こちらキングスバリー魔術機械学校 [5]

 


「はっはっはっは!! 見ろ、皆のもの。このオレの素晴らしい発明を!!」

 なんだか聞き覚えのあるセリフを叫びながら、アーミテージは広場のはしに胸を張って立った。こんな事態になったというのにまだ懲りてないのか、と大部分の人間が呆れたまなざしを送る中、少年の後ろに立つカーターとシュタインだけは、アーミテージの手がかすかに震えているのを知っていた。
 それも無理ない話だ。
 広場に布をかけられ鎮座する機械。それが奨学生としての実力に見合うだけの作品でなかった場合、アーミテージが背負うことになっているリスクは表面上「奨学金の取り消し」というものだけだ。だがそれは彼にとって「退学しろ」と言われているのと同じことなのを、教師やごく親しい友人は知っていた。

 ウィンゲル家の家計は文字通り「火の車」で、六人兄弟の下から二番目のアーミテージの学費をだすことは不可能に近かった。それでもアーミテージは子供心にキングスバリーに通う日が来ることを疑いもしなかった。物心がつく年頃になって、自分がキングスバリーに通うにはあまりにウィンゲル家の財産が少ないのを知るや否や、彼は奨学生になるために昼夜を惜しんで勉強した。そのかいあってなんとか奨学金を得られたが、もし今回それが取り消されることになれば……。
 結果は目に見えている。
 グレアムは貧乏学生の前途を絶つことなどどうとも思ってないだろう。ならば貧乏だということを補って余りある実力を認めさせるしかない。アーミテージ・ウィンゲルが、この学校にとって、ひいては連盟にとって、『得』になる学生であるということを。

 広場は人で溢れ返り、お祭り好きな連中だけあって夜だというのに騒がしかった。ざわめく人ごみを、魔術機械都市特有の街灯が淡く照らし出す。
 街灯に組み込まれた魔鉱石は、昼間に溜めた光を夜に少しずつ放出する。考案し設計した二人の男は、いまや伝説となり語り継がれるキングスとバリー。その名で推測するとおりキングスバリー魔術機械学校の創設者であるとともに、機械と魔術という本来相容れぬ二つのものを初めて融合させた人物でもある。
 街灯を始め次々に機械と魔術の融合品を作り出し、二つの勢力が協力することの有利性を説いた。今の生活があるのはひとえにこの二人の男のおかげなのだ。
 魔術のキングス、機械のバリー。この名は少年少女にとって夢、または理想そのもの。例外に漏れずアーミテージもできることならそのような存在になりたいと思っていた。

 空にはせっかくの満月を覆い隠すほどの雲が流れていて、星たちはあまり望めない。返って好都合だと少年は笑う。星がない真っ黒なビロードが広がる天井は、今、彼にとっては格好のキャンバスだ。
『みなさん、お静まりください』
 拡声器を通して放たれたたった一言に、大騒ぎだった群衆は一斉に口をつぐんだ。静寂を確認するような間が空いたあと、少年たちは二週間ぶりに、「あの」声を聞いた。
『本日は我が校の生徒のために、お忙しいところわざわざありがとうございます』
 魔術によって、聞きたくもない野太い声が風に乗って隅々にまで響き渡る。グレアムの当たり障りのない挨拶に、あの無能にしてはよく考えたものだとエアトンは皮肉な笑いを浮かべた。
 グレアムは今日のことを公表する際にも「対決」という単語には全く触れずに、「作品のお披露目」とだけ発表した。ここへ集まってきた都市の連中は「奨学生の実力」を見るために来たのであって、「連盟会長と生徒の対決」を見に来たわけではないということ。
 万が一アーミテージの作品が優れたものであってもグレアムは一般の目には負けたことにならない上、自分の連盟が支援する学校の知名度につながる。ろくでもない作品だったらグレアムの勝利となりアーミテージの奨学金は取り消されるだけ。駄作を見せられた群衆が白けても彼にはどうということもないのだ。

「じゃあ……、行って来る」

 すぐ下の方から声がして、エアトンは視線を落とした。今まさにアーミテージが広場の中央に進み出るところで、その後ろからカーターとシュタインが続く。
 アーミテージは丁寧にも二週間自分たちの監視役を務めた男にまでお辞儀をした。された男はわずかに目を見開く。
 確かに彼はグレアム側の人間にしては礼儀正しく謙虚な男で、寝る間もなかった少年たちを心配してさえいたのだから、お辞儀をする価値はあるかも知れない。

 遠ざかる背の低い少年の肩に、エアトンは思わず手をかけていた。振り向いた彼の顔は緊張で強張っている。
「………負けてもなんとかしてやるよ」
 絶対大丈夫だなんて、そんな言葉は言えなかった。百パーセントの可能性もないのにそんなことは言えない。彼は自身のありったけの優しさを口に出す。そんな担任教師にアーミテージは微妙な笑顔を浮かべて言った。
「勝つよ」
 いつもの自信たっぷりな様子ではなく、苦笑気味な宣言を残して、少年は作品の置かれた場所を目指す。
 最近発明された自動洗濯機械と同じくらいの大きさのそれには、白い薄布がかぶせられていた。

『彼は入学当初からそれはそれは優秀な生徒で、奨学試験も軽々と合格してくれました。研究熱心で向学心旺盛。私としても自慢の生徒です』

 不自然なくらいの褒め言葉の羅列。何を言っているんだとばかりに少年はグレアムを見た。穴が開くほど見た。視線の先のグレアムは笑顔だったが、少年と目が合うとふっといやらしい笑みを浮かべる。アーミテージには憎いはずの自分を褒めるグレアムの気が知れなかったが、傍らに立つシュタインは意図に気付き拳を震わせた。

 あの男は一般大衆の前でアーミテージに恥をかかせる気なのだ。作品がひどい代物であると決め付けているのだ。褒めて褒めて観衆を期待させておいて、ひどい作品を見せて彼らを落胆させ、アーミテージをおとしめる気なのだ。
 でも、とシュタインは自分に言い聞かせた。深呼吸して気持ちを落ち着ける。
 作品は二週間で作ったとは思えないほど良い出来だった。見てくれは悪いが、中身は最高だ。
 もう一度シュタインは自分に言い聞かせた。

『さぁ、アーミテージ・ウィンゲル。君の作品を皆さんに見せてさしあげよう』

 いちいち癇に障る言い方をするものだと、事情を知っている者達は思った。
 広場に集まった人々の目が、一斉に白い布に隠されたものへと釘付けになったところで、アーミテージは作品を覆い隠していた布を取り払った。

 二週間という短い時間で作られたものだけに、作品は外見の装飾を全く無視されていた。鉄の配管や色とりどりのうねる配線、大中小の歯車の群れ、そして中央に位置する青く光る魔鉱石。そのほとんどがむき出しで、中には枠組みに納まりきらず飛び出ているパイプまであった。
 これが昼間だったら内部の様子を事細かに観察することさえ可能だったろう。普段綺麗に装飾されている魔術機械しか目にしていない群集は、お世辞にも美しいと言えない奨学生の作品に無神経にも野次を飛ばす。
 少年らが頬がこけるほど苦労していたのを知っている教師や生徒達はそれを聞いて少なからず怒りを覚え、大丈夫かという風に機械の横に立った三人を見やった。いくら街灯があると言っても今は夜で、彼らの表情は遠目からはうかがい知れない。

 装飾は皆無ならば皆無の方が良かったんじゃないかとカーターは思った。というのも、最後の仕上げにとアーミテージが意気揚々と取り付けた小さな旗が、あまりにも……あまりにもなものだったからだ。
「……『質実剛健くん一号』って………まぁ、意図は分からないでもないけど」
 取り付ける前に、というより名づける前に自分かシュタインに相談して欲しかった。そうしたらもう少しマシなネーミングをしたのに……。
 アーミテージにセンスというものが備わっていないのは知っていたから、外見には最初から期待してない。補佐役についた自分たち二人も外装に手をかけている時間が無かったのだから仕方ないのだけれど、ならば何も付けない方がいくらか良かった気がする。
 旗に書かれた『質実剛健くん一号』の文字は青く神秘的に光り輝き、必要以上に目立っていた。しかもアーミテージの字は汚い。旗も取って付けたような(いや実際そうなのだが)ものだったので、そこだけ見ればジュニアスクールの生徒の作品みたいだった。
「シュタイン、僕はなんだか恥ずかしくなってきた……」
「耐えろ。中身は良いんだ、中身は」
 ひそひそ声で話す二人には全く気付かない様子で、アーミテージは作動させても良いのかどうか判断を仰ぐように天幕のかかった司会席をうかがった。意地でもグレアムの意向を伺うことだけはしたくなかったのか、マイクを離さない巨体の持ち主ではなくその隣のもやしのような細い男を見る。
 もやし男は少年と目が合ったのが気のせいでないと分かると、すぐに立ち上がっているグレアムを見上げた。グレアムは愉悦に顔が歪むのを必死に抑えて普通の笑みを浮かべると、広場に立つ少年らにうなずいて見せた。

 何かが引っ掛かる。
 エアトンはグレアムの奇妙な笑いに眉をしかめた。半ば無意識に胸のポケットから眼鏡を取り出すと、耳にかけずに目に当てた。
 眼鏡のレンズ越しに見るグレアムは、やはり憎らしいほど愉快そうであった。まるで勝利を確信しているかのような余裕。弱者に対する絶対的な権力を握った支配者のような男の表情に、エアトンの胸がざわつく。
 そうこうしているうちに少年たちは機械の起動に入ったらしい。がちゃがちゃと金属がぶつかり合う音がする。アーミテージが全体重をかけて太いレバーを下へ引き下ろした。
 プスンプスンと、明らかに動作不良を連想させるような音が響く。極めつけは機械から立ち上った黒い煙。
「………………」
 まずい、と心の底から思った。しかし何となくとっさに駆け寄ることができずに、エアトンは広場の中央の三人をただ眺めていた。全ての介入を拒むように停止した思考が、くいっと誰かに引っ張られた感覚に呼び戻される。引っ張られた右腕を見やると、そこにこの二週間自分の監視役としてグレアムから派遣され、先程アーミテージに頭を下げられた男がいた。
 まだいつもの感覚が戻らない澄んだ青い両の瞳が、彼より頭一つ分背の低い男を見下ろす。言葉は出てこなかった。
 エアトンのシャツを震える手で俯いた男はつかんでいた。怪訝に思ってその顔を覗き込もうとする前に、男が小刻みに震えながら顔を上げる。黒い両目が何かを訴えるように、すがるように、エアトンの青の瞳とかち合った。
 意味が分からずこのままではらちが明かない。この瞬間にも少年たちは嘲笑と野次の嵐の中、懸命に機械の起動に全力を注いでいるのだ。一瞬グレアムの笑みがちらついた。
 何だ、と問うより先に、震えた男がシャツをつかんだ手とは反対の手を差し出した。きつく握っていたのであろう右手の力を徐々に抜いていく。
「――な……なんで…」
 その手に握られていたものには、さすがのエアトンもぎょっとした。彼を驚かせるに充分なものがそこにはあったのだ。
 グレアムの余裕の笑み、機械の動作不良、監視役の男の震える手。全てが一瞬で繋がった。繋がったあとの行動は素早かった。
 エアトンは男の手を乱暴に振り解き広場に躍り出る。
「アーミテージ!!」
 普段の気だるげな様子は微塵もない大音声。呼ばれたアーミテージは振り向きながら再びレバーに体重を掛けているところだった。
「やめろ! 起動させるな!!」
 え、と間の抜けた声が聞こえた気がした。しかし今はそんなこと気にしている場合じゃない。
 なぜならレバーは既に下ろされていたのだ。




「……くそ! おいっ、早く離れろ!」
「何だよ……、急に――」
 レバーに相変わらず手をかけたままの状態でアーミテージは青い瞳の教師を見た。その様子ではレバーが下ろされていることも、起動に成功して魔鉱石が青く光りだしたのにも気付いていないのだろう。エアトンは忌々しそうに短く舌打ちして、
「良いから早くこっちに来い、その機械から離れろ!」
 言われた意味がやっと理解の域に達し、頭で考えるより先に体が動いた。アーミテージにつられてカーターとシュタインも言われたとおりにエアトンへと駆け寄る。ふと、シュタインが背後から聞こえるさっきまでとは異質な音に振り返った。
「……あっ! おいアーミテージ、動いたぜ!!」
 喜びを顕わにした声音に他の二人の少年も振り返った。見ればちょっと前まで不穏な音を奏でていた機械が全体的に青く発光しだしている。魔鉱石が作動した証拠だ。
「よっしゃ! 質実剛健くん、君は偉い! その名に恥じない踏ん張りだ!!」
「アーミテージ、僕やっぱりその名前やだよ」
 緊迫した雰囲気を数秒も保てなかった教え子に呆れた眼差しを送り、エアトンはもう一度口を開いた。
「どうでもいいから、早くここから離れろ。怪我したくなかったらな」
「は……?」
 意味が分からないと見上げてきたアーミテージの細い腕をぐいっと力任せに引っ張る。
「なっにすんだ!! もうちょっとでこけ……る…」
 訴えは途中で途切れる。腕をつかまれたままの少年の茶色の瞳は、今しがた頭上を掠めるように飛んでいった青い光を追う。
「もう少しで魔力に()てられる所だった。分かったらさっさと逃げろ!」
 シュタインは近寄りかけた鉄の塊をもう一度見やった。中心の魔鉱石は今や目に毒なほど青く輝いていて、本来ならその溢れる魔力は隣の管を通って放出されるはずなのにどうして、と思ったところで彼のすぐ脇目がけて魔鉱石からの青い光線が飛んでくる。
 瞬間全ての思考を振り切って、シュタインは踵を返し駆け出した。振り返ったところにいたカーターをぐいっと引っ張って機械から離れる。すでにエアトンはアーミテージを連れて数歩先を走っていた。シュタインはその背中に叫ぶ。
「何だよ! 何でいきなりあんな……」
 自信はあった。何もかも上手く組み立てたはずだ。だから、有り得ない………暴走なんて――……。
「バルブだ、あれが外れてる」
 問いに答えるエアトンの頭上を、青の光が掠めていく。
「嘘だ! オレは確認した、あれはちゃんと付けた!!」
 腕を引っ張られ走りにくそうにしながらアーミテージがかみつく。
「それは朝の段階で、だろ?」
「どういう……」
 カーターが横から口を挟む。
 その呟きには返答せずに、エアトンは元の位置まで来てようやく足を止めた。ざわつき始めた群衆の一歩手前に、身を縮こませて震えている男がいた。祈るような形に合わせられたその手を静かに、しかし有無を言わさぬ力強さでエアトンがこじ開ける。
「………なん、で………?」
 こじ開けてそこにあったものに、アーミテージは目を丸くした。男は可哀想なくらい畏縮してしまっていた。
「取ったんだな?」
 シュタインが怒気もあらわに口を開く。
「あいつに……グレアムに命令されて! そうだろ!?」
 男はただ震えていた。エアトンが彼の手を離すと、震えた両手はだらりと垂れ下がり手から小さな鉄のバルブが落っこちた。
 もうどうして良いか分からなくなって、アーミテージは傍らのカーターを無表情に見つめる。カーターもカーターで何一つ明解な答えなど見つけられずに視線を返した。
 小さい溜め息が上から落ちてきて、少年たちの意識は一斉にそちらに向けられた。

「バルブが無いということは、あの機械はもはや制御不能だ。魔鉱石から流れる魔力の調節ができないんだから。溢れる魔力は暴走するだろうが、幸か不幸か込められた魔力はアーミテージ、君のものなのだから大したことはない」

 静かで温度の低い声音が、不思議に少年たちを落ち着かせた。

「あとは、魔鉱石に込められた魔力が尽きるのを待つだけさ」

 最初は起動に成功したのかと歓声を上げた観客たちも、やっと異常に気付いたらしく慌てている。慌てたからといってこれだけの大人数の中思い通りの行動などできずに、ただ動揺を蔓延させているに過ぎないのだが。
 こちらの気持ちなどお構いなしで、相も変わらず『質実剛健くん一号』は幻想的な光を撒き散らしていた。そこだけ見ればまさに芸術だ。光が群集の頭上すれすれを通ったり、司会席に突っ込んだりしているのを見なければ。
「失敗か………」
 アーミテージがぼそりと呟いた。
 カーターは気落ちした面持ちで地面を見、シュタインはさっきからずっとうずくまった男を睨んでいる。エアトンはただ広場の中央の機械を眺めていた。

『み……皆さん、落ち着いて……落ち着いてください! 落ち着いて、ゆっくり避難して下さい。落ち着いて――あぁあぁあ!!』

 まず自分が落ち着け、と突っ込みたくなるほど拡声器を通したグレアムの上ずった声が人々のざわめきの中にまぎれる。司会席の方を見れば、ちょうどグレアムが一瞬前まで立っていたところを青い光が通っていった所だった。
 ヒュンと風を切る音に続いて、エアトン目がけて光線が飛んでくる。彼はわずかに眉を寄せると何事か呟いて左手を掲げた。掲げた左手に淡い白光が宿り、飛んできた青い光は弾かれ消える。
「すっげーッ! 先生、魔術使えんの!? 機械なしで!?」
「……アーミテージ、立ち直りが早いのは大いに結構だが、もう少し時と場所を考えてものを言え。そんな浮かれてる場合じゃないんだぞ」
「あー……、でも、もう良いや。いまさら騒いでもどうにもなんないし……。何かもう、いろいろ面倒くさい」
 少年はそういって肩をすくめてみせた。シュタインが後ろから辺りの騒音に負けないよう声を張り上げた
「アーミテージ!! 今回の勝負は無効だ! フェアじゃないッ、細工されてたんだからフェアじゃない。こいつに皆の前で全部吐かせてグレアムに謝らせれば良いんだよ!!」
 そう言ってビシッと監視役だった男を指差した。男はうずくまり震えるばかりで何の反応も反しては来ない。アーミテージは困ったように男を見下ろした。
「……もう良いよ。その人だって、ほら、命令されてしょうがなくやったんだろうし」
「良くねぇよ!! なんで諦めちまうんだよ、良くねえだろ!?」
 シュタインが詰め寄る。目にかすかに涙が滲んでいた。怒鳴られたアーミテージは真っ直ぐシュタインを見て、それから視線を広場へと向けた。つられてシュタインもそちらを見る。
「でも……、失敗したけど。グレアムに攻撃できたし――」
 悪戯っぽくアーミテージが笑う。
「なかなか綺麗だし、オレはもう良いや」
「お前は…………」
 何を言っても無駄なのを悟って、シュタインはがっくりと肩を落とした。深い溜め息をついて人が少なくなった芝生に腰を下ろす。
「でもさ、アーミテージ」
 カーターが遠慮がちに口を開く。
「このままじゃ本当に奨学金は…………」
 先まで言えずにカーターは黙ってしまった。アーミテージはただ真っ直ぐ青く発光する機械を見て、
「あーあ……、本当に絶好のキャンバスだったのになぁ。空じゃなくて地面すれすれに絵を描くことになった」
 四方八方に飛び出す青い光。逃げ惑う人々。
 魔鉱石に込められた魔力は所詮はアーミテージのものに過ぎないから、多分当たってもしばらくの間意識が飛ぶだけで体に害はないだろう。それが分かった所で、得体の知れないものが向かってきたらやはり逃げるのが人間というものだけれど。

「………あ…」

 カーターが小さく声を漏らす。視線を追って他の者も同じく声を上げた。
 いつの間にか魔力は地面すれすれに飛ぶのをやめ、機械から打ち上げられるようにして一直線に空へ上っていた。真っ黒な空へと。
 上って黒いキャンバスに辿り着くと、そこで一気に弾け飛ぶ。沢山の光の粒になって弾け飛んだ青い光はそのまま黒い空へ縫いつけられ、また新たな光が上ってそして弾け飛ぶ。
 そうして何度も何度も繰り返し、やがて黒い空に満点の星が、いや魔術の光が浮かび上がった。

「……せ、成功?」

 カーターが呟く。返事を返す者はいない。
 なぜなら分かっているから、答えは誰の目から見ても明らかだった。
 例えこれが少年たちが意図したものでなかったとしても、居合わせた観客が成功を疑うことはなかったであろう。
 それほどに、綺麗で、幻想的な夜空だった。
「や……ったじゃねえか! アーミテージ!!」
 シュタインが傍らにたたずむ少年の肩を力任せにゆすった。がくがくと首を揺らしながらも、アーミテージは視線を天に縫い付けたままなすがままになっている。
「これでこっちの勝ちだ! さっきまでの暴走は……冗談だとでも言っておけば良いさ!」
 冗談だとしたらずいぶんなブラックユーモアだ。しかし周りを見渡せば、さっきまで右往左往して騒いでいた群衆も揃って呆けたように夜空を見上げている。司会席に座っていた連盟関係者やグレアムでさえ、ぼうっと上を見上げているのである。
 物音一つしない静寂が、ここら一帯を支配していた。

「あれ? まだ魔力残ってるみたいだね」

 興奮の余韻を引きずったどこか上の空な声音でカーターが言った。視線の先には最後の力を振り絞らんとするかのような音を奏でる『質実剛健くん一号』。残った魔力を全て吐き出すようにして青い光が打ち上げられた。
 打ち上げられた光はどんどん上って、先に打ち上げられた光がない空の黒い部分で弾けた。
 また夜空を彩る光が打ち上げられたのかとわくわくしていた全ての者が、次の瞬間我が目を疑った。

 弾けた光はそこで留まらずに、今度は光の軌跡で文字を書いたのだ。
 暗い夜空に青い光の文字。えらく幻想的で神秘的じゃないか、誰もがそう思った。書かれた文字を読むまでは……

『グレアムの馬鹿野郎ーッ!!』

 司会席の方から誰かが転ぶ音が聞こえるのと、アーミテージの口から「げ」という声が思わず漏れたのはほとんど同時であった。
 弾けた他の光も同様に青白い文字を綴り始める。

『カーターの世話焼き』
『シュタインはつり目』
『今日の夕飯なんだろう』
『エアトンはああ見えてむっつりスケベだ』
『あー、そういえば製図の宿題まだやってないや』
『フィックスフォックスフィックスフォックスフィックスフォックスフィックスフォックス――……』

 いちいち読み上げたらきりがなかった。思ったよりもねばる魔力がなおも言葉を綴り続けていた。
 唖然と皆が上空を見上げる中、アーミテージだけはじりじりと気付かれないよう後ずさる。と、どんと背中が誰かにぶつかって、少年は恐る恐る顔を持ち上げた。
「アーミテージ、魔鉱石への魔力注入は集中してやれとあれほど言っただろう……。どうやらお前は、後半雑念にまみれていたようだな」
「せ……先生……」
 アーミテージは機械が起動しなかった時よりずっと蒼白な顔をエアトンに向けた。
「ついでに言うと俺はむっつりスケベじゃない」
 ははは、と乾いた笑いをこぼした少年の背後で、残りの全ての力を使って最後の光が打ち上げられる。一際大きな打ち上げ音に、人々は口々に歓声を上げた。
 最後に綴られた言葉に、その場の誰もが口をつぐんだ。
「あ……」
 アーミテージもただ一点を見つめる。最後の言葉は、雑念ではなく自分でも気付かなかったほど強烈な『願い』だった。
 光の粒子に覆われた天幕。ふと、上空に留まる力を無くした青い光がぱらぱらとまばらに降ってきて、しばらくするとその量を増し、光の洪水となって人々に降り注いだ。





「アーミテージ・ウィンゲル!」
 神経質な声に呼ばれて少年はバッと体を起こすときょろきょろと辺りを見回した。そんな彼の頭に軽く衝撃が走る。
「君はあんなことになってまだ懲りないのかね? だとしたら慢心もいい所だ。驕り高ぶっていると言い換えてもいい。いつまでもそんな調子でいれば……断言しよう、君は専科には決して上がれない。というより前代未聞の基礎科の留年を成し遂げることになるんだぞ?」
 一体どこで息継ぎをしたのか不思議になるほど見事な嫌味だった。今しがた自分の頭を叩いたフィックスの筋張った病的に細い手を見てアーミテージはぼんやり思う。まだ思考が正常に戻らない。どうやら自分はよりにもよって製図学の授業で居眠りをしたらしい。
 いつもなら眠る前に起こしてくれるはずの友人二人は、そ知らぬ顔をしてそっぽを向いている。きっと一昨日の夜のことを怒っているのだ。『カーターの世話焼き』、『シュタインのつり目』と言ったことを。
 いや実際に言ったわけではないが、魔鉱石に魔力を込めていた際、集中を欠いてうっかり一緒につめてしまった心の声なのだから結局は同じことだろう。
 あの晩からカーターは「これからは世話を焼かないようにするよ」と言って妙によそよそしくなり、シュタインはシュタインで「俺ってばどうせつり目だし」と訳の分からない理屈でカーターの肩を持っている。
 本当に傷付けたならアーミテージとしても素直に謝る所だが、いかんせん彼らは明らかに面白がっている。現に今だってフィックスに嫌味をくどくどと言われているアーミテージの横で笑いをかみ殺しているのだ。

「アーミテージ・ウィンゲル! 聞いているのか! 全く……そもそも君の作ったあの機械が暴走したのも製図がなってないからだ。私の授業を真面目に聞いてさえいればあのような暴走は起こらず、君も『定期テストで一つでも平均点以下を取ったら基礎科に留年』というリスクを負わされずに無事勝利をおさめていたはずだ。全く……魔力調節バルブを付け忘れるなど初歩中の初歩のミスだ。私には想像さえできない夢のようなミスだ」

 そこでようやく今が授業中だということに気付いたのか、フィックスは一つ咳払いをして教壇へと戻っていった。シュタインが去っていくフィックスの棒のような背中を不満そうに睨む。
「……ちゃんと付けたっつーの」
「シュタイン、それは――」
「わぁってるよ……、でも、ムカツクじゃんか」
 カーターが咎めるような声音にシュタインは大きく息を吐き出した。
「アーミテージ、本当に良いのかよ。本当のこと言えばあんな……」
 条件付の勝利ではなく、普通に勝利をおさめられたはずなのだ、ともう何度目になるか分からない不平をシュタインは飲み込んだ。何度言ってもアーミテージの答えは分かっている。
「良いんだ」
 これがアーミテージの答え。シュタインはもう一度大げさに溜め息をついた。
「オレは海のように広い心の持ち主で、なおかつ海溝のように深い考えの持ち主でもある。そんな小さな事には構わないのさ。それにだ、シュタイン。オレはゆくゆくはこの熱い情熱のたぎる胸の奥底にすやすやと眠る才能を呼び覚ますのだ。その時になっていくら泣いて謝っても知らないからな、狸オヤジめ!」
「で? その文学的才能を活かして何をするって?」
 シュタインが笑う。
「ばっか、貴様には審美眼が備わってないようだな」
「アーミテージ、ちょっと審美眼の使い方間違ってるかも」
 カーターが口を挟む。
「良いか! 全世界はいつかこの大器晩成型の天才にひれ伏すことになるんだ! サインを頼むなら今のうちだぞ、そのうち忙しくて貴様ら庶民と視線をかわす時間さえ無くなるんだからな!!」
「ちょ……あっ、アーミテー――」

「君らには学習能力というものがやはり備わっていないらしい! 三人揃って廊下に立ってこれから書く反省文の内容でも考えておけ!!」

 フィックスの相変わらずの怒声が製図室に響き渡った。




 満天の青い星をたたえた夜空に、最後に綴られた文字は自分でも気付かなかった心の声。いや、気付いていたけれど言葉に出したことなどなく、その時初めてどれだけ自分が幸せか気付いたんだ。
 隣にこうして一緒に笑って一緒に怒って一緒に泣いてくれる友達がいて、よく見渡せば自分の周りは暖かいもので満たされていた。
 だから、オレは、自分も誰かのそんな存在でありたいと思うんだ。
 そのために、今は――

『キングスバリー魔術機械学校にいたい』

 なあ偉大なるキングスとバリーよ。
 あんたたちの意志は、オレたちにちゃんと受け継がれてるよ。






  

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