こちらキングスバリー魔術機械学校 [2]
「ジェームズってばさ、フィックス先生の嫌味に耐えかねて、面と向かって『僕がカバなら先生はさしずめ狐ですか』って言って、そんで謹慎くらったみたいよ」
だからアーミテージも気をつけなよって忠告したんじゃないか、とカーターは溜め息をつきながら小声で呟いた。呼びかけられた彼はカーターの方を見ようとはせずに、頬を膨らませてそっぽを向いている。
これでもかという嫌味を一身に浴び、その上製図の宿題をみんなの前で発表させられたアーミテージは、謹慎をくらわなかっただけありがたいと思うべきだろう。
「なんで『カバ』なんだよ」
壇上で、魔術の力をより有効に引き出す機械の設計について熱弁を振るっているフィックスに気付かれないよう、シュタインが小さな声で訊ねた。
「製図学の途中でジェームズ欠伸したんだ。それも超特大。それでフィックス先生がジェームズのことをそう言って……」
「ジェームズのやろうもキレて言い返したってわけか」
シュタインの言葉にカーターはうなづいてみせてから、壇上のフィックスに視線を戻した。
宿題になっていたのは、身近な機械をなにか一つ選び、分解することなくその設計を自分なりに予想して図面に描くというもの。アーミテージが選んだのはこともあろうか、精密機械の代表的存在、時計であった。
時計の中枢に据えられる時間魔法は半永久的に存在し続け、それを機械に連結させるには相当の経験と修行が必要である。それはアーミテージたち基礎科の生徒には夢のまた夢の技術。フィックスにだって出来るのかどうか(本人は出来ると言うだろうが)怪しいところだ。
だからアーミテージは題材を選んだその時点で、今日フィックスに嫌味を言われることは確定していた事実だった。
みんなの視線が集まる前で、さんざん魔術の基礎がなってないだの、製図の縮小の割合が間違っているだの、そもそも機械を分かっていないだの言われたアーミテージは、席に戻ってきてから一言も発してはいない。
「アーミテージ、ノートとりなよ。僕は見せてあげないからね」
「…………………」
相変わらず顔一杯に『不機嫌』を貼り付けながらもアーミテージはノートを開き、筆箱からペンを取り出す。
内部に魔術が使われている彼のペンは、父親から入学祝いにもらったちょっと高級なものだ。途切れることなく永続的に生み出される黒いインクがノートに踊る様を見届けると、カーターも自分のノートにペンを走らせた。
「なぁ、カーター。今日のフィックス、いつにも増して授業に気合が入ってねぇか?」
不審の色を含ませたシュタインの声音に、カーターはチョーク片手に教壇を叩くフィックスをちらりと見やる。
確かに今日の彼はいつもより声も大きいし、服装も違った方向に気合が入っている。紫と黄色のストライプのネクタイからは、魔術が組み込まれているのだろう、彼が大げさな身振りをするたびに紫の光の粒が吹き出している。はっきり言って毒々しい。
「…………確かに」
授業参観の時より気合が入っているとみて良い。今日は何の日だったろうと、カーターは小首をかしげた。
そういえばあの淡白で服装に無頓着なエアトンでさえも、今日はいつもよりかっちりとしたスーツを着ていたのだ。
何か忘れていそうな気がしたカーターだったが、ふと黒板が白い文字でうまっているのを見て取って、急いでペンを持ち直した。
この時、彼が今朝エアトンの話を聞きそびれていたことを思い出せていれば、このあと起こる悲劇はもしかしたら止められていたかも知れない。
魔術機械連盟会長、グリフィス・グレアム・クロイツァーが、今日この学校に視察に訪れることを知っていれば。
授業中の基礎科の校舎には、廊下に生徒の姿は見えない。
その代わりに、床を踏みつける重たい足音が響いていた。その後からぞろぞろと数人の足音が重なった。
「で、基礎科の生徒で一番優秀なのは誰かね?」
意図的な威圧感を漂わせて、その声は案内役のミス・エルモアの耳に届く。黒い髪をきっちり結い上げた彼女は、一歩前を歩くグレアムに向かって口を開いた。
「クリスティ・モートンという女子です。エアトンの受け持ちでございます」
「ふむ……」
巨体を左右に揺らしながらグレアムは歩く。とても威張って歩いているように見えるが、お腹がぷっくり膨れてしまった彼としては、それは仕方のないことであった。片手をわざとらしく顎に当てて難しい顔をしているが、本当に考えているのかどうか怪しい。
しかし聡明なエルモアは、決して不審の色を表情には表さなかった。
グレアムの後ろを歩く連盟の役員たちは、まるでサメについていくコバンザメのようだ。いや、そんな格好よいものではない。
あぁ、よく合う言葉があったはずなのにど忘れしてしまった。
エルモアは必死に思い出そうとしていた。あやうく『案内役』の立場を忘れそうになった彼女の耳に、グレアムのただ低いだけの声が届いた。
「ではその生徒とあと何人かの優秀な生徒対しては、最高の教育環境を整えたまえ。コンクールにも積極的に作品を提出させて……必ず賞を取らせるんだ。それから……」
学校の名を、ひいては魔術機械連盟の名声を高めるためには、あとどんな対策が必要か、グレアムはうんうん唸りながらまだ考えていた。エルモアは彼がエアトンに対して何の批評もしなかったことに半ばほっとし、半ば憤った。
エルモアはエアトンと同じく、魔術理論を専門に教える教師である。
魔術理論は生徒に一等人気がない。往々にして子供たちは、手で触れられる実験の授業がとても好きで、理論と名のつくものは端っから苦手なものとして捉える。しかしその割には、今年のエアトンが受け持った魔術理論のクラスは評判が良かった。同じ教科を教える者として、大いに触発されたものだ。
だからこのお飾りだけの無能な男に、エアトンのことを悪く言われるのは正直我慢がならなかったし、かといって何も言われないのも腹が立った。彼はエアトンのことを嫌っているのが周知の事実だったとしてもだ。
「ミス・エルモア? 聞いているのかね?」
耳にまとわりつく太い声に、エルモアははっと我に返った。どうやら歩きながらぼうっとしてしまったらしい。慌てて謝罪をする。
「……まぁ良い。それで? 今年基礎科で一番寄付金が多かった家はどこだ?」
なんだ、こんなことかと彼女は肩透かしを食らった気分になった。もちろん調べてきてある、グレアムがそういったことを訊ねるのは、あらかじめ分かっていたことなのだ。
「ペティグリー・クラーク、百万ルタ。シュタイン・オルコット、六十万ルタ。ニコル・アーカイソン、五十五万ルタ。アニタ・バージル……」
「もう結構。それ以下の額などわざわざ読み上げる必要は無い。ふむ、ペティグリーに……シュタイン…………」
ふむ、と何回も繰り返す彼の横で、エルモアは黙々と歩き続けた。あまりこういったことに関わりたくなかった。グレアムの後ろで数人の役員がひそひそと今年の寄付金について意見を交わしていた。聞こえる単語は「少ない」だの「貧乏」だの、そんな言葉ばかりだった。
「ミス・エルモア」
グレアムが立ち止まり、それに倣って後ろのコバンザメたちも足を止める。エルモアは半歩進んだところで振り返った。
「この……ペティグリーという生徒は今――」
「ペティグリーは裏山にヒルを捕まえに出かけております」
『ヒル』という単語が出たとき、グレアムの小さな目に怯えの色が走った。エルモアは構わず続けた。
「彼は今レポートの研究の最中なのです。ヒルに魔力を持つ血を吸わせたらどういうことになるのかという研究です。裏山にはそれはそれは沢山のヒルが生息していて、一歩踏み入ればたちまち大勢よってくるそうで……研究材料には事欠かないようですよ」
エルモアは笑顔で言ったが、目の前のグレアムの顔は少し青かった。役員たちは今度はヒルの危険性を小声で唱える。グレアムの顔から更に血の気が引いていく。
「ふむ……それは…大いに、結構だ。頑張るようにと伝えておいてくれたまえ。それじゃあ……その、オルコット君は……」
「シュタインは……丁度、製図学の授業中ですね。もう終わりますが……お会いになりますか?」
最後の言葉は彼女なりの配慮だった。もちろんグレアムに対してではない、彼女自身に対する……だ。これ以上見え見えのやり取りをするのは避けたかったし、さっさと案内して、さっさとこの学校から消えてもらいたかった。
グレアムはわざとらしく少し考えてから、
「うむ、では会ってみよう。私じきじきに訪ねられたとあらば彼も鼻が高いだろう」
満足げに笑むと、巨体を揺らして歩き始めた。エルモアは彼に背を向けながら、内心でほくそ笑む。
シュタイン・オルコットは、残念ながらグレアムごときに丸め込まれるような少年ではない。それは彼女も嫌というほど味わっていた。
基礎科の魔法理論はエアトンの担当だが、彼がゆえあって学校を休む時は代理に立ったことも何度かある。そのたった数回の授業で、一体何年分の心労を味わっただろう。エアトンが時々休む理由が分かった気がした。
しかし今は、この時だけは、彼の破天荒な性格にエールを送りたい気分で一杯だった。
シュタイン・オルコットに対面した時のグレアムを想像して、エルモアは自分でも気が付かないうちに笑みをこぼす。
あぁ、そうだ。
ミス・エルモアはやっと思い出した言葉に安堵した。ちらりと後ろの様子を窺ってから、満足げに、けれどグレアムには分からないように小さく頷く。
そうだ、「金魚の糞」だ。
胸のつかえがすっかり取れたエルモアは、足取りも軽く、製図室へと続く階段を下りていった。