「週末を死人とともに」




 ↓第八回 〔第一章・シーン2・その@ 2006年10月23日(月)更新分〕↓




 玄関脇に備えられたガス台に、笛吹ケトルを乗せて火を点けた。流し台に片手を付いて、お湯が沸くのを待つ。ライフラインは、まだ生きているらしかった。
 沢村は、こちらに背を向けて、身につけた防具を外し始めていた。
 パチン、パチン。取り付け具を外してゆく音が響く。顔だけをそちらに向けて、おれは沢村の動きを眺めていた。
 動作のひとつひとつに、慣れを感じさせる。成すべき事がすっかり身についた者の、無造作だが隙の無い動き。バイト中のまごついた雰囲気からはまるで別人だ。
 ハードな着衣のせいで全然色気を感じさせないが、スタイルはいい部類だった。
 プロテクターをすっかり取り払うと、今度はジッパーを下ろす音がして、革の上着を脱いだ。 綺麗なうなじが露わになって、視線が吸い寄せられてしまう。
 上着の下には、白いTシャツを身につけていた。ブラジャーの白いラインが、Tシャツを透かして浮かび上がっている。心臓の鼓動が、少し早くなった気がした。中学生でもあるまいに。見るな、見るな、と思いながらも、どうしても目が向いてしまう。
 沢村は、床に腰を下ろし、上着を綺麗に畳んだ。振り向こうとする気配を感じて、おれは慌てて顔を正面に戻した。男の視線で眺めてしまった自分に、思わず後ろめたさを感じた。
 話をしようとは言った物の、たぶん沢村が望んでいるような話をするつもりは、おれには無い。と言うか、この数分で無くなっていた。
 台所の窓から見える町並みには、確かにさっき見たのと同じく黒煙がいくつも立ち上っているのが見えるし、隣接した家々の隙間から覗く路地や通りには、TVで見たのと同じようなゾンビらしき人影が時折目に入る。だが、おれにはまだ「対岸の火事」と言うか、「海の向こうで戦争が始まる」と言うか、とにかく実感が沸かなかったのだ。
 こんなところで、呑気にお茶なんか啜っている場合じゃない。とにかく外へ出て、この目で状況を確かめたい。それがおれの本音だった。
 それに……真梨子の事もある。もしこの場に真梨子が帰って来たら、厄介な事になるのは容易に想像出来る。
 振り返ると、沢村は部屋のあちこちを見回していた。置いてある物に目を止めては、また別の物に視線を移す、と言う動作を繰り返している。ついさっきまでの饒舌振りとは打って変わって無口だ。
 なんとなく眺めていると、こっちを向いた拍子に目が合った。色白の頬が、とたんに朱に染まって俯いてしまった。




↓第九回 〔第一章・シーン2・そのA 2006年10月24日(火)更新分〕↓




「小野田さん、さっきはすみません。私、取り乱してしまって……」
 落ち着かない様子で、伏し目がちに謝罪を口にする。が、途中で途切れて沈黙が広がった。
「いや、いいよ。場合が場合だし……。気にするな」
 途切れた言葉をオレは引き取った。
「沢村さ、そんな物なんで持ってるんだ?」
 お茶が沸くまで続きそうな沈黙に息苦しさを感じて、気安さを滲ませるように問いかけた。 「これですか?」
 沢村は窓辺に置いた装備一式を指差した。
「そう。普通の人はそんな物持ってないだろう? どこで手に入れたんだ?」
 沢村は、ちょっと複雑な表情を浮かべた後、言いにくそうに話し出した。
「……お父さんの影響なんです」
「……うん?」
 プロテクターを持っている事とお父さんが結びつかない。
「いるじゃないですか、極度に心配性というか、なんでも準備しておかないと不安で行き過ぎちゃう人。うちのお父さんがそう言う人だったんです」
「ああ……」
 直接の友達や知り合いにはいないが、そう言うタイプの人が存在することは、たまに見聞きする。おもに防災とか、トラブルに関して異常に敏感な場合が多い。
「うちは四人家族なんですけど、防災袋なんて予備も入れて八セットもあるし、二階から庭に降りられる様に、非常脱出装置が設置してあるんですよ。いつも何か起こった時の事ばかり考えていて、こういう場合はこれが必要、こうなったらこれが無いと困るって、日常で必要のない物をやたらと買い揃えてあるんです」
 なるほど、紛う事なき防災マニアだ。
「じゃあ、それって普通に家にあった物なんだ?」
「いいえ、これは私が」
「はい?」
「これは私のです」
 沢村はきっぱりと言った。
「そう言う家で育ったせいで、それが普通だったんですよ。そうじゃないと分かったのは大きくなってからなんです。他所の人から見るとちょっとおかしいのかも知れないですけど、普段使わない物でもそれが手元にあって、常に使えるようになっていると安心するんです」
 少し不安そうな顔をして、おれの反応を伺う仕草をする。
 なんて言うか、答えに困った。コメント不能。特にそれについて感慨が沸かない。そうする沢村の気持ちが理解出来ないから、無難な答えを出さざるを得ない。




↓第十回 〔第一章・シーン2・そのB 2006年10月25日(水)更新分〕↓




「……別に悪いことしてる訳じゃないし、いいんじゃないかな」
 おれが選んだ答えを聞くと、沢村はホッとした表情を浮かべた。
 話題が途切れたところで、丁度良くお湯が沸いた。笛吹ケトルがけたたましい音を立てる。生活臭いことこの上ない。
 おれは、沢村に背を向けて紅茶の用意をし、沢村の向かいに腰を下ろした。テーブルを出すのが面倒で、紅茶の乗ったトレーをおれ達の間に置いた。
 互いにカップを手にして、紅茶を啜るための沈黙が降りてきた。
「で、ここまで来たのはいいけど、この先どうするつもりだったんだ?」
 沢村が一息つくのを見計らって、会話を始めた。
「……考えてなかったです。とにかく小野田さんに会うことしか頭になかったから……」
 沢村は、照れくさそうにうつむいた。眼鏡をしていないせいか、普段とのギャップのせいか、今の沢村には、男として心騒がせられるところがある。若干早くなりがちな鼓動を自制する必要があった。
「沢村……さっきは『話をしよう』って言ったけど、正直言うとおれは何がどうなってるのかちゃんと知りたいんだ」
「……そうですよね。分かります」
 一瞬、落胆の色が浮かんだが、沢村は素直に同意して見せた。
「沢村が知っている範囲でいいから、この事態がどう始まって今外がどうなっているのか、ちゃんと聞かせてくれないか?」
 沢村は頷いた。
 両手で包むように持ったカップから、紅茶を一口啜る。そして、話始めた。
「今考えるとあれが前兆だったんだと言う出来事がありました。昨日の夜のことなんですけど……」




(第一章 シーン2 了)




                     ☆第十一回へ続く☆




                        






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