「週末を死人とともに」




↓第十一回 〔第一章・シーン3・その@ 2006年10月26日(木)分〕↓




 彼女の話は荒唐無稽も極まれり、と、いったところで、これまでの流れがなければ、おれでさえまったく相手にしなかったことだろう。
 まず、沢村が"前兆"といったのは「店で食事中に亡くなった人がいた」ということだった。
 件の客が来店したのは午後七時十五分頃。二十歳前後の女性でおそらく学生。同い年と思われる男連れだったという。
 女は、来店するとすぐにカルボナーラ・スパゲティーを注文し、きっちり四十五秒で平らげた。分量への不満を解消するかのように、すぐに鍋焼きうどんを追加。それでも空腹は収まらず、次々と注文を入れはじめたのだそうだ。
 沢村曰く、女の平らげた全メニューは次の通り。
 カルボナーラ・スパゲティー、鍋焼きうどん、サーロインステーキセット、ナン&カレー、中華そば、担々麺、クラブハウスサンドイッチ、バーガープレート、ミートソーススパゲティー、ナポリタン、蟹のアメリケーヌソーススパゲティー、おろしハンバーグ、目玉焼きハンバーグ、チーズハンバーグ、キノコハンバーグ、海鮮丼、ネギトロ丼、カツ丼、親子丼、の、計十九食。
「人間が一度にこれほどの食料をお腹に納められるとは信じられなかったです」とは沢村の弁。おれも同感だ。本人も同意見だったらしい。
 最後のオーダーは長崎皿うどん。女は届いた料理をひったくるように受け取ると、同時に奇妙な呻き声を発して立ち上がった。
 一秒か、二秒か、一瞬天井の片隅に視線を投げかけたあと、スローモーな動きで床に倒れ伏した。女の手を離れた皿が宙を舞い、皿を離れた揚げそばがあんを下にして床に落ちた。実際に見ていた沢村には、それはもはや食べ物ではなく、地に落ちた鳥の巣に見えたそうだ。
 異常を察した店長と、連れの男が確かめると、女が事切れていることが分かった。店長が発した「し、死んでる」の言葉と同時にホールは混乱に包まれ、収集が付くのにきっかり二十分必要だったらしい。
 店はそのまま一時閉店。通報で駆けつけた警察官によって、現場検証と事情聴取がはじまり、沢村を含むアルバイトは職務質問に答えるだけ答えさせられたあと、退勤の許可が下りて店を後にしたのだという。
「ここまでの話だけだとピンと来ないかも知れませんけど」
 沢村はそう言って話を続けた。
「亡くなったその人が、初期にゾンビ化したひとりだと、わたしは思っているんです」
 理由は、その後沢村が実際に目にしたゾンビの特徴のひとつが"食欲過多"であることと、退勤後の帰り道、やけにパトカーや救急車が走り回っているのを目にしたことだそうだ。
 そこまで話したところで、沢村はもう冷め切った紅茶の残りをすすって喉を潤した。




↓第十二回 〔第一章・シーン3・そのA 2006年10月30日(月)分〕↓




 店を出たのは八時四十分頃だそうだ。その時間、おれは部屋にいたが、思い返してみれば、確かにひっきりなしにサイレンの音が聞こえてきていた。どういう理由でゾンビが街に溢れることになったのかは分からないが、沢村の推測が正しければ人類滅亡は、その時間帯にはもう始まっていたことになる。が、事態が本格的に表面化するのはもっと後の話、ということだった。
 帰宅した沢村は夕食と入浴を済ませてから自分の部屋に引き取り、いつもは見られないテレビ番組を見るうちにうたた寝をしてしまったのだそうだ。気が付くと午前三時を回っていた。この時、沢村が眠っている間に、世界は変貌を遂げてしまっていた。
 起こった出来事はシンプルだが、その分凄惨で惨たらしい。当然、救いはない。
 この時すでに、街にはゾンビが溢れていたのだ。一旦捕食を開始したゾンビたちは次々と人を襲い、襲われた人間は次々にゾンビ化していく。
 沢村は、目が覚めたとき、男性の野太い悲鳴を聞いた気がして、外の様子を伺うために窓を開け放った。
 それがいけなかった。
 悲鳴は、向かいの一軒家の主人の物で、ゾンビの群れに襲われている真っ最中だったのだ。結果、沢村は自宅に襲撃者の群れを呼び寄せてしまい、四人家族の沢村家は、沢村を除いた三人が、寝起きで訳も分からないままに殺された。
 沢村は電話で警察に助けを求めたが、三回目にようやく繋がった百十番の答えは、ごく冷たいものだったそうだ。
「いいですか、よく聞いてください。今現在、日本中で同じことが起こっています。通報を受けて急行した警察官のほとんどに連絡を取れなくなっているのです。警察は壊滅状態なんですよ。まだ宣言は出ていませんが、これは全国規模の非常事態です。警察はあなたを助けには行けません」
 あまりのことに返事も出来ない沢村に、追い打ちをかけるように、
「自衛隊に出動命令が出ているそうです。いつになるか分かりませんが、救助が来るまで……自力で生き延びてください」
 沢村は、かろうじて逃げだせたそうだ。父親が沢村の部屋に設置した非常脱出装置が効力を発揮したのだ。日頃から半ば趣味で買い集めてあった装備品を引っ張り出し、近くに放置してあった車を拝借して、とにかくその場を離れた。
 ゾンビの溢れる住宅街を離れ、比較的ゾンビを見かけない街道沿いで車を停めて落ち着いたあと、沢村は店に戻ることにしたそうだ。他に行き先が思いつかなかったらしい。
 店は、遠目に見ると、中途退勤した直後と変わらない佇まいを見せていた、ということだった。




↓第十三回 〔第一章・シーン3・そのB 2006年10月31日(火)分〕↓




 数台のパトカーと救急車が一台、駐車場の店舗入り口に近い部分に停めてあったし、営業中を示す看板が煌々と点っていた。
 店舗に立ち入ると、人の姿は無かったそうだ。例の女の死体をはじめ、警察関係者、従業員、ひとり残らず消え失せていた。代わりに、血溜まりや、壁にくっきり残った血糊が、なにが起こったのか示していた。これも、沢村が食事中に死んだ女が初期のゾンビのひとりだと考えた理由だろう。
 誰もいない事を確認してバックルームに籠もり、備え付けのテレビで情報を集めた。ここで、沢村はようやく起こっている事態の輪郭を把握した。
 百十番の担当者が言ったことが嘘ではなく、救助の見込みはほとんど無いということ。街に溢れているのは映画やゲームに登場するゾンビそのものの存在で、人間としての意識はなく、食欲を満たすためだけに行動していること。襲われた人間はほとんどゾンビ化していること。原因はまったくもって不明だということが、途切れがちな放送から断片的に伝わってきた。ゾンビがゾンビを呼び、日本中にゾンビが溢れている……。
 絶望的な気分で朝を待ち、そして、悟ったのだそうだ。
 このまま事態が続けば、自分が生き残っても世界は滅ぶ。そうなれば、ゾンビの仲間入りをするにも、餓死をするにも時間の問題だ。だったら後悔しないために行動しよう。
 無事に朝を迎えた沢村は、金庫室(実際は社員の業務室)に潜り込み、履歴書の束の中からおれの住処を割り出し、店を後にした。
 知る範囲のことをすべて話すと、沢村は冷め切った紅茶をすすって一息ついた。
「救助についての報道は何もなかったんだな?」
「それどころじゃなかったんだと思います」
 全国的に同時発症。最初に何人がゾンビ化したか分からないが、一人や二人の話じゃないだろう。
「あれだな。ねずみ算ってやつ」
「等比数列ですか?」
「そうそれ。たしか高校の数学で習ったっけかな」
 授業で習った例題の一部が脳裏をよぎる。
『いいかー』
 教師と言うより、自分がマルチ商法でもしていそうなぬるっとした印象の数学教師の声。黒板を滑るチョークの音。確か、ネズミ講に絡めて教わった気がする。
『ある段階のネズミ講参加者の人数を求める場合、例えば一段階に一人が六人ずつ参加者を増やした場合の五段階目の参加人数は……』
 人数を「X」、段階を「n」で「Xn」に代入して七千七百七十六人。
『ある段階でのネズミ講参加者の総人数を求める場合……』
 一段階毎にX人ずつ参加したときのn段階目までの総人数は、 X(1-Xn)/(1-X)人。 同じように六人ずつ参加で五段階なら九千三百三十人。
『これを一段階ずつ求めていくと、十一段階の総人数は四億三千五百三十五万六千四百六十六人、日本の総人口を遙かに上回る。ま、現実的には成り立たない計算だな……』
 冗談めかした教師の声が蘇ってきてめまいがした。




↓第十四回 〔第一章・シーン3・そのC 2006年11月1日(水)分〕↓




 一時間で一段階進むとすれば、昨日の午後七時にこれが始まったと仮定して、今……十六段階。解を求めることもない、とっくに全国民がゾンビ化していることになる。実際には、もっと細かい刻みで進行したのか、または逆に緩やかなのか……。地形や人口分布の影響も当然受ける。根拠のない数字を使った上に、もの凄く大雑把な計算でアテにはならない。が否定もできない。
 いずれにしろ、初期段階で悟った人間は誰もいなかっただろう。気が付いたときには完全に手遅れ。夜が明ける頃には国民のほとんどがゾンビ化。救助どころか、政府の要人達も何が起こっているのか理解する前に生ける屍と化していたかもしれない。それにしても、なんでこんなことになったのか……。
「バックルームでテレビを見たときは、こうなった理由は本当になにもいってなかったんだな?」
「はい。原因不明としか」
 オレは、テレビに歩み寄ってスイッチを入れた。
 さっきと同じチャンネルは、ノイズが走っているだけだった。ざっと巡ってみるが、一局も放送できているところはない。画面を埋めるモノクロの砂嵐をジッと見つめた。
 真梨子はどこへ行ったんだろう。たぶん、朝にはゾンビ化していたのだ。そうでなければ、頸が折れて生きていられる訳がない。しっかり意識を持っていたのが不思議と言えば不思議だが、それよりも気になるのは真梨子がゾンビ化した理由だ。朝、家を出て行くまで、おれとずっとこの部屋にいたのだ。原因はそれ以前にあると考えた方が自然だろう。
 オレはテレビを消して立ち上がった。沢村に向き直って宣言する。
「とにかく表へ出て、自分の目で街がどうなってるのか確かめたい」
 沢村は、少し困った表情をした。
「外は危ないですよ」
「ここにいたって同じことだろ?」
「自分から危険に身を投げなくてもいいじゃないですか」
「部屋に籠もって、ゾンビが雪崩れ込んでくるのを待つだけなんて嫌なんだ。納得したら後で戻ってきたっていいんだし……なんだったら、沢村はここでおれが戻るのを待っていたっていいぞ」
 沢村はおれの顔をじっと見つめた。
「……分かりました。一緒に行きます」
 本気を感じたのだろう、諦めたようにいうと立ち上がった。
「それじゃあ準備を始めよう。沢村は持ち物を全部持っていった方がいいだろう。戻ってこられるとも限らないからな。おれは……」
 沢村は持参のフル装備。おれは準備とは名ばかり、普段着にフライパンだけを手にしてアパートのドアを開けた。蝶つがいが、安っぽく軋んだ。




(第一章 シーン3 了)




                      ☆第十五回へ続く☆




                        



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