SFジュブナイル
「週末を死人とともに」 ↓第六十四回 〔第五章・シーン3 その1 2007年1月29日(月)分〕↓ ガスランプの光を体の前面に受けて、沢村は背後の暗闇から浮かび上がってみえた。 身じろぎひとつせず、真面目な表情にひたむきさを湛えて、おれの独白を待っている。 おれは、そんな沢村と向き合ったまま、なかなか口を開けないでいた。すべて知ってしまえば沢村の気持ちはおれから離れていくに違いない。そのことに気が付いたからだった。 沢村の誠実に触発され、自分もそうあらなければ、間違った道筋を正さなければと舞い上がっていたくせに、いざその段になると、どこから話を始めるべきか、どこまでを話すべきかと思案を巡らせ、沢村を失わずにすむ算段を整えようとしてしまう。今更打算を働かせる自分の移り気に嫌気がさし、呆れながらも洗いざらいぶちまけてしまうことが出来ないでいる。 胸の中の不実さから目を反らすように、長方形に切り取られた階段口の外光に目を転じた。 屋外からの白い光が滲んで、記憶の中の反射光と重なる。 艶を含んだ瞳に映った、人工の昼光色。涙の膜に映り込んだ天井からの蛍光灯の光は、瞳孔が開いていくのに従って銅板の濁りに変わっていく。目尻から涙がこぼれ落ちて、こめかみを伝わり髪に染みこんでいった。糸の切れた操り人形そのまま、床に横たわる真梨子の体からは一切の力が抜けていた。疑問符を貼りつけたまま、なにもない空間を凝視つめる虚ろな瞳。徐々に光を失くしていく青白い頬。ありえない角度で折れ曲がりながら、頭と体の繋がりと維持し続ける細い頸。あの時、自分の荒い息づかいと両手に残るいやな感触で、自分のしたことをやっと認識したおれは意味不明の叫びをあげ続けた。 『うわっ、うわぁっ』 部屋が遠のき、横たわる真梨子だけが、視界の中で唯一の存在になる。 『うわぁ、うわぁぁぁ』 自分の悲鳴に触発されて、さらに叫び続け、体中から酸素が抜けていくのを感じた。そして、その後……おれは……おれは……。現実逃避に移ったのだ。どんどん体温をなくしていく真梨子をそのまま放り出して、敷きっぱなしだった布団に潜り込んだ。 嫌だ、嫌だ、嫌だ。眠りたい、眠りたい、眠りたい。関係ない、関係ない、関係ない。 布団に潜って幾度も幾度も繰り返し、起こった事実を忘れ去ろうとしたのだ。ゾンビ化し記憶の混乱した真梨子自身が、折れた頸に途方に暮れて助けを求めてくるまで、一晩中。 『か……ずき……』 今も、真梨子がこぼした最後の呟きが耳にこびり付いて離れない。 あの直後、しなければならないことはいくつもあった。警察に連絡し、やってしまったことを認め、すみやかに治療を求めていれば……。いや、真梨子は即死だった。助かった訳がない。それに、あの時点で百十番したところで、警察が来ようが来まいが、結局朝にはみんな滅んでいたのだから同じことだ。 ↓第六十五回 〔第五章・シーン3 その2 2007年1月30日(火)分〕↓ 違う。おれが悔やんでいるのはしてしまったことの重さと、なにもしなかった自分の行動に対してだ。ひとひとりを殺したおれに、しかも現実から逃げ出してしまったおれに、こうなって生き残る資格などないし、まして、沢村の気持ちに答えるなどもってのほかだ。あの時、おれは真梨子の後を追って死ぬべきだった。 物思いに沈んだ意識を浮上させ、再び目前の沢村に向ける。沢村は、さっきと同じ姿勢のままおれをみつめていた。テーブルの上で組まれた指は、意外に細くて長い。体格に比べて小さな顔は、照明を前から受けているせいで、ただでも滑らかな肌がいっそう輝いてみえる。一重の小さな瞳は、緩やかなアーチを描く気弱そうな下がり眉と相まって、華やかさには欠けるが強い意志を宿しているようにみえた。 不器用なりにおれへの好意を示し続けてきた沢村に、起こったことのすべてと、だから気持ちに答えることは出来ないのだということを、説明しなければならない。そう思うといっそう気が重くなった。 「沢村、びっくりしてしまうかも知れないし、本当のことのようには聞こえないかもしれないけど、よく聞いてくれ」 おれは、一応まとまってきた考えを話すために口を開いた。沢村は声には出さず、ただひとつうなずいただけだった。 「話を始める前にひとつ聞いておきたい。沢村は、おれの彼女が部屋にいなかったことに疑問を感じなかったか?」 おれの部屋で、沢村はおれに同棲相手がいることについては触れたが、それ以上のことには言及しなかった。立場上、あえて触れなかっただけだろうと思う。が、そこに疑問を持って貰うのが、説明するには早道だ。 「不思議には思っていました……。でも、週末だし、あの騒ぎが起きる前に実家に帰っていたとか、友達の家に泊まりに出かけたとか、理由はいくらも考えられますから。それに、あまり立ち入ったことを聞くのも……」 沢村は、心なし気後れしたように口ごもりつつ答える。おれは、敏感なところに触れてしまったことに気が付いた。彼女のいる男のところに押しかけて、彼女がその場にいないならそれ以上は考えない。というより、いないことに安心することはあっても、その彼女のことまでは心配しないだろう。質問の仕方が悪かった。 「じゃあ、それについておれがなにも言わない……つまり、おれが真梨子のことを心配していなかったことには?」 それでもそのまま話を続けることにした。考え直すには時間がかかりそうだったからだ。 「私に気を遣ってくれているのかと……」 沢村は落ち着かない様子で答える。 「ああ、いや、悪いけど違う。真梨子がどこにいったか分かっていたからなんだ」 「なんでそんな話を私にするんですか」 訝しげな顔をして首を傾げる。当たり前だが、本当に意味が分からないといった風で、若干、不愉快そうな気配すら漂い始めていた。 ↓第六十六回 〔第五章・シーン3 その3 2007年1月31日(水)分〕↓ 「沢村が聞きたいことに大いに関係がある。まぁ、聞いてくれ」 「はい……」 惚れた相手の連れの話なんて、おれだって聞きたくはない。沢村の反応はしごく当然だ。だからといってここでやめたら、意味がない。 「朝、おれは彼女に起こされた。前日の夜から眠れなくて……」 おれはまだ核心には触れないように、朝、沢村が来る前のことを話した。途方に暮れた真梨子に起こされて布団を出てみると、頸が折れているのに平気な顔をしていたこと。病院にいくという真梨子に頼まれて、とりあえず見た目だけでもとボール紙とハイネックのセーターで対処したこと。出がけに言い残したセリフ。お腹が空いたなぁという呟き。最初は気が進まない感じだったが、途中でなにか思うところがあったらしく、沢村は身を乗り出すように話に聞き入っていた。 「それじゃあ」 話が一段落すると、タイミングを計るように口にする。 「マンションの男の人と同じじゃないですか。真梨子さん、朝にはゾンビ化してたってことですよね」 「ああ。そういうことになる。その時には分からなかったけど」 「前の晩はずっと一緒にいたんですか? ええと、つまり、この騒ぎが起きてから外に出ていないかってことです」 さっきまでとは一変して、むしろ沢村の方が話に乗ってきた。 「ああ。彼女が七時過ぎに帰ってきてからは、ずっと一緒にいた」 ということは、当然、頸はいつ折れたのか、誰が折ったのかという疑問が湧いてくるはずだ。話の核心への誘導が、上手くいきかけていることに複雑な思いを感じつつうなずいた。 「じゃあ、ゾンビ化の原因はそれ以前にあったということですね」 沢村は、さも重要なことに気が付いたように言い切った。目に力がこもっている。 「え? ああ、そうなるな」 意表を突かれて一瞬考えた。確かにその通りだ。戸惑いつつも肯定する。なんだか、おれが想定していたのとは違う方に話が向かいだして驚いていた。 「真梨子さんになにか変わったことはありませんでしたか? ここしばらくの間に」 話の主導権は沢村に移ってしまったようだ。おいおい、どこへいくんだよ、内心ツッコミながらも、訊かれたことを考える。朝、病院に行くという真梨子を送り出すときに感じた違和感を思い出した。 「そういえば、肌が異常にツヤツヤしてたな。ゾンビ化したからって言うのじゃなく、その前から。ひと月前くらいからかな、保湿クリームを替えたとかで」 「それって、私が小野田さんの部屋でみていた物ですか?」 それも思い出してうなずいた。 「ほかには?」 「ないな」 沢村はおれと目を合わせたまましばし沈黙し、やがて苦笑いを浮かべた。 ↓第六十七回 〔第五章・シーン3 その4 2007年2月1日(木)分〕↓ 「いやですよー、小野田さん。保湿クリームがゾンビ化の原因だとしたら、私もゾンビ化してしまうじゃないですかー」 意識してか、沢村は軽い口調を取り繕う。おお、そこへいくか。おれはひとり得心した。団地でその可能性の種をしっかり胸に植え付けられてしまったのだ。当たり前だった。自分のことにかまけて忘れていた出来事がいくつも思い頭に思い浮かぶ。そういえば、真梨子の保湿クリームを手に取りながら、沢村はなんといっていたか。 『これ、いいんですよね。肌荒れが酷かったのに使い始めてから顔とかつるつるになったんですよ』 真梨子も同じことをいっていた。確か「細胞の中から肌質を改善する」とか言う謳い文句の商品だった。そして、ゾンビ化した人間はことごとく、生者よりも肌の色艶がいい……。おれが考えていると、沢村が乾いた笑いを発した。 「ははは……、否定してください、小野田さん。今のツッコミどころですよ」 引きつった笑顔をおれに向ける。 「お、おお、そうだよな、ごめんごめん。保湿クリームがゾンビ化の原因なんてあるわけないだろ」 おれも釣られて苦笑いを返した。だってありえないだろう、普通に。と、そこまで考えて、団地で話した男のいった言葉がはっきり蘇る。 「避難所では、傷も負っていない女性から次々にゾンビ化して……」 保湿クリーム使用率の男女比と言うのはどれくらい違うものなんだろう。もちろんおれは使っていないし、知り合いや友人達からも聞いたことはない。まして新商品となると、真っ先に興味を持つのは男ではないだろう。 沢村も同じことを考えていたのか、引きつった笑みを浮かべたまま、黙り込んでしまった。 「細胞の中から肌質を改善する」 まさか、まさかなぁ。と、思う。 だが、もしなにかの手違いで、新商品の中になにか―――ゾンビ化の原因になるような化学物質―――が入り込んでしまったとしたら。いや、日本の企業の衛生管理はキチンとされている……と聞いている。聞いている……だけだが。もし、原因が保湿クリームにあるとしたら、細胞の中から、肌質だけじゃなくどこか違うところも改善してしまった……のか? 沢村は真っ青になってうつむいていた。さっきまでの勢いはきれいに失せている。 「大丈夫だって、沢村。騒ぎが始まったのは昨日の夜だ、保湿クリームが原因だったら沢村だってとっくにゾンビ化してるさ。今だって自覚症状らしいものはなにもないんだろう?」 「でも!」 顔をあげて反論を口にしようとする。 「大丈夫だよ、心配するな」 おれは沢村が言葉を重ねる前に押し被せた。続く言葉を遮られて、おれの目を見つめる。しばらくの沈黙のあと「はい……」とだけいってまた下を向いてしまった。納得しきれてないのがありありと窺えた。 ↓第六十八回 〔第五章・シーン3 その5 2007年2月5日(月)分〕↓ 「っていうか、沢村、おれの話だったんだけど……」 なんの話をしようとしていたのか思い出して口にするが、なにか責めているみたいになりそうで途中でやめる。 「は、ええ? ああ、すみません。真梨子さんがゾンビ化したってことですよね。私、つい自分のことに気を取られてしまって」 そういう沢村の目は虚ろで、なんの話をしていたか、もう忘れてしまっているみたいだった。 「いや、おれが悪かった。こっちの話はもういいや」 あきらめて話を切り上げることにした。自分の話し下手を心の中で呪う。 「すみません」 「いや、いいんだ」 答えながら、内心安堵してもいた。沢村がゾンビ化するしないはひとまず置いておいて、おれの犯した罪を告白しない方がいいのかもしれないという考えが、頭をもたげ始めていたからだ。告白してしまえば沢村はきっとおれから離れていく。いくら愛だの恋だのいったところで、殺人犯だとばれてしまえばそれまでだ。おれの気持ちとしてはそれはそれで仕方がない。そういうことをしてしまったのだから。だが、いまおれが自分の罪を告白してしまうと、沢村はひとりになってしまう。こうなった世界で沢村を放り出してしまうことになる。そのことに躊躇していた。詭弁じみているが、間違ってはないと思う。 坂の上で口走った言葉にはもう触れず、せっかくだからこのまま黙って過ごしてしまえば、真梨子の件についてはなにも問題はない。おれが自分で口を割らなければ、沢村はなにも知らないままだ。せめて、どれほど残っているのか分からない生き残りの誰かに、沢村を託してから彼女の元を去りたい。もしくは、ふたりともゾンビにやられる、飢え死ぬなどの理由で世界より一歩遅れてあの世へ逝くことになるか、だ。 火に掛けていた鍋が沸騰しだした。沢村が、暗い表情のまま鍋を下ろし、コンロの火を止める。用意していた食料を調理し始めて、本当に核心に触れないまま話は終わってしまった。 沢村が皿やカップに空けた乾燥食や粉末スープにお湯を注いでいく。食欲をそそるいい匂いが立ち上って胃袋を刺激した。 「食べましょう」 「おう、今はとにかく体力つけておかないとな」 「ですよね」 お互い多少無理しつつも、和やかに食事をはじめる。 見慣れない食べ物についておれが質問して沢村が答える。といっても、内容といったら水っぽいピラフと缶詰のコンビーフ、粉っぽいコーンスープで、それほど話が弾むわけも、食が進むわけもない。ひとしきり質問してしまうと、あとはぼそぼそ、もそもそと口に運び続ける時間が過ぎていく。 ↓第六十九回 〔第五章・シーン3 その6 2007年2月6日(火)分〕↓ おれは、食べながらこの後どうするか考えた。このままここを住処にしてしまってもいいかとも思う。ここに来るまでにいろいろあったせいで、正直疲労を感じていたからだ。だけど、離れているとはいえいまだに火の手が広がり続ける避難所のことや、駅向こうでみた死体のことを考えるとここからは離れた方が無難かもしれない。 そんなことを考えていると、突然、フロアの奥で、なにかが落ちる物音がした。 ドサドサッ、バサ ふたりして音が聞こえた方へ顔をむけ、すぐに顔を見合わせる。静まりかえったフロアに耳を澄ますが、それっきりなにも聞こえない。 すぐに沢村が金属バットを持って立ち上がった。おれも立ち上がって、武器になりそうな物を探す。が、その間にも沢村はライトを片手に奥へ向かっていた。 「ちょっと待てって」 「小野田さんはそこを動かないでください」 女に待てといわれてそのまま待ってるわけにもいかない。おれは周囲を見回し、レジカウンターの脇においてあった傘とガスランタンを手に後を追った。 フロアの奥で沢村のライトが揺れているのがみえる。そっちの方へ早足で歩いていくと、出し抜けに「だれ!」と沢村の声が聞こえた。続いて聞いたことのない声。沸き上がる焦燥を封じ込めて駆けだす。まだ変声期も終わってないような男の、子どもの声だった。 「誰かいるのかっ」 強い口調で呼びかけた時、棚が倒れるような派手な音と衝撃が届いた。ほぼ同時に沢村の悲鳴が上がる。 ↓第七十回 〔第五章・シーン3 その7 2007年2月7日(水)分〕↓ 「おい!」 思わず怒声を発し、ガスランプを手にしたまま暗闇の奥へと駆け込んだ。灯りが闇を追い払い、行く手を照らしだす。おれの行動と同時に、向かう先から誰かの駆け足の音が聞こえていた。 沢村の背中がみえた。その向こうに、不必要なほど密着した状態で若い男……中学生くらいの少年の姿があった。疑問を呈する間もなく、沢村が突き飛ばされて床に転がる。少年の体当たりが沢村にヒットした瞬間を目にしたのだった。 突き飛ばされた沢村が、胸を押さえながら床を転がっていく。おれの脇を通り過ぎたところで止まった。 「沢村っ」 呼びかけても返事はない。嫌な予感がして少年をみると、呆然として立ちつくしていた。手にはナイフが握られ、追いつめられた、憔悴しきった表情で手元のナイフを見下ろす。ぐっしょりと顔を覆った脂汗が、床に滴った。 「うわっ、うわぁっ」 自分がしたことに驚愕し、火のついたダイナマイトにでもするようにナイフを振り落とした。みじめな悲鳴がフロアを満たす。ただの体当たりじゃなかった。全体重をかけたナイフのひと突きだったのだ。 「てめぇ、なにしてくれやがった!」 的中した嫌な予感に、一瞬のうちに沸騰した頭が無意識に恫喝の言葉を吐かせる。もう、少年しか目に入らなくなって、おれはほとんど絶叫していた。 「うわっ、うわっぁ」 うろたえた目をおれに向ける少年に突進し、振りかぶった右手の傘をあらん限りの力で振り下ろした。そのまま床に引き倒し、馬乗りになってたこ殴りにする。 「うおっぉ、てめぇっ!」 一発一発に力を込め、連続で振り下ろした。三発も見舞う頃には拳が痛み出し、皮膚が裂けて血が飛び散った。 「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」 うずくまり、謝罪を叫びながら少年は泣きだした。その姿に、正気を取り戻したおれは、床にうずくまったままの沢村に駆け寄った。 「沢村っ、おい、返事しろっ」 背中を向けたままうずくまる沢村の肩を揺する。返事はない。ぐったりとしたまま、力なく横たわり続ける。肩を抱いて上半身を起こすと、頭と両腕が力なく垂れ下がった。 首筋に悪寒が這い昇ってきた。頭の中で悪い予感を必死に打ち消す。逆上したおれは夢中で絶叫していた。 「香澄っ、おい香澄っ! 返事しろ、返事をしろよっ!」 (第五章 シーン3 了) |
☆第七十一回へ続く☆ |