SFジュブナイル







 

 「週末を死人とともに」




↓第八十六回 〔第六章 シーン2 その1 2007年3月8日(木)分〕↓




 二階と三階の中間に位置する踊り場の窓は、床から天井まで大きく戸外の風景を切り取っていた。真っ正面に見えるのは道を挟んだ向かいの雑居ビルで、居並んだ窓の冷たい無表情さ、黒ずんだ壁面の垢染みた様が、殺伐とした空気を醸し出している。
 足下に目を落とせば、右手に向かって上ってゆく高架陸橋の入り口と、陸橋下へ逸れていく側道分岐が横たわっていて、交差点はやや左手に位置している。視線を向けさえすれば一目瞭然に見下ろす事が出来ても、対面に伸びる通りの先――複数の人影を確認できた位置まで――を見通すことは、窓の縁自体が死角になってしまって不可能だった。
 準備した仕掛けを実際に使う事態に至るのか、何事もなく無事に済むのかはまだ判断が付かず、少年達が視界内に入ってくるのをじりじりと待ち続けていた。窓際に身を潜め、息を殺して眼下の交差点を見つめ続ける。すべての準備が整い、様子を窺い始めて数分。いまのところなんの変化も見られない。
 出立の支度、罠の下ごしらえ、と、すべての準備が整うのに大した時間はかからなかった。計ったわけじゃないが、せいぜいが四分。五分までは過ぎていないだろう。
 史郎を伴って三階フロアの暗闇に踏み込んでいった沢村は、おれがシャッターを下ろしている間に、まずウエア類を三人分抱えて戻ってきた。
 スキーヤーやボーダーが身に着けている様な上下揃いの上着類、メッシュ生地の要所要所に厚手のパッドが取り付けられたフロントジッパータイプの長袖シャツとでもいう様な物、明らかに膝に取り付けるのだと分かる樹脂製のカバーの様な物、革製のグローブといった物品類が、次々床に積み上げられた。
 メッシュ生地の物が沢村のいっていたインナープロテクターだった。肩と肘に樹脂製のカバーの様な物が取り付けられていて、胸や背中部分には固いスポンジを詰めたパッドが縫いつけられている。装着の仕方は見れば分かる簡単さで、これと膝用のプロテクターをシャツやジーンズの上に装着し、さらに上着の上下で身を固めた。手の保護には革製のグローブを使い、ブーツはバイク用の物では歩きにくいし、靴擦れの危険は避けたいという沢村の意見を汲んで、履いてきたスニーカーを使い続けることになった。おれと史郎がそれらを身に着けている間に、沢村はまた暗闇に踏み込んでいった。
 消火器を階段脇の踊り場からは死角になり、しかも瞬時に手に取れる位置におれが置くまでに、わりと大きめのデイバッグをふたり分、中身を詰めて戻ってきた。食料や飲料水と必要そうな道具類を適当に見繕ってくれたという話だった。
 おれが床のいい位置を選んでオイルをたっぷりと撒いている間を使って、沢村自身も不備や不足のある装備を交換したり追加したりを済ませて、準備は整った。唯一、沢村が望んだ様にゆっくりと品物を選べなかったことだけが心残りになったが、互いに取り立てて口にするようなことはしなかった。




↓第八十七回 〔第六章 シーン2 その2 2007年3月12日(月)分〕↓




「来ませんね……」
 おれの顎の下、数十センチ下方から沢村の声が立ち上ってきて言下に疑問を呈した。目を落とすと茶色がかった髪が目に入る。
「結構遠くにいるうちに見つけたから、もしかしたらどこかで曲がっちゃったかのかも」
 右回りのつむじが持ち上がって史郎の声でそう返す。
「それならその方がいいけど、はっきりしないのが嫌だね。でも、もしそこまで来てたら下手に動かない方がいいし……」
 また沢村の声が下方から発した。
「どっちにしろ待つしかないだろ」
 おれが言うと、つむじが持ち上がって顎に接近してきた。顔を背けながら史郎の頭を押さえて言う。
「どうでもいいけど、おまえら人の顔の下でごしゃごしゃ話すなよなぁ」
 窓際に身を潜めるおれの影に身を潜めて史郎が、さらにその史郎の影に身を潜めるように沢村が、身長順に窓の切れ目に顔を寄せているのだった。覗き込もう覗き込もうとグイグイ押しつけてくるものだから息苦しい上に、至近距離で会話を始めて耳に響く。忌々しい事この上ない。
「だって、私まだ相手を見てもいないんですよ」
「来るのか来ないのか分からないと落ち着かなくて……あいたっ」
 再び持ち上がった史郎の頭に顎をぶつけられて、軽い衝撃を感じながらまた頭を押さえた。
「いいから動くなよっ」
「す、すいません」
 目の前で史郎の頭が揺れる。渋面を作ってそれを見下ろしたとたん、沢村の緊張した声が告げる。
「来たっ」
 にわかに場が緊張に包まれた。ふたり分の重みが背中に押しつけられるのを支えながら窓外へ目を向けると、少年達が交差点に進入して来るのが目に入った。
 人数はきっかり四人。歩道ではなく車道の中央を歩いて来ている。菱形に陣形を組み、手に手にボウガンをぶら下げていた。おのおの大きめのリュックサックを背負っているが、沢村が使っているような本格的な登山用ではなく、遠足で子供達が持って行く物の大人版といった感じだった。
 先頭に立つ少年は史郎が語った通りの金髪だ。ここからでは鼻ピアスは確認出来ない。小柄で色も白い。普通なら華奢な印象を受けそうなところだが、立ち居ふるまいが大きく、返って研ぎ澄まされた印象を受けた。ほかの三人に接する態度を鑑みても、命令することに慣れた感じで貫禄の様な物さえ感じさせた。どうやらリーダーシップを発揮して仲間を引っ張っているようだった。 対して残りの三人はそれぞれに横柄さを見せながらも、十五、六歳という年齢なりの幼さも併せ持っているようで、凡庸に未成熟の匂いを漂わせている。




↓第八十八回 〔第六章 シーン2 その3 2007年3月13日(火)分〕↓




 金髪が指示らしき物を出し、残りがそれに従って周囲の捜索を始める様子を眺める。
「あっ」
 唐突に、史郎が呆気に取られた様な声をあげて身じろぎをした。
「どうした?」
 唐突に沸いた声に、驚きを感じながら問いかける。
「……なんでもないです」
 なんでもないヤツの出す声じゃなかった。横目に顔色を窺う。憐れみとも取れる悲しそうな表情、続いて剥き出しの感情を表面に出してしまったばつの悪さを繕う無表情を見せた後、史郎は黙り込んだ。友人達を殺した相手を見つけて冷静でいられるとも思わないが、いま見せたのはそれとはまた違う感情の様な気がする。だが、それ以上踏み込む言葉が浮かばず、一瞬思案を巡らせておれは少年たちに視線を戻した。ここを乗り越えてそれでも気になるなら後で訊いてみればいいことだ。
 交差点の中央で少年たちは周囲を見回していた。ガラス窓と距離があるせいで声は聞こえない。それぞれ好き勝手な方向に目を配っていたが、やがてなにかを発見したかのように全員が一方に注目する。おれ達の左方向、用品店の入り口がある位置だった。
 これは来るな。そう思ってそのまま耳を澄ませていると、シャッターが引き上げられる音が階下から響いて来た。今後の成り行きが決定した。
 背中の荷重を急に感じなくなって、振り向くと沢村たちが神妙な顔をしておれを見つめていた。それぞれと目を合わせる。
「打ち合わせ通り頼むな」
 なるべく響かないよう小声でいうと、ふたりは固い表情のままに肯いた。打ち合わせ通り三階へ向かってシャッターの向こうに姿を消した。おれも階段を上って最上段に立ち、シャッターに背を向けた。
 ふたりの無事がおれにかかっている。息を大きく吸い込み、あらためて気を入れ直す。
 目を閉じ、階下の物音に耳を澄ませようとすると、「小野田さん」 沢村の声が背中にかけられた。
「どうした?」
 振り向くと、半分下げたシャッターの下端から、しゃがんだ体勢の沢村が顔を覗かせている。
 緊張と不安がないまぜになった固い表情。ためらいの間が一瞬空いて、言いにくそうに話始めた。




↓第八十九回 〔第六章 シーン2 その4 2007年3月14日(水)分〕↓




「ほんとに気をつけてくださいね。ボウガンは扱いが簡単で、素人でも命中させやすいんです」
 引き締めた背筋に、冷たい物が這い昇ってきた。タイミングの悪さと、アドバイスと言うより緊張を煽る追い打ちに近い内容に苦笑を浮かべ、「いま、それを言われてもなぁ」 冗談めかして答えた。
「でも、矢を装填するのに時間がかかるから連射が出来ません。訓練されてない射手ならなおさらです。相手が撃つ素振りを見せたら、とにかくなんとか避けてください。そうすれば、反撃の隙も見つけられます」
 ボウガンを構えた相手と対峙した時、どこに希望があるかという話だった。自分では考えもしなかった事柄で、実行の難しいことを簡単にいうとは思ったが、それでも対処への手がかりを得た思いがした。
「沢村さ、そういう知識、どこから得るんだ?」
 礼をいうかわりに単純な疑問を投げかける。沢村は「内緒です」と短く答えた。
「ははっ、もう引っ込んだ方がいいぞ」
 苦笑いで、左手を沢村の方にふる。
「無事逃げ出せたら教えてあげますよ」
 沢村は不敵とも取れる笑顔を見せると、顔を引っ込めた。
 まるで軍師だな。ふいに湧いた単語に頬を緩める。現代的にいえば戦闘アドバイザーか。間が抜けた行動を取ることもあるが、沢村には見識がある。その沢村のアドバイスを受けているのだから大丈夫だ。
 根拠というには頼りない根拠だが、そう思うことで前へ進む力が湧いてくる気がする。
 おれは改めて踊り場に目を落とし、階下から届く物音に意識を集中することにした。




(第六章 シーン2 了)




☆第九十回へ続く☆