SFジュブナイル







 

 「週末を死人とともに」




↓第五十五回 〔第四章・シーン5・その1 2007年1月11日(木)分〕↓




 高台の上の住宅街は思っていたよりも広く、団地を後にして歩き出しても、しばらくは同じような光景が続いた。
 わりと幅の広い道の両脇には、歩道を挟んで住宅が建ち並んでいる。斜面の細道を通ったときに見かけたのと違って、やや大きめの一戸建てが目立つ。おそらく以前なら、週末の午後のこの時間、平穏で安らいだ空気が流れていたのだろうが、今となっては見る影もない。
 斜面側の住宅街と同じように、窓という窓、玄関や駐車スペースのシャッター、門、と、ゾンビの進路を阻むような物は、ことごとく破壊されている。そして、あちこちに見受けられる惨劇の痕跡―――地面にまき散らされ、乾き切らずに粘度を増した赤黒い水たまりや、壁や塀、電柱などの構造物に擦りつけられたり、べったりと張りつけられたりした血糊のあと、鼻腔を刺激し戸外にまで充満するさび臭いにおい―――が、昨夜の出来事を生々しく物語っている。それらを苦々しく思う反面、どこか慣れっこになって来ている自分を感じながら、おれは移動を続けた。
「さっきの人達の話、本当に全部嘘だと思いますか?」
 やっと、沢村が口を開いた。移動を始めてからからずっと黙り込み、落ちつかない感じで、おれの斜め後ろを歩いていた。なにを考えているのか分かってはいたが、こっちから余計なことを言い出すわけにもいかず、沢村が口を切るのを待っていたのだった。
「なんだ、まだ気にしてるのか」
 なるべくさりげない風を装って、周囲を見回しながら答える。目は合わせなかった。
「それはそうですよ。嘘にしては、屍人っていうゾンビの呼び方とか、前の避難所での話とか、無用なところがリアルでしたし……」
 横目で盗みみると、ひどく真剣な表情を浮かべている。
「沢村ってさ、騙されやすいだろ」
 おれも同じことを感じてはいた。だが、それを認めてしまうと、全部を認めてしまうような気がして、冗談めかして茶化す。団地の連中がおれ達を騙そうとしたのは事実だ。
「……私もゾンビ化してしまうんでしょうか」
 おれの台詞は聞き流して、沢村は核心に触れた。おれは足を止めた。行き過ぎそうになった沢村が、こっちに向きなおる。瞳が不安げに揺れていた。
「べつに、自覚症状があるわけじゃないんだろ? 異常に腹が減ってるとか、食べ物のことしか考えられないとかさ」
「……はい」
「だったら、気にしないほうがいいだろ。証拠がある話じゃない、いま気にするのは悩み損だと思うんだけどな」
 おれは、現状を踏まえて考えられる答えを出した。事の真偽がはっきりしない以上、気休め程度にしか物をいってやることができない。




↓第五十六回 〔第四章・シーン5・その2 2007年1月15日(月)分〕↓




「……そうですよね」 と、返しながらも、納得いってなさそうな沢村の声。
「ほらっ、そんな顔するなよ」
 背中を叩いて先を促す。おれが一歩踏み出すと、素直に歩き出した。
「この丘を下ったら、目的地はもうすぐそこだ。朝からなにも食ってないんだから、ゾンビじゃなくたって腹減ってるだろ。着いたら飯にしよう、飯に。おれはもうぺこぺこだっ」
 なるべく明るく聞こえるように、大げさな身振りも交える。
「ちきしょう、あいつら、あんなに食い物溜め込みやがって。みてろよっ、もっと美味いものがっつり食ってやるぞ」
 団地がある方に向かって指を突きつける仕草をした。わざとらしいかな。わざとらしいよなぁ、と、横目で窺うと沢村は笑っていた。
「私は昨日の夜からですよっ」
 少し調子が戻ってきたようで、つっこみを入れてくる。
「あ……」
 沢村の言葉に触発されて、おれはある重大な事実を思い出した。
「なに? どうしたんですか」
 沢村が驚いて、息を呑む。間を計って、おれは言った。
「おれもだった」
「もぉっ、なにかと思うじゃないですかっ」
 肩を落として大きく息を吐き出した。おもむろに顔を上げ、そのままスタスタ遠ざかっていく。
「ごめんごめん」
「もう、知りませんっ」
 悪びれないおれの声に、にべもない返事をして、背を向けたまま歩いていく。
「ごめんって」
「知りませんー」
 もう一度いうと、沢村の背中から冗談めかした声が発して、おれは笑いながら後をついていった。ごめんよ、ごめんよ、知りません、アナタ誰ですか、と、ふざけ合ったまま、先へ進んだ。
 住宅街は、ずっと同じような景色が続いた。団地からだいぶ離れた地点まで行っても、反対側の傾斜にはなかなか達しない。黙々と歩き続けるうち、せっかく上向いた気分は、いつしか退屈取って代わられた。
「広いな、ここは。方向間違ったんじゃないか?」
「いえ、方向は合ってるはずですよ。線路からみえるより、この辺りの奥行きが広いんだと思います」
 半ばうんざりしながらいうと、沢村がすぐさま答える。おれほど退屈してはいないようだ。どこから取り出したのか、方位磁石とコピー用紙を折りたたんだもの―――複写した市内の地図だった―――を手にしていた。用意のいいヤツだ。




↓第五十七回 〔第四章・シーン5・その3 2007年1月16日(火)分〕↓




「それにしたってさ」
「たぶん、もう少し歩けば反対側の坂道に出ますよ。頑張りましょう」
 そういわれると、それ以上なにも言えなくなって、黙って足を動かす。さらに距離を稼いで、ほんとにそろそろ高台を抜けてもいいんじゃないかと思いだした頃、沢村がぽつりといった。
「おかしいですね」
「なにが?」
「さっきも思ったんですけど、住宅街にしてはゾンビ……屍人の姿がなさすぎるんですよ」
沢村は、足を止めずに周囲を示す。
「ゾンビでいいだろ、呼び名なんて」
 どうでもいいことをいいながら考えた。おれは、ゾンビが街に溢れている状況を見ていないから、それほどの違和感を持たなかったが、沢村にしたら不自然に思えるのだろう。確かにいわれてみれば、これだけの残痕を留めて置きながらゾンビが一体も見当たらないのは妙だった。なにか理由があるんだろうか。
「それは、どっちでもいいですけど……」
 沢村が、戸惑い気味にいう。不躾な物言いをしてしまったと、反省する。
「あぁ、悪い……」
 軽く自己嫌悪に陥りながら、謝罪の言葉を述べようとすると、ふいになにか臭ってきて鼻腔を刺激した。鼻をつく、火事場特有の煙の臭いだ。進行方向をよくみると、住宅街の向こうの空が微かに霞んでみえた。あれは……。
「沢村っ、おかしい。おかしいっ」
「えっ、あ、私ですか?」
 自分を指差して、びっくりした顔をする。
「違うっ」
 前方を指さして示した。
「あっ、火事……?」
 沢村の理解が追いつくのももどかしく、手をとって走り出した。
「ちょっ、早いですよっ」
「いいからっ」
 夢中で走った。長い長いと思っていた住宅街が、それほどいかないうちに途切れて視界が開けた。
「うわっ」
「あぁっ」
見渡した光景に、おれも沢村も言葉をなくす。
 街が燃えていた。
 下り坂に向かって左手、数キロ前方を中心に、かなり広い範囲に渡って街が炎に包まれている。中心付近に、たぶん社宅屋上の男がいった、元避難所に使われていたはずの小学校の建物がみえ、その脇、ぽっかりと空いたエアポケットのような炎の空白には、黒く焦げたヘリコプターの残骸らしき物や、うち捨てられたジープやトラック、そして、黒い無数のなにか―――焼けこげて仰臥し、あちこちに散在する無数の死体―――が見て取れた。




↓第五十八回 〔第四章・シーン5・その4 2007年1月17日(水)分〕↓




「……」
 沢村が荒い息を吐きながら、無言で歩き出す。夢でもみているような足取りだ。少しいったところで力なく足を止める。
 団地の連中は、あそこで生き残ったわけだ。ひどい連中だと思っていたが、貧すれば鈍するのことわざの通り、悲惨な体験がそうさせたのだと思えば、一方的に責める気持ちは勢いをなくした。
 幸い、右手の線路側では火の手は見えない。線路の向こうに林立する建物群の上に、バイク用品店の看板が覗きみえて、ひとまず安堵の息を吐いた。それほど固執しているわけではない。ただ、目的地をなくして、行き所のない心細さを感じるのが、いまは面倒くさい。おれが、まだまだ世界の変わりようを理解していなかった事実を、突き付けられた気がしていたからだ。火災が起きようが、ゾンビに襲われようが、消防も警察も駆けつけてきやしない。火は燃えるに任せるしかないし、自分の身は自分で守るしかない。ひいては衣・食・住のすべてを、その根幹から自分で賄わなければならないだろう。人類滅亡に際して生き残るとは、そういうことなのだという理解が、ようやく訪れたのだった。
 呼吸を整えつつ、ゆっくり沢村に近づいていった。立ちつくす彼女の隣に、黙って並ぶ。
「やっぱり、部屋に戻りませんか」
 鎮火の兆しをみせない街並みに顔を向けたままで、沢村がつぶやいた。顔を向けると目が合う。ひどく真面目な顔で、先を続けた。
「たぶん、まだまだ生き残っている人とかいると思いますけど……もう十分見て回りましたよね、小野田さん。帰りましょう。私はもう、人が死ぬところとか、他人の後ろ暗いところとか、こういうひどい光景とかを、これ以上みたくないです」
 あくまで穏やかな口調だったが、いつもより熱っぽい話し方だった。
「待てよ、生き残った連中すべてがさっきのヤツらみたいだとは限らないし、みんながみんな諦めてるわけじゃないだろうし、ここは燃えてるけど、そうじゃないところだっていっぱいあるだろう。そんなに簡単に……」
 諦めるなよ、といおうとして果たせなかった。
「私はっ!」 沢村が大きな声で、そう叫んだからだ。「残った時間を二人で過ごせればそれでよかったんですっ。そのために小野田さんの部屋に行ったんですから。どこまでも生き残れるとは思ってないんですっ」
 はっきり、沢村は言い切った。興奮したせいで顔は真っ赤になり、目尻に涙が滲んでいる。 おれは返す言葉もなく、ただ沢村の顔を見つめることしか出来なかった。
「……小野田さん、世界はもう終わりなんですよ……」
 付け足すようにつぶやく。声はかすれていた。




↓第五十九回 〔第四章・シーン5・その5 2007年1月18日(木)分〕↓




 驚いていた。初めてみる沢村の勢いと剣幕に。考えに。生き残ることに希望を持っていないことにも。そこまで気持ちが固まっているとは思いもしなかったから。
 いいや。うちにくるまでの話をしたとき、沢村はなんといっていたか。―――このままこの状態が続けば、自分は生き残っても世界は滅ぶ。そうなれば、ソンビの仲間入りをするにも、餓死をするにも、時間の問題だ。だったら後悔しないために行動しよう―――そう考えておれの部屋にきたのだと、話していた……。おれが忘れていただけだ。今おれが悟ったようなことなんて、沢村はとっくに理解していたのだ。
「おれは……」
 口を開いたものの、後が続かなかった。自分が、どうしたくて外の様子をみたいと思ったのか分からない。もちろん、現状に実感を持ちたかったからだが、ここまで歩いてきてどうだろう。実感を持てただろうか。持ててなどいない。じゃあどうしようという結論には、まだ至っていない。積極的に死にたくはないが、積極的に生きたいだろうか。死にたくはないから生きたいのには違いないが、ただ生き延びることに意味はあるのだろうか? この死にかけの世界で?
 沢村は自分に誠実だと思う。現実を呑み込んで、ちゃんと自分の気持ちと向き合っている。その上で、自分勝手にならず、おれにも誠実に接してくれた。おれはどうだ。
 目的地をバイク用品店にしたのだって、沢村に聞いて適当に決めただけだ。マンションに駆け込んだのだって、勝手に体が動いただけのこと。団地に向かったときだってそうだ。自分の中に行動の指針になるような意志も考えも持たず、ただ思いつくままに沢村を引きずってきただけのこと。要するに、なにも考えていなかっただけだ……。自分が情けなくなってきて、身の縮む思いがする。
 脳裏に真梨子の顔が浮かんだ。疑問符を顔面に貼りつけたまま、なにもない空間を凝視つめる虚ろな瞳。徐々に色を失くしていく青白い頬。ありえない角度で折れ曲がりながら、頭と体の繋がりを維持し続ける細い頸。
―――か……ずき……。
 真梨子の、最後の声さえ蘇ってきて、おれの不甲斐なさを責め立てる。自分の、二年も一緒に住んだ彼女の死に際の姿をまえに、おれは……。その上、沢村がやってきて、ちょっとちやほやしてくれたからって簡単に傾いて……。
「小野田さん?」
 沢村が、目の前でオレの顔をのぞき込んでいた。
 おれは、選択をしなければならない。間違って踏んで来た道筋をほどいて、歩き直さなければならない。そうでなければ、真梨子にも沢村にも申し訳が立たない。どうすれば贖えるのかすぐには考えつかないが、まずそういうことを考えるべきだったのだ。本当は、おれがするべきだったのは……。
「おれはっ、本当は……昨日の夜、死ぬべきだったんだっ」
 絞り出したおれの言葉に、沢村は心底面食らった顔をした。




(第四章 了)




☆第六十回へ続く☆