連載コラム
第5回 情報ツールの変貌

 私達が建築設計を始めたころ(80年代後半!!)はまだファクシミリが稀少でした。そんなわけで遠方の工事現場とのやり取りは郵便と電話が主流で、すべての図面情報をかなり前もって準備しておかなければならなかったし、それ以降の変更については、図面をことばに置き換えて説明するという高度な技が要求されていました。傍らの同僚が決めかねていたアイデアを言葉巧みに現場スタッフに説明するのを聞きながら頭の中に作図してしまうことも度々でした。現在ではファックスどころかメールによって瞬時に写真や図面まで送れてしまうのですから、我々は驚異の情報伝達力を手に入れたことになるでしょう。

 先日宿泊先で「朝刊はなにをお届けしましょうか」と聞かれ、適当に指定したのですが、翌朝配達された新聞を開くこともなく出発することになりました。じつは新聞をとるのをやめてからかれこれ10年近くになります。日々目を通す情報が飽和してそのプライオリティが低くなったこととウェブサイトによってニュースは瞬時に入手可能になったからです。各誌の一面トップがなにかということは、偏向を知る上で重要だという意見がありましたが、それはもはや記者同士で重要なだけです。社会面や文化・生活情報はどうでしょうか。もちろん雑誌やウェブ上でより詳しく専門的な情報を入手できますし、ウェブ購入した書籍は翌日には手元に届くという状況です。こういうわけで、世の中の新聞離れは、厭世でも知性の崩壊でもないということを実感しています。一方で、客室のインターネットは必需品となりました。

 ところで、携帯電話が必需品になりつつある昨今、二宮はケータイをもっていません。常につかまらないと困るではないかという批判もありますが、日常のほとんどの時間がパソコンと向き合っているわけですから、一時の逃避を甘受しているのです。出先や同行の人々のケータイに御世話になることもしばしば。時々、必要に迫られてパートナー(菱谷)のPHSを借りると、不慣れな上に彼女宛ての電話にも応答するはめになり、電源を切っていたりする無礼者です。でも、まじめな打合せの途中でケータイに出られてしまってなんだかしらけたという経験はありませんか。そっちの方がプライオリティ高いのかと。。。プロ野球選手が試合中にベンチでケータイ。これには苦笑しました。

 情報機器は、めまぐるしく進化していますから、常識的な生活スタイルもほんの数年でガラリと変わっていくのが今風かもしれません。もはや廊下に置かれた電話台とかレースの受話器カバーというのはのび太かサザエさんの家くらいでしか見ません。子機の登場で電話配管に悩むことも少なくなり、学生のひとり暮らしなどケータイしかもっていないという世代も増加の傾向です。便利な機器によって、最低の努力で最大の成果が得られるならばたいそうな歓びです。しかしながら、一方で自分なりに情報のソースを制限してみることも必要な時代になっているのではないかなと思います。私の場合かなり情報機器の飽和点が低いのかもしれませんが、ある程度制限することで自由な時間が得られるのだとすれば、好きな本や映画に集中することにプライオリティをおきたいという気がします。自由に情報交換できるようになった反面、言葉や筆記による表現力や集中力が劣化しないようにしたいものです。

 ケータイの件ではいましばらく関係者のみなさんに若干の御迷惑をおかけしますが、メールとファックスの迅速対応と決断力の向上を心がけております。(笑)

 

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