「週末を死人とともに」




↓第十八回 〔第二章・シーン2・その@ 2006年11月8日(水)分〕↓




 無愛想な四車線道路を端まで歩ききると、旧街道に出る。
 こちらは、飲食店や量販店が多く軒を連ね、平行して私鉄が走っているからところどころで駅前に入っていく分岐があり、沿道に大学のキャンパスや大手電機メーカーの社屋、菓子メーカーの研究所などが散在しているせいもあって、以前は賑やかな道路だった。その割りに片側一車線の狭さで、いつ通っても車が連なり、通行人で混雑していたから地元の人間には敬遠されがちだった。
「うわぁ、閑散としてるなぁ……」
 思わず漏れたおれの言葉が、思ったより強く路上に響く。家具の入っていない住居と同じで、吸収する物が少ない分声が反響しやすいのだろうか。単に騒音がないせいかもしれない。
「おかしな感じですよね、前はあんなに騒々しかったのに……」
 沢村は、あたりを見渡してため息をついた。
 道の両脇にひしめく建物の列は、主をうしなってぼう然と立ちつくしているように見える。どれもこれもシャッターを閉め切ったまま立ち入りを拒んでいた。おれ達は寒々とした気分で道を辿り始めた。
 少し行ったところで、街道は川を横切る。橋を渡りきった先は、最初の交差点が最寄り駅への入り口になっている。
「ちょっと待ってください」
 橋に達するところで沢村が足を止めた。
「どうした?」
 振り返ると、リュックサックを下ろして中から双眼鏡を取り出していた。これもオペラグラスなんて代物じゃなくて、立派な作りの一品だった。
「橋は気楽に渡っちゃダメですよ。途中まで行って前後を塞がれたら逃げ場がなくなっちゃいます」
「そんな大げさな」
 半ば呆れ、半ば感心しながら眺めていると、双眼鏡を覗いて橋の反対側、川上川下それぞれの土手上をチェックする。ざっと見渡して何度かうなずき、最後にもう一度見渡してようやく双眼鏡を目から離した。
「だいじょうぶです。川下に何体かうろうろしていますけど、距離があるから影響ないと思います。行きましょう、走りますよっ」
 言うなり全速で駆け出す。
「おい! ちょっと待てよ」
 出遅れたおれを尻目に、橋の車道部分を選んでぐんぐん遠ざかっていく。沢村の足は思っていたより早い。仕方なくおれも駆け出す。追いかけて走ると、橋の中程に達したあたりで足がもつれるのがはっきり見えた。
「……!」
 声もなく、地面に吸い寄せられでもしているみたいに転倒する。「バタン」という音が聞こえた気がした。すぐに追いつき、沢村の前に回り込んで腰を落とす。




↓第十九回 〔第二章・シーン2・そのA 2006年11月9日(木)分〕↓




「だーいじょうぶかよっ」
 万歳しているような体勢で路面に密着している。マンガみたいなやつだ。
「ふぁ、ふぁひひょうふれす」
 鼻でも打ったのかもしれない。不明瞭な喋り方でとりあえずの無事を告げ、よろよろと立ち上がる。手でさすっている鼻は真っ赤で、目尻に涙が滲んでいた。
 一月ほど一緒に仕事をして、「どんくさいやつだ」とは思っていたが、今日だけでいろいろな評価が沢村に対する印象に加わっていた。切羽詰まると無茶もするし、どうにもならなければ力も発揮するらしい。それに責任感も強い。たぶん、自分の方が状況を分かっているのだからという気負いがあって、張り切りすぎてしまったのだろう。
「ちょっと見せてみろよ」
「ふぁひ」
 鼻を覆う手をよけて見ると、赤くなってはいるが別にすり剥けたりはしていない。
「だいじょうぶだろ。張り切るのはいいけど無理するなよな」
 鼻っ面をひと撫でしていった。
「ふぁい、ふみまふぇん」
 沢村は、顔を真っ赤にしてふがふが答える。部屋で迫って来たときの顔が思い浮かんだ。あれだけ大胆な行動をとっておいて、これっぽっちのことで赤面してしまう。「こいつ、おもしれぇなぁ」と感慨が沸き上がってきて、思わず笑みが零れる。
「そんなに笑わなくてもー」
「いやいや、馬鹿にしてるわけじゃないんだ、気にするな」
「もぉー」
 なんとか込み上げてくるおかしみを収めると、口を尖らせる沢村の仕草に続く言葉を失った。心臓がひと跳ねして、体温が一度上昇する。悟られたくなくて、視線を逸らす。
「どうかしたんですか?」
「なんでもないよ」
 顔が赤くなって無いだろうか。顔色には出にくい方だが気になって正面を向けない。泳ぐ視線を、街道に平行して走る私鉄の橋げたに投げる。視界を横切る大きな鉄橋は普段と変わらない佇まいを見せていた。ちょうど、おれたちの正面、橋の中央付近にひとつだけ人影がある以外は。
「……おい、沢村」
「なんですか? あ……」
 遅まきにおれの視線を追った沢村も、気が付いて言葉を呑む。
 おれ達がいるのより、一メートルくらい高い橋げたの上の人物は、なにをするでもなく呆けた顔を若干上に向け、ただ突っ立って体をゆっくりと揺すっていた。
「……アァァァァ……」
 時折、か細い呻き声がその口から零れる。二十代中盤ほどの男で、かぎ裂きや血糊で汚れたダークスーツを着込んで、こちらに左肩をむけている。橋と橋の間は二十メートル足らずの距離なのに、男はおれ達に気が付いてはいないようだ。




↓第二十回 〔第二章・シーン2・そのB 2006年11月13日(月)分〕↓




「いったいどこをチェックしたんだよ?」
 目を離さないまま、思わず声を潜めて沢村に問う。
「すみません……」
 沢村も同じように見据えたまま、ほんとにすまなそうに答えた。
 それにしても……、と、おれは思う。はじめて間近に見るゾンビは、揺れているのと呆けた様子以外生きた人間と大差ない。聞いていなければ気が付かなかったかも知れない。やつらの肌の色は、それほど映画やゲームに登場するゾンビと違っている。体表の服から露出した部分がツヤツヤした肌色をしていて、生者よりもむしろ健康そうなのだ。腐ってもいないし、ここからでは分からないが腐敗臭もしなさそうだ。
「小野田さん。小野田さんっ」
 袖を引っ張られるのを感じた。顔を向けると、沢村はこの場を去ろうとしていた。男に視線を向けたまま、横にジリジリと移動をしているのだった。
「今のうちに行きましょう。早くっ」
「あ? ああ、分かった」
 沢村に倣って、ゆっくりと動く。二十メートル近い空間に隔てられているのだからそれほど気を使わなくても良さそうな物だが、沢村はひどく緊張しているようだ。岸に近づくにつれて徐々に歩みを早め、橋台をまたぐ頃には駆け足になっていた。後ろを振り返り、十分に離れたと判断すると足を止めて呼吸を整え始める。
「あれだけ離れてたんだから、そんなに慎重にならなくても良かったんじゃないか?」
 落ち着くのを待ってから疑問を投げる。
「ゾンビの中に、あれくらいの距離を飛び越えるのがいるんですよ。さっきのがそうか分かりませんけど見分ける方法がないので……」
「マジで?」
「はい」
 驚いて振り返る。ゾンビは相変わらず橋げたの上で揺れていた。
「おれも、もうちょっと気をつけるよ……」
 道路の両側はふたたび建物が建ち並んでいる。右手には一階にレンタカーショップの店舗が入ったマンション。左手には同じく一階にコンビニエンスストアが入ったマンションがある。コンビニエンスストアは店内照明が点きっぱなしだが人影は見あたらず、陳列棚のほとんどが倒されている。道は数十メートル先で交差点になっていた。信号がいつもと変わらず作動していて、おれが目を向けると赤から青に変わった。




(第二章 シーン2 了)




                     ☆第二十一回へ続く☆




                        






SFジュブナイル