定めながら、斜面に広がった住宅街を進んだ。
何本目かの坂道に出たところで、民家の影から目的の団地が姿を見せた。典型的な住宅団地で、飾り気がなく古びた建物は高度経済成長時代の匂いがする。
そっくり同じ建物が三棟。ベランダのある面を谷側に向け、段々になった土地の上に一棟ずつ、頭の高さを違えながら並んでいる。屋上にテントを覗かせているのは、一番高いところにある棟だった。背後に丘の頂上と同じ高さの崖が控え、その上に建つ住宅が背中をみせている。先に立って歩く沢村に付いて行くと、敷地入り口の門に大手電力会社の社宅であると謳われていた。
通路兼駐車場といった風情の敷地内に入り、各部屋に通じる階段の入り口前で上を見上げる。階段は最上階である五階までしかなく、屋上には普通にはいけなくなっているのが見て取れた。なるほど、これなら屋上にゾンビが入り込む可能性は低い。
「すみませんっ。どなたかいらっしゃいませんかっ」
五階建ての屋上へ向けて、沢村の声が高く響いた。周囲の空気を一瞬振るわせ、すぐに空に吸い込まれる。屋上からは、なんの反応もない。線路からみた時には何人か確認できたのだから、ここにくるまでの短時間でどうにかなるとは考え難い。ゾンビを見間違えたのだとしても、例の唸りが聞こえてこないし、どうやって階段の通じていない屋上に上ったのか疑問が残るから、やっぱり人間だったのだと思う。
「すみませーんっ。誰もいらっしゃらないんですかー!」
沢村の再度の呼びかけにも返答はなかった。しんと静まり返った空気を押し流すように、おれ達の脇を風が吹きすぎていった。
それでも、上を見上げるおれの目に、屋上の縁を掠める黒い物が見えた。こちらを伺うように覗いたそれは人間の頭だった。
「あ……」
沢村にもみえたようで、小さく声を漏らした。二人で顔を見合わせる。次の瞬間、二人同時に叫んでいた。
「すみませんっ。生き残ったんですっ。助けてくださいっ」
「いるなら顔出してくれよっ。話くらい聞かせてくれたっていいだろっ」
再び静寂。おれ達の声が騒々しく響き渡った分、一層静寂が深く感じられる。寂しいを通り越して虚しささえ感じた。
「ダメだな。おれ達、歓迎されてないんだよ」
「……そうですね」
ぼやくような呟きに、沢村が相槌をうつ。
「今のところは大丈夫だけど、このままここで騒いでいたら、ゾンビを呼び寄せてしまうかもしれないな。ここは諦めて先に行くか」
「そうしましょうか。残念ですけど」
残念といいながら、少し安堵も含んだ沢村の声だった。
↓第五十一回 〔第四章・シーン4・その2 2007年1月4日(木)分〕↓
「ちょっと、ほっとしたんじゃないか」
「……意地悪いわないでください」
そっぽを向いた。言い過ぎたかと、すかさずフォローを入れる。
「冗談だよ。……さっきは悪かった。ごめんな」
「いいんです。私が間違って……」
沢村がそこまで言いかけたとき、空から男の声が降ってきた。
「あんた達、どこから来たんだ」
低いが通りのいい声で、明確に聞き取ることが出来た。上をみると、屋上の縁から中年男性が顔を覗かせていた。短く刈り込んだ髪に、ブルーカラーであることを示す浅黒い肌。太い眉は警戒を示して引き上げられ、その下の細めの目は、おそらく同じ理由で細められている。
「私達は、二駅先から来たんです」
沢村が、やって来た方を指し示す。
「それはまた、歩いてくるには離れたところからきたな。これだけ屍人がうろついてる中を、よく無事に来られたもんだ」
「しにん? 死んだ人ってことですか?」
「屍に人だ。当て字だが、政府の公式見解でそう呼ぶことに決まったらしい。自衛隊の人間がそういっていた」
屍人。政府の正式見解。自衛隊。ということは救助があったのか?
「そこには、生き延びた人達が避難しているんですよね。私達も受け入れて貰えませんか」
沢村の問いかけに、男は一瞬押し黙った。思案するような間のあと、「それはダメだ。断るよ」にべもなく答えた。
「……なぜですか」
「ここにいるのは、避難所で災難に遭って逃げ出してきた者ばかりだ。食料も、テントも、必要な物資が不足していて、あんた達の分どころか、自分たちのも足りないんだ」
ややすまなそうな表情を浮かべながらも、口調は決然としている。
「避難所じゃないそうです。どうしますか」
沢村が困ったようにおれをみた。
「おれ達は怪我もしていないし、まだまだ動けます。物資の調達やなんかいろいろ手伝えると思うんですけど」
今度はおれが答えると、男の返事はまたもやにべもなかった。
「ダメだ。外からきた人間を受け入れる訳にはいかない」
「どうしてですか。このままじゃ、食料だっていつか底をつくでしょう」
「我々は、この高台の向こうの小学校に避難していたんだ。そこは、自衛隊の人達がよく守ってくれていて、多くの人達が避難していた。だが、怪我もしていない一般の人が幾人も突然自然発症で屍人化した。特に若い女が何人も立て続けに、突然屍人化したんだ」
男は、一瞬、沢村に視線を投げた。
↓第五十二回 〔第四章・シーン4・その3 2007年1月8日(月)分〕↓
「それが原因で避難所は壊滅した。何百人と集まっていた人間のほとんどが避難所の内部から襲われて死んだんだ。だから、外からきた人間は―――特に女は、受け入れられない」
まるっきり、沢村がゾンビになると決めつけたいい方だった。言い掛かりもいいところだ。おれが睨み上げると身じろぎして、男はわずかに後ずさった。
「見殺しかよ」
「どういおうがダメだ。あんたは、避難所での出来事をみていないから、そういえるんだ。ここに生き残っている者を、もう二度とあんな目にはあわせられない。分かってくれ」
「おれ達だって……」
さらに言い募ろうと口を開くと同時に、男の両サイドに何人もの人間が顔を覗かせた。
全員男で、年齢は様々。老人もいれば、若者もいる。小さな子供の姿もあった。みんな一様に疲れ切った表情をしていて、目には精気が感じられなかった。
「とにかく、ここはあんた達を受け入れることは出来ない。どこか、よそを当たってくれ」
「よそっていったって」
「避難所から逃げ出せたのは我々だけじゃない。結構な数の人間が四方に散って行った。この辺りには、まだまだ生き残りがいるはずだ」
そういって男は顔を引っ込めた。他の者達も、波が引いていくように、引っ込んでいった。周囲には再び静寂が立ち込め、おれ達の息づかい以外にはなにも聞こえなくなった。
「小野田さん、もういきましょう」
「ああ、そうだな。これは無理だ。気分も悪くなる」
踵を返して建物に背を向ける。が、ふと思いついて、もう一度声をかけた。情報くらいはもう少し引き出してやろうと思ったのだ。最初に顔を出した男がもう一度顔を出した。面倒臭そうな顔をしていた。
「ここへ来る途中にボウガンで殺された死体を見かけた。ゾンビの仕業なら武器なんて使わないはずだ。実際、普通の死体だった。心当たりはないか」
男は、渋々といった感じで口を開いた。
「避難所では武器が不足していて、その辺の建物や店からいろいろな物を武器として調達してきていた。壊滅のどさくさで、その一つを持ち出した者がいたかもしれない」
そういうと男は今度こそ、頭を引っ込めた。もう一度呼んでも顔を出さなそうだった。
「さてと、いこうか」
まだまだ歩かなければいけないと思うと、溜め息が出る。
「そうですね、いきましょうか」
なんとなく沈んだ声だった。
おれ達は、社宅の敷地を出て、高台へ向かう坂道を歩き出した。道は、少しいった辺りで急激に傾斜を増し、登り切る頃には息が上がりそうなほどだった。
↓第五十三回 〔第四章・シーン4・その4 2007年1月9日(火)分〕↓
興奮した変質者のごとくはぁはぁいいながら振り返ると、疲れを慰めてくれる眺めが広がっていた。住宅街から見えたのと同じ風景だが、高さが増した分見晴らしがいい。道の真ん中に、崩れるように腰を下ろす。沢村も隣に座った。
「よかったんですか? さっきの人、私達がふたりでいたからああ言ったけど、小野田さんひとりなら、受け入れてくれたかも知れませんよ。もう少し頑張れば」
足下の街並みを眺めていると、沢村がいった。少々物憂げな感じだった。
「なに、さっきいわれたこと、真に受けてんの?」
「それは……気になりますよ」
そういって、沢村は社宅の屋上をみおろした。ここからだと、屋上全体を把握できる。屋上の上では、さっきの連中が突っ立ってこっちを伺っていた。改めて数えると十三人いた。中心に、さっき話をした男がいる。余計なこといいやがって、このバカオヤジがっ。
主に女から自然発症したという話には根拠がみえないが、事実だとしたら沢村にも可能性があることになる。気にならないわけがない。
「あんなの、仲間に入れたくないための言い訳だって」
「そうでしょうか」
「そうだよ。助けがこないなら自分たちで生き延びるしかないからな、口を増やしたくなかったんだろ。真に受けるなよ」
男がいったのが嘘だという根拠も理由もない。が、おれが一緒にいるのは沢村なのだから、彼女が不安になるようなことは、無理にでも認めるべきじゃなかった。
「……」
「気にするなってぇ」
強めにいって、肩を叩いた。
「そうですよね、気にすることないですよねっ」
「そうそう! あんなのなんの根拠もないって。そろそろ行こうぜ」
「はいっ」
立ち上がってジーンズを叩く。見ると、社宅屋上の面々はまだこちらを伺っていた。
受け入れを断った連中が、高みから様子を伺っていると思えば、警戒もしたくなるかも知れない。背を向けて歩きだそうとして、ふと気になって屋上を見返した。
よくよく見れば、テントの数が人数以上に多かった。屋上の半分近くを埋めるそれはざっと数えて二十近い。ひとり一つ使っても七つ余る。
。
↓第五十四回 〔第四章・シーン4・その5 2007年1月10日(水)分〕↓
他の設備……というかキャンプ道具を見ても、とても物資が不足しているとは言い難かった。焚き火受けだけでも五個は設置されているし、ダッチオーブンがいくつもあるし、発電機や冷蔵庫らしき物まで見受けられる。折りたたみテーブルやイスは言わずもがな。そして、ちらりと見えたテントの内部には、スーパーや量販店で売られているような、カップ麺やレトルト食品の箱がテントの形を変えてしまうくらいに詰められていた。そう思って見ると、テントの半分方がいびつな形をしている。
こっちを伺っていた中のひとりが、おれが見ている物に気付いたらしい。テントに向かって走り出した。慌てて開いていたフライシートのジッパーを下ろした。全員が後に続いて、自分達の体でテント前にバリケードを作った。おれの視線に耐え難かったのか、全員が全員、さっきとは打って変わって、引きつった愛想笑いを浮かべていた。
怒りというよりも呆れた。人間こうも保身に走れる物だろうか。
「呆れましたね」
沢村が横で冷たい目を向けていた。
「ほらな、やっぱり当てにならないって。心配して損したな」
要するにそういうことだ。呆れ果てたおれ達は、連中に背を向けて歩き出すことにした。愛想笑いがどこまでも追いかけてくるような気がする。
「もしさ、あそこが壊滅して、中の何人かが助けを求めてきたらどうする?」
「受け入れますよ。それで、手持ちの食料、全部目の前で食べ尽くしてやります」
足を運びながら問いかけると、沢村はすぐさま答えた。おれと違って、内心怒り狂っているようだった。
今更ながら、怒らせないようにしよう、と、おれは心に誓った。
(第四章 シーン5 了)
☆ 第五十五回へ続く ☆
SFジュブナイル