SFジュブナイル







 

 「週末を死人とともに」




↓第八十三回 〔第六章 シーン1 その1 2007年3月5日(月)分〕↓




 整備スペースには、合計七台ものバイクが停められていた。
 カウンター横の入り口を入って右手、ちょうどカウンターの裏側に当たる部分に、整備途中でカバーやパーツを外された車両が四台。正面と階段の裏に当たる左手に、手付かずの状態で三台。そちらは整備待ちなのか完品で、ざっと視線を巡らすとキーが刺したままになっているのが見て取れた。左手奥がシャッターになっていて、内部から解錠出来るようになっているのも確認して、おれはフロアに取って返した。暖簾をかき分け、一足飛びに階段に飛び込む。思いつきの計画を実行するに際して、脱出手段を確保しておきたかったのだ。本当に襲撃をされて無事に逃げ出すことができたにしても、速やかにここから離脱できなければまるで意味がないからだ。
 二段飛ばしに足を運んでいって、思うように上がりきっていない膝に疲労を認めた。元々運動神経は鋭い方ではないが、それほど鈍いとも思っていない。休息を取って多少は回復したとは言え、運動不足の上にいきなり酷使したせいでだいぶ疲れがが溜まっているのだろう。こんな状態で上手くいくんだろうか。トラブルの気配に昂揚した意識に不安がよぎる。考えたからってどうなるものでもない。マンションでの無様も思い起こして、蹴り上げる足に力を込めた。もう二度とあんな失敗は繰り返さない。
 三階の上がり口に達すると、おれの足音に気が付いて顔を向けた沢村と目が合った。史郎が事情を説明している最中だったらしい。沢村はさっきと同じイスに座って、史郎はそばに立って向き合った状態のまま、ふたりとも顔だけをこちらに向けていた。
 沢村が思わずといった感じで立ち上がった。大泣きと評した史郎の言葉は嘘ではなかったようだ。目を真っ赤に充血させ、興奮したのか顔も赤く染めていた。頬には濡れたままの涙の跡が残っている。なんと言葉をかければいいかすぐには思いつかず、そのままその場に立ちつくす。沢村も同じようで、お互い無言で向き合った。
「小野田さん、さっきは……」
 先に口を開いたのは沢村の方だった。涙の跡を拭いもせず、心底すまなそうな顔をおれに向けた。こういうとき、女がくすぐられるのが母性本能なら、男が感じるのはやっぱり父性なんだろうか。泣き腫らしたらしい沢村の顔を見ておれが思ったのは『やばいなぁ』というすでに馴染んだ感慨だった。
「ああ、もういいんだ。おれも気短すぎたし……」
 すぐに駆け寄って抱きしめたい衝動が込み上げてきて、踏み出そうとする足を必死に抑える。「それに今は時間がない」 そういうのがやっとだった。




↓第八十四回 〔第六章 シーン1 その2 2007年3月6日(火)分〕↓




「なにか案があるんですよね?」
 史郎に事情は聞いていたようで、さすがに話が早かった。沢村の切り替えの早さに触発されて、おれの衝動はなりを潜めた。さっき思いついた考えを頭に呼び出す。おれは頭上を指し示した。この手の建物には防災の目的でたいがいシャッターが設置されている。なんとなく目にしていたのをオイルを見たときに思い出したのだった。
「あくまで最悪の場合の準備で、連中がここに気が付かないで通り過ぎてくれるのが前提なんだけど」
 そう前置きしておれは説明を始めた。
「ここの防火シャッターを半分くらい下ろして、三階フロアはほぼ暗闇状態にしようと思う。それから、入り口から一メートルくらいのその辺りに、史郎に持たせたオイルを撒いておく」
 おれと沢村達の中間辺りの床を指し示す。沢村が目線を送りながら肯き、先を促した。
「その上で、おれはシャッター前に待機して連中を待ち受ける。もし連中がここまで来ても、話が出来る相手だったらそこで終了。そうでなければ、おれが連中をフロアに誘い込んで床に撒いたオイルで転倒させる。沢村達は最初からシャッター脇に隠れておいて、連中が通過した時点で階下に逃げるんだ。一階のカウンター奥、道路側に置いてあるバイクは使えそうだ。キーも刺さってた」
「話し合いが出来る相手じゃないですよっ!」
 史郎が、勢い込んで口を挟む。
「甘いかもしれないが、おれはヤツらがどういう連中か実際には見てないんだ。それを知らないままに危害を加えるような事は出来ないし、すぐ逃げ出すには時間がない。準備が出来てないからな。連中がここに来なければやり過ごすことが出来るかもしれないし、これはあくまで最悪の場合の準備だよ」
「でも……」
 落ち着かない様子で史郎は沢村に顔を向けた。助けを求めるつもりだったのだろうが、
「その後、小野田さんはどうするんですか?」
 沢村が口にしたのは史郎の望みとは違っていた。
「おれもそっちから回り込んですぐに後を追うさ」
 そういって、フロア左側の床を指し示した。実際、商品陳列棚やハンガーを回り込めば、脱出経路なんてどうとでもなる。全身オイルまみれになった……いや、靴だけでもオイルを踏んで人間が自在に動き回れるとも思えない。一階から脱出するくらいの時間稼ぎにはなるだろう。簡単な思いつきだが、おれ自身はうまく行きそうだと思っていた。
「おれが行くまでにバイクのエンジンをかけてシャッターを開けておいてくれれば、後は逃げるだけだ」
 おれが言い終わると、沢村は眉間に皺をよせた。なにかを考え込む様に天井に視線を巡らす。やがて、口を開いた。




↓第八十五回 〔第六章 シーン1 その3 2007年3月7日(水)分〕↓




「危険です。小野田さんだけにそんなことさせられません」
「そうですよっ、見つかったらあいつら本気で襲ってきますよ!」
 沢村がキッパリした口調で断定したのに、史郎も必死な様子で同調する。
「じゃあどうする? 考えてる時間はないんだぜ? それにあくまで準備だ、そうならない可能性もある」
 おれが言い返すと、ふたりとも黙り込んだ。別にいい考えがある訳じゃないようだった。
「分かりました……ただし、すぐに小野田さんが来なければ助けに戻ってきますよ」
 しばしの沈思黙考を経て、沢村が不承不承といった風に口を開いた。あくまで準備だというところに、納得とは行かないまでもとりあえず承知してくれた感じだ。
「ああ、そうならない様に努力する」
「お願いします。それと、あれを使いましょう」
 沢村がおれの背後を指し示した。階段の登り口脇に設置された消火器だった。シャッターと同じように、この手の店舗には必ず設置されているものだった。
「ただおびき寄せて、オイルを踏んでくれるとは思えないんです。下ろしたシャッターの隙間を階段側から見た場合、外からの光で床に撒いたオイルに気が付かれるんじゃないかと。だから、あれを目くらましに使いましょう。あんなものを吹きかけられたら冷静さを失って、簡単に罠にかかってくれると思います」
 確かに沢村のいうとおり、おれの考えたプランだけだと相手が追って来てくれなければ、もしくは慎重だったらオイルを撒く意味がなくなるかも知れない。こっちから手出しして興奮させてしまえば、罠にかけるのもたやすくなる。理に叶った提案だった。
「分かった。そうするよ」
 おれが答えると、沢村は力強く肯いた。
「じゃあ、すぐに準備を始めよう。沢村は荷物をまとめてくれ。防具類も必要な分、見繕って欲しい」
「分かりました」
 言うが早いか、沢村は動き出した。ライトを片手にフロアの奥に向かう。
「史郎、沢村を手伝え。こっちはひとりで十分だ」
 指示を飛ばすと史郎は沢村を追った。持ち出す物の選別作業が始まると、静かなりにフロアが活気を帯びる。
 おれはおれで、史郎が床に置いたオイルをかき集めて準備に取りかかった。




 (第六章 シーン1 了)




☆第八十六回へ続く☆