SFジュブナイル
「週末を死人とともに」 ↓第七十八回 〔第五章 シーン5 その1 2007年2月22日(木)分〕↓ 気を抜けば折れそうな膝をなだめ透かして一階に下り、通路を抜け、シャッターをくぐって交差点の真ん中まで一気に駆けた。足を止めて興奮しきった意識を沈めることに集中する。気が付けば鼻で荒い息をしていた。呼吸を繰り返した分だけ怒りが抜けていき、吐き出した白い息の分だけ後悔が胸を満たした。 売り言葉に買い言葉だった。ゾンビ化のことで沢村がナーバスになっているのは分かっていたのに、もうひとつ大人になれなかったおれのミスだ。自分に対する急激な怒りが脳天にはい上がってきて、思わず右足を蹴り出したい衝動に駆られた。が、交差点の真ん中では八つ当たり出来る何ものも見当たらず、地面を蹴って衝撃に顔をしかめる。 「ちくしょう」 独りごちて背後を振り返った。そこには今の今までいたバイク用品店が入る前と変わらない佇まいをみせていた。黄色地に青文字の看板と、嵌め殺しの大窓を視線でなぞる。ガラス窓は冷たく見下ろすばかりで、なにかを語りかけてきたりはしなかった。 仕方ない。自分に言い聞かせる。ああまでいわれてしまっては、冷静さを取り戻したからといって戻るに戻れない。それに、沢村とは離れることに決めていたのだから、それが少し早まっただけの話とも考えられる。少なくともひとりで放り出すことはしなくて済んだわけだし、ここで戻ってまた離れるきっかけを探す二度手間を思えば、このまま別れてしまうのも悪くないと思えた。きれいな別れ方をして、いつまでも引きずられる心配はないわけだから。 それでいいのか? 沸き上がってきた自問の声に「うるせぇ」と自答して、これからどうするかを考えることにした。 以前なら車でごった返していたそこから、四本の筋をそれぞれ見通す。 来た道は少しいったところで高架陸橋になっている。人工的に造られた坂道は登り切ったところまでしか視界に入らない。背景に黒煙が幾筋もたなびいて、終末然とした光景を突きつけてくる。他の三本はどれも似たり寄ったりで相変わらず人気はなく、どこまでも閑散としていた。 普通に検討すれば駅方面への道筋を選ぶべきところだが、避けてきた道を通る気にはとてもなれない。 頭の中に周辺の地図を呼び出す。高架とは反対の道筋が、大きく迂回しながらも部屋のある方面へ通じているのを思い出した。だいぶ遠回りになるが坂もなく平坦な土地を通るし、むしろ街道筋よりゾンビの心配をしなくていいかもしれない。 よし、迂回しよう。そう決めて、もう一度用品店を振り返る。後ろ髪を曳かれる思いがあるが、断ち切るつもりで背を向けた。 「小野田さんっ」 抑えめに叫んだ高い声が、周囲に反響することなく届いてきた。 ↓第七十九回 〔第五章 シーン5 その2 2007年2月26日(月)分〕↓ いいタイミングで腰を折ってくれるよな、眉間に力を込めて心中でぼやいた。顔を向けると、史郎がシャッターをくぐっているところだった。脅えの窺える仕草でせわしなく周囲に視線を巡らせ、人気がないことを確認出来るとようやく駆け寄ってきた。 「あの、戻ってきてくださいっ、香澄さん大泣きしてるんです」 縋るような目でおれを見上げた。茶色味を帯びた、ふわっとした髪が微かに揺れた。 「泣いてるのか?」 ほんとかよ。おれは、若干驚いて聞き返した。 「はい……、泣きじゃくってて手のつけようがないんです」 史郎の言葉とさっきまでの沢村とが結びつかず、困惑を隠せなかった。史郎は史郎で困窮しきった顔をおれに向け続ける。元々優しげな眉が下がり、悲哀を帯びた憂い顔になる。おれの中でなにかの印象と重なった。 ああ、これはあれだ。史郎の目を見ておれは思った。偶然通りかかった人間に向ける捨て犬の瞳。痛々しささえ感じさせ、そのまま通り過ぎようとすれば罪悪感に苛まれてしまい、散々悩んだ挙げ句にうっかり家に連れ帰らせるだけのなにかを秘めた、打ち捨てられた子犬の瞳だった。いや、おれの心象はどうでもいい。史郎としては困り切ってなんとかして欲しい気持ちを顔に出してしまっているだけなのだろう。たぶん無意識に。おれは居たたまれなくなって目を反らした。 「って言ったって、あれじゃどうしようもないだろう?」 肩をすくめてみせると、史郎もうなずいた。沢村の態度が、とりつく島もないというヤツだと、史郎も分かってはいるらしかった。 「でも、小野田さんが出て行ったあと、香澄さん泣きっぱなしでなにを言っても聞いてくれないし、もの凄く後悔してるみたいなんです」 史郎は、振り返って用品店三階のガラス窓に視線を投げた。 「大人げなかったとは思ってるけどさ……」 子供に向かって意地悪しているような罪悪感が沸いて、おれは言い訳臭くいった。 「だったら戻ってきてくださいよ、出会ってすぐこれじゃあ僕も困る……」 そういう史郎の顔は、言葉の最後の方で自分の都合を口にしてしまった失敗に気が付いて固まった。きまりが悪そうに目を逸らした。 「あははっ」 おれはなにか可笑しくなって、声にして笑っていた。 「あ、あの、僕……」 取り返しの付かない失敗でもしたみたいに混乱しきって、意味もなく両手を泳がせる姿がおれの笑いをさらに誘う。 「ははっ、困るかっ。おまえもはっきり言うなぁ」 さっきまでおどおどしてたクセに、と妙な感心をしてしまった。 「ごめんなさい」 史郎は、それこそ叱られた子犬の面持ちでしゅんとうなだれた。 ↓第八十回 〔第五章 シーン5 その3 2007年2月27日(火)分〕↓ 「いい、いい。気にすんな」 そういってから、史郎の立場で想像してみた。確かに、困らない方がおかしいかもしれない。 「あー、でも戻りにくいなぁ」 半ば独り言のように上を見上げながら言うと、「ここはひとつ小野田さんが大人になってください」と史郎が返してきて、また可笑しくなった。 仕方がない。 「ここは史郎に免じて戻るとするかぁ」 おれが冗談めかして言うと、「はいっ」と急に元気になって史郎が答えた。こいつ、口調といいこの切り替えの早さといい沢村に似てる。ちょっと嫌だなぁ、と思っているおれに向かって、「小野田さんの彼女もその方がいいっていってますから」と、言葉を継いだ。 微妙に捉えどころのないセリフに不審を感じ、史郎の顔に確認の目を向けると、慌てたようすで言い繕った。 「か、香澄さんのことですよ」 「沢村は彼女じゃねぇよ」 認識のズレに違和を感じつつも、派手に言い放って否定した。史郎もそれ以上はなにも言わなかった。 「じゃあ、さっさと戻ろうぜ。建物に入ったらおれが先に三階にいって沢村と話すから、史郎は二階で待っててくれよ」 段取りを口にしながら史郎をみると、ふいに現出したなにかに目を奪われた様子で、目を見開いて驚愕を露わにしていた。 「なんだ?」 問いかけても、おれの肩を透かして背後に目を向けたまま史郎の表情は動かない。漠然とした不安が胃の辺りに寄り集まって来て、正体を知るために振り返った。 道は、交差点から数百メートルもまっすぐに伸びた後、緩やかに右カーブを始めて視界から消える。目を凝らしてじっと見通すと道が曲がり始める辺り、右手の舗道上に豆粒よりなお小さく見える人影を確認できた。 遠すぎて人数までは断定できないが、複数人―――ふたり、ないし三、四人―――いるように思える。相手にこちらを確認したような動きは見えない。雑談でもしながらゆっくり歩いてこちらに向かっているようだった。 史郎の状態を踏まえたうえで思いつく相手の素性はひとつ。おれは、まだ凍り付いたままの史郎の腕を曳いて、手近の建物の影に引き込んだ。 「おい、史郎。向こうはまだこっちに気が付いてない。今のうちに聞くからしっかり答えろよ」 そういって覗き込んだ史郎の顔はなにかに憑かれたでもしたように真っ青で、額には玉の脂汗が浮いていた。宙の一点を見据え、おれの声がまったく届いていないようだった。 「史郎っ」 耳元に呼びかけ、掴んだ肩を激しく揺する。ようやく正気を取り戻した史郎は、その徴に首をガクガク縦に振ってみせた。 ↓第八十一回 〔第五章 シーン5 その4 2007年2月28日(水)分〕↓ 「あいつらが、そうなんだな?」 一言ずつ念押しのつもりでおれがいうのに、「そう、そうです。あいつらですっ」と史郎は悲鳴じみたか細い声で答え、ヤバイ、ヤバイとブツブツ繰り返した。早くも泣き出しそうな顔をしていた。 よし! おれは頭の中で、気合いを入れた。 先に気がつけた分、どうするにしろこっちが有利だ。相手の機先を制することが出来る。すぐに行動に移すべきだった。 現実的に考えて戦うという選択肢はないからいまのうちに逃げ出すしかないが、沢村がまだ用品店にいる。まずは彼女と合流し、用品店でうまく息を潜めていられれば、案外簡単にやり過ごすことも出来るかもしれない。 「史郎、しっかりしろ。すぐに戻るぞ」 言い捨てて、おれは用品店入り口のシャッター目がけて駆け出した。 「え? は、はいっ」 後ろから、虚を突かれて急に現実に引き戻されたような、史郎の声が追いかけてきた。 シャッターをくぐる前に、思いついて地面に散らばる切り子の屑と鍵穴の残骸を蹴り払った。 「これ、おまえがやったのか?」 鍵穴に開いた穴を示して聞く。追いついた史郎がこっくりうなずいた。 「ここに来る前に立ち寄った店で電動ドリルをもってきたんです」 「気が付かれないといいんだけどな」 シャッターをくぐって史郎を内部に引き入れる。間髪入れずにシャッターを下ろそうとし、派手に音をたてそうになって、残りはゆっくりと下まで下ろした。 「待ってないでいいから先にいけよ」 おれがシャッターを下ろしきるまで待っていた史郎を追い立て、おれもすぐに階段に向かう。 階段下に達する寸前、史郎が脇に並べられた陳列棚のひとつを蹴り飛ばした。棚がひっくり返り、派手な音を発てて小振りなプラスチックボトルが床にばらまかれた。 ↓第八十二回 〔第五章 シーン5 その5 2007年3月1日(木)分〕↓ 「何やってるっ」 「す、すいません」 体勢を崩して自分もひっくり返りそうになりながらも謝ることだけは忘れない史郎を、襟首をひっつかまえて支え、軌道修正して階段に押し出した。 史郎が階段に足をかけるのを見届けた後、ふと転がったボトルに目を落とすとラベルにOILの文字を見つけた。これは使えるかもしれない。思いつきが頭をもたげる。 一階と二階の間にある踊り場に駆け上がって、ガラス窓から通りをのぞき込んだ。連中はまだまだ遠くにいたが、このまま歩いてくれば用品店の前に達するのは時間の問題。穴開けされた鍵穴に気が付かなければ幸い、もし気が付いたら何事もなくというわけにはいかないだろう。 ―――準備というのは常に無駄になる可能性と隣り合わせである。 誰がいつ言ったのか皆目見当が付かない言葉が脳裏を掠め、おれの足を再び階下に向かわせた。学生時代の同級生か、バイト先の同僚か、それとも他の誰かだったか。どうでもいい思考を重ねながら、「おい史郎、戻ってこい」階上へ向かった史郎を呼び寄せた。 「どうしたんですか」 OILのボトルを拾い集めている最中に、階段を怪訝そうに駆け下ってきた史郎に握らせる。 史郎の着ている上着の腹の辺りの裾をまくり上げて、開いている方の手に握らせた。浅い袋状になったそこに、落ちているボトルを次々に拾い乗せていく。 「これ持って三階に戻れ」 「どうするんですか、これっ」 意図の読めない史郎が、どんどん重くなる裾を支えながら仰天した声をあげた。 「いいから先にいけ! 説明は後だっ」 ほとんど怒鳴るようにしていうと、史郎はそれ以上はなにもいわずに階段を駆け上がった。踊り場で姿が見えなくなった後、頭上を走っていく足音が遠ざかっていった。 おれは、もうひとつの思いつきが可能かどうか確かめるため、カウンター脇の暖簾をくぐった。 (第5章 了) |
☆第八十三回へ続く☆ |