忘れないで下さい、これは飾り物ではないと言う事を。
忘れないで下さい、これは綺麗なものじゃないと言う事を。
忘れないで下さい、これは決して何かを守る為にだけ使われるのではない事を。

覚えておいて下さい、私はこれが嫌いなんだと言う事を……あなただけは。



「ピストル」



「久しぶりね。」
ノックもせずに入ったのは、人気の無い海辺にひっそりと建つ質素な小屋だった。
居酒屋ともパブとも見られるし、何かのアジトだと言われればそれもありかと思える。
恭介は陽子が誰に声を掛けたかさえ分からなかった。それほどに店内は暗く、静かだったから。
彼女について壁伝いの階段を下りていく途中も、二人の足音とかすかな波の音しか聞こえない。
下の薄暗いカウンターの中で大きな黒い影が動いていた。
「6年間音沙汰なしで、急に訪ねてきたかと思ったら男連れか…全くお前は…………よく無事だったな。」
暗闇の中から現れたのは、2m近くはあるのではないかと思われる体格の良い大男だった。
男は彼女の顔をじっと見、やがて表情を緩めるとぎゅっと抱きしめる。
細身の陽子の体が壊れてしまうんじゃないかと一瞬思って、恭介の手が無意識に動いたが、
その男は陽子を大切にしていたことがすぐに見て取れた。
安堵とも嫉妬ともつかない感情が恭介の脳裏を掠める。
「あの……。」
恭介の声に男がゆっくり顔をあげた。
「お前は陽子の何だ。」
―それは俺が言いたいよ……。
「俺は…えっと……。」
きっぱり言えない自分が腹立たしい。
「恋人。……ね?」
さらりと言った陽子の顔は、その口調とは裏腹に少し苦しげだった。
「ああ。」
再び男に視線を戻し恭介が答える。
男と恭介は数秒の間、視線でもって戦っているようだった。
やがて男が折れ、視線をはずす。
「俺は源次だ。菅原源次。ジンとは血はつながってないが、こいつは俺の娘だ。」
「ジン?」
聞きなれない単語に恭介が首を傾げる。
話の内容からしてそれが陽子を指しているのは分かったが……。
疑問符を浮かべている恭介を横目に、陽子がカウンターの椅子に座りながらその疑問に答える。
「……『木暮陽子』は架空の人物。これが私のコードネーム。本当の名前は私も知らない。」
「じゃあそっちで呼んだ方が良いの?」
「いや、あんたと一緒のときは私は『木暮陽子』だから。そのままでいい。」
「そっか……良かった、俺、この名前結構好きだったんだ。」
「…………私も。」
二人で顔を見合わせ少し微笑む。
ここに源次が居なかったら、多分陽子に触れていただろうと恭介は思う。

「ところでお前ら、一体どうした?」
二人の肩が同時にびくっと動いた。
そうだ、こんなことをしている場合じゃない。
「源次、お前医療に長けてたよなあ。ちょっと頼みがあるんだけど、
  こいつの首の後ろに付けられてる発信機を取り除いてやってくれないか?
    それが無理なら……早急に外国に出港できる船を用意して欲しいんだ。…出来るか?」
「……ちょっと見せてみろ。」
そう言うと源次は、カウンターから身を乗り出した。
恭介が自分の首の後ろが見えるように身をかがめると、源次の左手が彼の頭をガンッと強くカウンターに押し付けた。
「痛っ…何する……っ。」
「見えねえんだよ、馬鹿。」
「それは、ここが薄暗いからじゃ…。」
「何だ。文句言うなら出てけ。」
「…………。」
横で笑いを噛み殺してる陽子の存在を感じる。
彼女が笑ってくれるんだったら良いか、と恭介は額の痛みを我慢した。

「こりゃぁ…俺じゃぁ無理だ。中国の方に俺の知り合いがいる、そいつならきっと外せるだろう。連絡しといてやる。
  無理に外そうとすると命取りだ。あとこの手のタイプの発信機は、ある程度近く…そうだな、
  大体10km位まで来ないと位置は確認されないだろう。」
「…そうか、残念だけどしょうがないな。ありがとう、源次。」
「ありがとうございます。お父さっ……っ!」
恭介の頭上わずか数mmの所を、源次の右手が旋回する。
もしもう少し反射神経が悪かったら、軽く脳震盪くらい起こしてたかも知れないと冷や汗が出る。
「俺はいつからお前のお父さんになったんだ!!黙ってればいい気になりやがって……。」
「いや、だって木暮サンと俺が結婚したら……」
「ああ!?何か言ったか!?」
「いや、だから……。」
「岸辺、あきらめろ。」
さっきからくすくす笑っている陽子が、たまりかねて恭介を止めた。
「ふん、そいつに連絡するついでに船の手配もしとく。今日中に出発した方が良いんだろ?」
「ああ、頼む。」
源次がカウンターの奥に消えていったのを確認してから、恭介が言った。
「木暮サン、あの人一体何者?めちゃくちゃ力強かったんですけど……。」
額にいまだ残る痛みを思いつつ問う。
2mの巨体なのだからある程度力が強いのは予想していたが、それ以上だったと思う。
「源次は昔自衛隊に居たんだよ。その中でもずば抜けてたみたい。だけど……何か嫌なことがあったらしくて、
  私にも話してくれないけど……それで自衛隊を辞めたんだ。」
「いつ出会ったの?」
「あー・・・、私の初任務のとき。」
「何で?」
「……良いだろ、どうだって。」
「………怪しい。何々?どういう経緯があるのさ?」
「いやぁー、別に……。」
明後日の方を向く陽子の顔を恭介が覗き込もうとする。
「そいつの初任務を俺が手伝ったのさ。」
いつの間にか連絡を終えて戻って来た源次が口を挟んだ。
「源次!!」
「えっ、何で?だって……。」
「そいつの初任務はテロの阻止だったんだよ。確か8歳の時だっけか?
  そいつ、ビルの裏に仕掛けられてる爆弾を見つけたは良いが、間違えた導線切っちまって……な?
  それ以上解体は出来ないわ、時間はどんどん過ぎてくわ…泣きそうだったじゃねぇか。」
にやりと源次が横目で陽子を見るが、彼女はそっぽを向いていた。
「で、何の縁か丁度通りかかった俺が解体を手伝ってやったわけ。もちろん組織には内緒でな。
  その時はどっかの警察関係者かと思ったんだが、どうもそうじゃぁないらしい。それで話しを聞いたら、
  あの政治界の大物「唐沢」の組織だっつうじゃねぇか。
  俺は軍人だったが、それも元の話しだ。それに、こいつも気に入ってる。」
そこまで一気に話すと、源次は息をついた。

8歳……。俺がまだ世界の事や世の中の事を何にも考えてなかった時に、彼女はもう闇の中にいたのだろうか。
俺が小学校のクラスメイトと馬鹿な事やってる時に、彼女はもう引き金の引き方を知っていたのだろうか。
俺が作文に「戦争や人殺しは駄目だと思う」って書いてる時に、彼女はもう人の血の色を、絶望を知っていたのだろうか。
…………もうこれ以上辛い事は知らないで生きさせてあげたい。
視線を感じて隣を見ると、陽子がその両目を向けていた。
恭介が笑むと、彼女も安心したように笑い返した。

「ところで船のほうだがな、今日の夜出航する船に一緒に乗船させてもらえる事になったぞ。
  小さい船だが、船長は信用できる奴だ。安心して良い。」
「ありがとう、源次。」
「ありがとうございます。お父さっ……っ!」
「懲りない奴だなっ!こいつ!!」
「わっ、ちょっ、待って!」
源次がカウンターを飛び越えて、恭介を殴りにかかった。
まさか飛び越えるとは思わなかった恭介は反応が遅れるが、すんでのところで拳をかわす。
陽子はもう安心したのか、声に出して笑っていた。

いつまでもこんな時間が続けば良いのにと、恭介は逃げながら思った。





「本当にそれだけで良いんだな?」
源次が念を押して問う。
「あぁ、これ以上持っていっても逃げる時邪魔になるだけだから。」
陽子が貰った弾丸をマガジンに詰め、それを黒いバッグに入れながら答えた。
辺りはもう薄暗く、少し視力の弱い恭介には人の表情までは見えない。
それよりも、源次に殴られた頭が痛くてしょうがない。
―手加減無かったもんなぁ……。
「岸辺、これはお前が持て。」
そう言って渡された銃を恭介が手に取る。それは陽子が先刻使っていた銃だった。
「9mmオート、ベレッタ92FS。15発続けて撃てるから、比較的扱いやすいはすだ。」
「あぁ。……でも俺、銃の扱いはあんまり慣れてないんだけど。練習…なんて出来ないよな。」
銃は思っていたより軽いのだが、妙にずしりと体にくる。
これで人の命を奪うのだろうかと考えると、手の中の小さな鉄の塊がとても恐ろしく思える。
でもその時が来たら、自分は躊躇なく引き金を引くんだろう……きっと。

守りたい人がいる。
生き残りたい理由がある。

「…すぐ、慣れるさ。良い事かは分からないけど……。ほら、お前も予備の弾丸持っとけ。」
恭介に予備のマガジンを手渡しつつ、陽子は自分の銃を手に取る。
「……?木暮サン、二個も銃持つの?」
黒いバッグに入れられた、少し大きめの銃を見て恭介が言った。
陽子が作業の手を止め、いたずらっ気を含んだ目を恭介に向ける。
「岸辺、銃は何個じゃない、何丁だよ。馬鹿。」
「………木暮サンは細かいなぁ。」
―あぁ、前にもこんな会話をしたことがある。本当に……何でこんな事になったんだろう。
「サブマガジンだよ、32発撃てる。重いぞ、持ってみろ。」
陽子が普通の銃と同じように抱えてるのを見て、それ程でもないだろうと油断した恭介は、
放り投げられたサブマガジンを危うく取り落としてしまうところだった。
「……重いっ!」
「ほら、お前はこれも持つんだぞ。」
予備の弾丸やらが入っている黒いバッグを恭介に渡した。
「重い……。」





「着いたぞ、俺が送ってやれるのはここまでだ。」
車が停まったのは、人気の無い雑木林の中だった。
目的の船が停泊している所までは、ここから20分位歩けば着く。
「ありがとう、源次。」
「ありがとうございます、源次さん。」
また殴られては敵わないと思ったのか、恭介は今度は名前で呼ぶ。
「すぐ側まで送ってってやりたいが、俺もこの車も奴らには認識されてる。返って危険だからな。」
「充分だよ、本当に。」
源次の車は特別製で、どれだけ改造したのか知れない。
この車の所為で居場所がばれた事が何度もあるのに買い換えようとはしなかった。
それだけこの車に愛着を持っているのだろう。
確か名前も付けていたはずだと思う。
それに陽子と源次が関わりを持っていたのは多分組織にばれている。
源次の店は移転に移転を繰り返し、やっと組織の目を盗みあの場所に落ち着いた。
陽子達の居所がばれるのは時間の問題だが、あの店に奴らが来なかったと言う事はまだ大丈夫なのだろう。
園川も唐沢も港という港を見張っているだろうし、今ここで源次が港に近づくわけにはいかないと思う。
それでなくてもこの先は木が密生していて車では入れないし、仕方の無いことなのだ。
「恭介、バッグ忘れるなよ。」
「分かってるって。そんなにドジじゃあ無いよ。」
二人の足が、雑木林の湿った土を踏みしめた。
「おい小僧。」
「えっ?」
急に後ろから声を掛けられて恭介は振り返った。
見ると源次が手招きしている。
「何ですか?」
その巨体からは想像できない、ひそひそ声で源次は言った。
「お前、あいつを守れよ。何かあったらただじゃおかねぇからな。」
「任せといて下さいよ。この身に代えても守りますから。」
「馬鹿野郎。お前も無事じゃなきゃ話になんねぇんだよ、馬鹿。」
「………分かりました。自分も守ります。」
「ふんっ。」

「何やってる!急ぐぞ、出航まで1時間も無いんだから。」
結構遠くから陽子が声を掛けた。心なしか小声だった。
「今行く!じゃぁ行って来ます……お父さんっ。」
言ってから、殴られる前にと恭介は駆け出した。
「…………馬鹿野郎。」
源次はぼそっとつぶやくように言うと、二人の姿が見えなくなるまで見送った。
見納めになるかも知れない等という事は考えなかった。






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