こちらキングスバリー魔術機械学校 [3]

 


 授業終了の鐘と同時に、フィックスの、男にしては高い声が鳴り止んだ。
 彼の授業はチャイムきっかりに終わるということを、基礎科に入学して二年目のアーミテージたちは学習している。製図学において唯一、生徒の人気を集める点だ。

「アーミテージ、僕らは先に次の教室に行ってるから」

 フィックスのいる製図室にただ一人残されたアーミテージは、半泣きの様相を呈している。シュタインは自業自得だと笑いながら悪態をついたが、カーターはその表情に思わず足を止めた。
 あの時もう少し早く注意してやれていたら……、と思った。要らぬことにまで気を回すのは、この少年の悪いくせである。
 彼が足を止めたおかげで、教室から出るのが最後になってしまった。シュタインは「頑張れよ」と口の形だけで友人に別れを告げると、傍らのカーターを引っ張って製図室を後にする。重い扉が無情にも音を立てて閉まった。教室は一気に静寂に包まれる。

「……さて、アーミテージ・ウィンゲル。君には常々言わねばなるまいと思っていたことが山ほどあるのだ」

 生徒の消えただだっ広い教室で、ただでさえ小柄なアーミテージは、さらに小さくなった。





 製図室を出ると廊下は移動中の生徒で溢れかえっていた。次の時間はエアトンの担当する魔法理論である。
 カーターは後ろ髪をひかれる思いで、離れていく製図学の扉をちらりと見やった。
「お前はもう少し『突き放す』ということを知った方が良い!」
 シュタインが唐突に怒鳴った。隣を歩くカーターは驚いた眼差しで、自分より背の高い少年を仰ぎ見る。
「前から思ってたけど、お前はアーミテージに甘すぎだ」
「……そ…そうかなぁ」
 不安げな友人の声に、シュタインは溜め息をついた。
「いくら初等部のころからの付き合いでもなぁ……あいつだってもう十四歳なんだし」
「そう……だよね」
「そうさ! ノートだって見せてやることねぇし、宿題手伝ってやることもねぇし、朝起こしてやったり、着替え手伝ったり……おかしいだろ!!」
 口に出して言ってみて、改めて変だということに思い至ったらしい。もともとつり気味の目をさらにつり上げて少年は叫んだ。彼が何か言えば言うほど、カーターの顔から「自信」が消えていく。
「良いか? これからは心を鬼にしてだなー………――ぶッ!?」
 諭すように語っていたシュタインの方から、ひき蛙を潰したような声が聞こえて、弱気になっていた少年は振り返った。
「―――痛ってェー…………おい! ちゃんと前見て歩けよ!!」
 涙目で赤い鼻を押さえながらも、シュタインはバッと顔を上げて目の前の「壁」に向かって叫ぶ。
 でっぷりとした巨体を冴えない灰色のスーツに包んでいるその「壁」は、わざとらしく一度咳払いをした。





「『身の程知らず』という言葉の意味を、正しく解しているのかね? 君は」

 後から後から多種多様な嫌味をつっかえることもなく口に出せるというのは、一種の才能だ。ただ、それらの嫌味を一身に浴びている者にとっては、フィックスの才能についてなどどうでも良いことであった。
「君に欠けているものは、これまた山ほどあるが、その中で最も著しく欠如しているのは……『自己分析能力』だ」
 フィックスが体を揺らすたびに、毒々しいネクタイからキラキラと光がこぼれる。アーミテージは光の粒子に極力触れないように、わずかに身をよじった。
「だいたい、基礎科の授業もまともに出来ないようでは、その上の専科に上がるのは夢のまた夢……いや、君の場合はそのまた夢の話だ」
 例の発明の搭載嫌味用語は、百なんてもので足りはしないだろう。少なく見積もっても軽く千は欲しい。早急に「言霊の魔術」を習得する必要がある。
 教師と生徒の不毛な会談は(もはや『会談』とは呼べないが)、残念なことに教師に掛かった呼び出しのおかげで、一旦幕を閉じることとなった。





『フィックス先生、至急職員室へいらっしゃって下さい。繰り返します。フィックス先生、至急―――』

「おっ、こりゃ、アーミテージのやつ救われたな」
 悪戯っぽい笑みを浮かべて、シュタインは呟いた。同時に頭上から咳払いが降ってくる。

「それで、オルコット君。今しがたの言葉は私の聞き間違いかな」

 苦々しく押し潰したような声音に、カーターはゆっくり視線を前の巨体に向けなおした。少年の眉は弱々しく下がっており、顔には大きく「まずいことになった」と書いてある。
 シュタインがぶつかった「壁」は、大きな男であった。それも恐ろしく偉そうな……。

「あぁ、『金魚のフン』ってやつ? 聞き間違いなわけないじゃないか。耳悪いのか?」

 軽い口調で、しかし明らかに敵意を多分に含んだ少年の言葉に、グレアムのこめかみがぴくりと動いた。
「オルコット君、君は誰を相手にしてるか理解しているのかね?」
「誰を? あぁ……悪い悪い、人間だったか。俺はてっきり狸かなんかかと思ったぜ」
 今度はこめかみがぴくりと動く程度には留まらなかった。青筋が浮かび上がり、グレアムの顔は真っ赤になっていた。多分もう少しすれば、真っ赤を通り越してどす黒くなるんだろうなと、カーターは何となく思った。
「どうやら、君は、私が誰だか、分かっていないらしい」
 一言一言、まるでそれ自体が一種の凶器であるかのごとく、グレアムは言葉に力を込めて言った。かなりまずいことになっているはずなのに、彼の怒れる様はどことなく滑稽で、あまり危機感を抱かせない。
「私は魔術機械連盟会長のグリフィス・グレアム・クロイツァーだ」
「会長ともなると、他人のことは金づるか何かとしか見れないんだな!」
 シュタインが怒鳴った。彼が感情を顕わに怒鳴ることなんて滅多にないが、そうなる時は決まって「家」のことが原因にあった。
 彼は家の話をしない。二年とちょっと一緒にいるアーミテージやカーターにさえしない。それでも長い間一緒にいれば、少しは実情が見えてくるというもので。シュタインの家は結構なお金持ちであることを二人は知っている。知っているが口に出して言うことはなかった。
 それをこの偉そうなこの巨体の持ち主は、出会い頭にぶつかった少年がシュタイン・オルコットだと後ろのエルモアに告げられるや否や、こともあろうか寄付金の話を持ち出してきたのだ。前振りも何もなく、ただ、オルコット家からの寄付金の話と、これからの寄付金の話と。
 シュタインが怒るのも無理はなかった。
 カーターはただ、とめることも出来ずに友人の隣に立ち尽くしていた。

「……オルコット君、それは……違う。断じて違う。私はただ感謝の気持ちを伝えたかっただけで――」
「じゃあ両親に直接言えば良いだろ? 寄付したのは俺じゃない、親だ」
「ふむ、それも正しい……が、私はなにぶん忙しい身だから……」
「だったら俺に構ってる時間なんて無いはずだろ。さっさと――……んッ!?」
 シュタインが「消えろ」という言葉を発する前に、なんとかカーターは彼の口を塞ぐことに成功した。なおももごもご言っている彼を、カーターは必死に押さえた。ははは、と乾いた笑いを浮かべつつ、グレアムを見上げる。狐につままれたような面持ちで連盟会長は突っ立っていた。
「……会長、そろそろ――」
 奇妙な空白の間を縫って、エルモアが遠慮がちに口を挟む。グレアムはビクッと飛び上がり、それが伝染したように後ろの「金魚のふん」たちも一斉に飛び上がった。

「ん!? あっ…あぁ、そうだな! そろそろ行かなくては……で、ではオルコット君、私は―――……!?」

 かつてこれほどのバッドタイミングがあっただろうか。後にカーターはしみじみと語る。
 そしてこれほどアーミテージに感謝したことがあっただろうか。後にシュタインは笑いながら語る。

 アーミテージ・ウィンゲルという少年は、一つのことに熱中すると周りの雑多な事が全く目に入らないということにかけては、天才的な才能を持っていた。彼はその才能を余すことなく使い廊下を駆け、やがて視界に飛び込んだ初等部以来の友人の背中目がけて床を蹴った。
「カーターッ!!」
 大声で叫んでその背中に飛びつけば、予想に(たが)わず相手は体勢を崩す。一つ予想外だったことは、飛びついた少年のすぐ向こう側に口の悪い友人もいたことだった。

 本当に人が驚いた時は、往々にして声など出せないものである。例に漏れずこの時のカーターもシュタインも、その場にいた他の者たちも、みな呻き声の一つさえ上げられなかった。
 回りくどい言い方をしてしまったが、つまるところアーミテージ少年に飛び掛られたカーターは、彼が口を押さえていたシュタインを巻き込んで倒れた。ただ倒れただけならまだ良かったのだが、倒れた先には魔術機械連盟会長のずんぐりむっくりとした巨体があった。あるいはグレアムの腹がそこまで突き出ていなかったら、彼はこの不運に巻き込まれなかったかも知れない。出っ張った腹は少年三人分の重圧とアーミテージの勢いを受けて、グレアムは無様に尻餅をついた。
「―――……!?」
 背中に二人の少年の体重を一身に受けたシュタインは、声にならぬ声を出す。そのままグレアムの腹の上に倒れていれば(シュタインはとても嫌がっただろうが)、それほどの打撃はなかったに違いない。しかし今彼が打ち付けられたのは、冷たい石の床であった。
 何が痛いって、人間「鼻」を打てば死ぬほど痛いもので。開けば棘のあることばかり言う口も、今回ばかりは真一文字に結ばれたままである。
 相当痛かろう。エルモアは出しかけた手を宙に縫いつけたまま顔をしかめた。
「……アーミテージ…………」
 押し殺したカーターの低い声は、さきほどのグレアムのものとは比べ物にならぬほどどす黒い雰囲気を醸し出していて。ようやく何が起こったのか理解したアーミテージの顔に冷や汗が浮かぶ。
 ゆっくりと身を起こすカーターの動きに合わせ、極力彼に触れぬようにアーミテージは起き上がった。温和な少年の背中が、今は小刻みに震えている。それ以上にまとうオーラが怖い。ギリギリと少年が振り返る。アーミテージは固まった。
「カ…カーター……、わっ、悪かっ――」
「何でいつも前を見ないで廊下を走るんだ!!」
「ご……ごめんカー――」
「それ以前に廊下は走るなっていつもあれほど言ってるじゃないか!!!」
「いや、それは、その、そうなんだけど……」
「それから寿命が縮むから背後から飛び掛るのはやめてって何度も! 何度も言ってるだろ!?」
「あー……、それは……うん、言ってた」
「だいたい、いつも君は!……君は………。はぁ、もう…いいや」
 頬を上気させ、カーターは脱力したように床に座り込んだ。アーミテージがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、
「俺はまだよくない」
「あ、シュタインもごめん」
「お前カーターの時と態度が違うじゃねぇか」
 やっと話せる状態にまで回復したシュタインにはまだ言いたいことが山ほどあったが、アーミテージとその横にへたり込んでいるカーターを見ると、言いかけた言葉が何であるかを忘れてしまった。もういいや、とばかりに肩をすくめてみせる。
「おい、次の授業始まるぜ」
 何事もなかったのごとくシュタインは立ち上がって言った。次はエアトンの魔術理論だ。遅れたら何を言われるか分かったもんじゃない。ある意味フィックスの嫌味よりたちが悪い。
 鞄を手に立ち上がった少年たちの後ろから、冷たい静止の声が響いた。

「何も言わず立ち去るつもりかね?」

 軽蔑の色を含んだ声音。グレアムの巨体は自身では容易に起こすことができないようで、数人の男が協力して起き上がらせているところだった。
 アーミテージはそこで初めて、自分が与えた被害が友人以外にも及んでいることに気付き、慌てて向き直る。
「ごめんなさい! その……大丈夫ですか?」
 心底申し訳なさそうに頭を下げるアーミテージを見て、シュタインが「謝ることねぇよ」と小さく呟いた。隣でカーターがそういうわけにもいかないだろうと言い返す。
 何も言わずにただ自分を見下ろす男の目にいたたまれなくなって、アーミテージはもう一度口を開いた。
「本当にごめんなさい。オレ、前見てなくて……」
 グレアムは冷たい目で背の低い少年を見下ろしていた。それは遠目から見れば巨人と小人のようであった。無言に耐えかねもう一度何か言おうとした少年より早く、グレアムが口を開く。
「名前は」
「あっ、アーミテージ……ウィンゲル…です」
 家に連絡されたくはなかった。両親を困らせたくはなかった。だが無情にもグレアムの冷たい声は続く。
「アーミテージ・ウィンゲル。君は私が誰か、分かっているのかね」
 後ろでシュタインが「狸」と言ったのは少年の耳には届かなかった。同じくグレアムの耳にも届くことはなかった。ただカーターとエルモアだけが、口の悪い彼を睨んだ。
「あの……専科の、先生ですか?」
「教師などという下らない職業者であるように見えるかね、私が」
 これにはエルモアが激怒を示した。シュタインに向けていた目をバッと目の前の巨体に移す。もし眼力で人が殺せるなら、今頃グレアムは即死だ。
 あまりに酷い発言にアーミテージは一瞬怯んだが、辛うじて声は出た。
「じゃあ、誰かのお父さん――」
「君の目は節穴か。新聞は読まないのか。私は魔術機械連盟会長のグリフィス・グレアム・クロイツァーだ」
 そういえば、この顔をどこかで見たことがあった。連盟会長なら新聞にも載るだろう、アーミテージは妙に納得して小さくうなづいた。
「そうですか。グレアムさん、本当にすいませんでした」
 深々と頭を下げて、アーミテージは踵を返す。その場の誰もがこの少年の対応に少なからず驚きを覚えた。
「まっ、待ちたまえ!」
 後に続く言葉もないくせに、グレアムは反射的に少年を呼び止めた。呼び止めてから言う事を探し、やがて見つけたのかわずかに口元に笑みを浮かべる。決して良い笑みじゃなかった。

「アーミテージ・ウィンゲル………。あぁ、知っているぞ。今年の基礎科で一番寄付金が少なかった貧乏生徒の名だ」


 言葉は時に、刃物より鋭い凶器となる。






  

<NOVEL>  <TOP>