「週末を屍人とともに」




↓第十五回 〔第二章・シーン1・その@ 2006年11月2日(木)分〕↓




 “最後の審判”から十六時間とおよそ三十分後の世界。
 月並みな物言いだが、こうなって初めて外に踏み出すおれにとってはしっくりくる表現に思える。深夜から早朝にかけては、散発的ながらもまだ爆発音や銃声が聞こえていたらしいが、今はすっかり鳴りを潜めている。街は静かで、静寂に包まれているとかいうよりも、いっそ無音といった方がふさわしい。
 こうなる前、普通に街を歩いていると、人や車の流れの空白が偶然に噛み合って世界に自分ひとりしか存在しないかのような、なんの物音も人影も届かなくなる一瞬を経験することがたまにあった。それはもちろんすぐに崩れて、ありきたりな日常が戻ってくるのだが、今は永遠に続くその一瞬に迷い込んでしまったような、夢見心地な感じがする。道や建物の輪郭に、なんとなくあやふやな印象をうける。
 持ってきたフライパンを、左手で持って右手の拳でたたく。
 ここん、こん。
 簡単な打楽器みたいで、調子を付けて叩いているとリズムが生まれて歩みにも勢いがつく。
 こん、ここん、ここん、こん。
「小野田さんっ、歩くの速いです。もう少しゆっくり歩いてくださいっ」
 背中から沢村の声が追いかけてくる。振り返ると、沢村が早歩きをしていた。置いていかれまい、そう言う気迫がちっこい全身に漲っている。
「ひとりでいるみたいに歩くんですね」
 数メートルの空間を埋めてやっと追いついた沢村は、口をへの字に曲げて精一杯不満を表明していた。上目遣いにおれを見あげる。もっと早くに声をかけるなりすればいいものだと思うんだが……。
 こん、ここん。
「それ、うるさいです」
「うぅ、ごめん」
 沢村が、左手に握られたフライパンに目を落としてため息をついた。楽しく叩いていたのにがっかりだ。
「不満なんですか?」
 気持ちが顔に出てしまっていたのだろう、沢村が切り込んでくる。
「いや……不満なんてそんな……」
 ひるんだおれの顔をみあげて、もう一度ため息をついた。
「ほんと、ひとりでいるみたいですよね、小野田さん」
 うつむいていう。
「ああ、……ごめん。よく言われる」
 かつて、デートの度にそう言う不満を漏らした相手は、今、ゾンビに混じってどこかを行進している……たぶん。部屋を出て行く前の真梨子の背中が、脳裏に浮かんで消えた。




↓第十六回 〔第二章・シーン1・そのA 2006年11月6日(月)分〕↓




「もう少しゆっくり歩いてください。以前だったらわたしが疲れるだけですみますけど、今ははぐれたら危険なんですよ」
 はぐれたら、のところにやたらと力が籠もっているように感じて、「……なんだよ、怖いのかぁ?」半分からかうような口調でいった。今ひとりにされたらおれだって怖い。が、沢村は首を振った。
「いいえっ、小野田さんをひとりにさせてしまうのが不安なんですっ。ろくに準備も出来てないじゃないですか。今わたしとはぐれたらどうなるか考えてください」
 豹変した世界で一夜を生き延びた女と、ついさっき足を踏み出した男とでは、確かに舞台の理解度がぜんぜん違うだろう。
「……面倒かけるねぇ」
 おれがぼそっとこぼしたセリフは聞き流して、かわりに質問を投げかけてきた。
「さて、これからどこにいきますか?」
 どこにでも連れて行ってあげるよ、そんな感じの物言いだった。
 どこへと言われても、もちろん目的地などはない。そもそも街の様子を見るために出てきたのだから、どこへ行ってもどこへ行かなくてもいいのだ。
 今立っている歩道から、通りを見渡してみる。全部で四車線の幹線道路で、両脇にはスクラップ工場やカー・ディーラー、なにを作っているのか知らない製造工場や郊外型のパチンコ店など、住居ではない建物が多く建ち並んでいる。
 見える範囲に限れば端から端までまっすぐに続いている道路は、右手の消失点から左手の消失点まで視線を巡らせてみても、人間どころかゾンビ一匹見あたらなかった。
「とりあえず、この目でゾンビを確認したい。どこにいけば見られる?」
 まだゾンビを見ていないことに気が付いてそういった。
「たぶん、餌がいそうなところならどこでも」
 餌という言葉を選んだ沢村の言葉に、唐突に苦みが混じったのを感じた。昨夜の自宅での出来事を思い返させてしまったのだろう。配慮が足りなかったかもしれない。
「そういえばさぁ、それってどこで手に入るんだぁ?」
 沢村が身につけているプロテクターを指差して聞いた。声が大きくなってしまった。わざとらしくなかったか気になるが、悟られてもまぁいいだろう。
「このボディーアーマーですか? ……ネットで取り寄せたものだから、その辺には置いてないです。警察や自衛隊に関わりのあるところになら、似たようなものはあるかも知れないですけど……」
 沢村は、頭にある知識を参照しながら、とぎれとぎれ答えた。




↓第十七回 〔第二章・シーン1・そのB 2006年11月7日(火)分〕↓




「この先さ、ゾンビに遭遇したときに普通の服装じゃ具合が良くないだろ? 映画みたいに傷付けられただけでゾンビ化するなら、なにか身を守るものがいると思うんだ。近くでそういうの置いてありそうな場所、ないか」
 確かに身を守るものは必要そうだ。気をつかって始めた話だが、いってるあいだにその気になってきた。
「そうですね……」
 沢村も、まんざらでもなさそうに考え始める。一般仕様とは違う沢村脳内ナビゲーションが、フル駆動で目的の知識を検索している、ように見えた。
「そういうことなら別に軍用のボディーアーマーじゃなくてもいいと思います。わたしのは趣味で必要以上のものを買っただけですから……簡単に手に入りそうなところだったら、バイク用のライディングジャケットなんかいいんじゃないでしょうか。百キロ以上での転倒を想定して作られた、引き裂き強度に優れたものがいくつも用意されてるはずですし、ジャケットの下に着るオフロードツーリング用のインナープロテクターみたいなものがあるはずですよ。そこまで揃えられれば、ちょっとした防具の役割を果たしてくれると思います。……銃で撃たれたりすればまるっきり役に立ちませんけど……」
 なにやら専門用語的な言葉が混じって一部理解しきれないところがあるし、ずっと以前から銃で撃たれることを想定して軍用品を買いそろえる趣味は果たして防災マニアの娘として相応しいといえるのか気になるが、とりあえず思いっきりうなずいておくことにする。
「OK、OK。じゃあ、それ取りに行こう。どこにあるか知ってるか?」
 沢村は目の前の通りの左手を指差した。
「ここをまっすぐ行って街道に突き当たったら右に五キロくらい先に、バイク用品店があります。オフロード用品に力を入れているお店ですから、そこに行けばたぶん手に入るはずです」
 なぜかちょっと誇らしげな沢村を促して、おれはバイク用品店を目指して歩き始める。フライパンは重いから小脇に抱えた。
「小野田さんっ、もうちょっとゆっくり歩いてくださいっ!」
 背中から沢村の声が追いかけてくる。今度は振り返らずに少し速度を落とした。そのまま沢村がとなりに並ぶのを待つ。
 アスファルトの一粒一粒、沿道の建物の輪郭のひとつひとつ、上空を横切る架空電線の一本一本がはっきり見て取れる。さっきまでと違って、夢見心地な気分が薄れてきている。
 追いついた足音の一歩一歩が、これが現実であることを強調していた。




(一章 シーン1 了)




                    ☆第十八回へ続く☆




                        

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