連載コラム
第6回 真夏の江戸東京博物館

 遅れ馳せながらお盆休みに子連れで江戸東京博物館を見学しました。93年の開館以来、建物本体が空中に持ち上げられた下の大広場、使い勝手やデザインについていろいろな批判があったのですが、江戸と東京に的をしぼった緻密で迫力のある展示はそれを越えて見ごたえのあるものでした。冷房の効いた室内に再現された日本橋を渡って巨大な展示室を俯瞰するところから見学がスタートします。女性コンパニオンの大阪万博を彷彿とさせるノスタルジックなユニフォームや、火消しの半纏を着たおじさんが英語で説明をしているかんじが、なかなかイケています。芝居小屋や凌雲閣の大きな模型、街並みや大名行列のジオラマ、実物大の復元家屋など、どれも精巧なものですし、また、浮世絵の製作過程やブロマイドのように店先に並んだ様子、産婆を呼んで家の中で子供を産むジオラマなど、当時の庶民の生活をリアルに再現していて惹き込まれます。

 思うに、江戸は行政と庶民の高い生活意識が融合した卓越した都市でありました。渦巻き状に広がる街の領域、街路と水路による骨格は、都市の成長を柔らかく許容する極めてユニークな構造です。大陸的で厳格な幾何学にはめるのではないから、境界が柔らかい。だから銭湯は混浴だった(笑)。震災復興も、後藤新平によって都市公園や公共広場、骨格道路、土地区画整理、表情豊かな建築様式アールデコの採用など優れた施策が進められました。かつては、市長が直接都市計画していたから一本筋が通っている。

 倹しく不自由な時代に戻りたくはありませんが、現在、先進国の首都のなかで東京ほど都市計画の無策によってとりかえしのつかない状況になっているところはないのも事実です。これは戦後の初代都知事安井誠一郎(昭和22年~34年の3期)が不幸の始まりといわれています。網の目のように張りめぐらされた水路は埋めたてられ、そのかわり上空には首都高速が張り巡らされました。いまなお、長い年月をかけて地道に住民を追い払った結果としての六本木ヒルズや東京湾からの海風を見事にブロックした汐留の高層ビル群は、美術館や劇場といった文化が売り物というのですから、狂気の沙汰です。13号埋立地すなわち今のお台場にたつ数百万平米の高層ビルは、密閉して一年中冷房しているのですから、街の空気がよどむのも当然です。

 都心の気温は私の住んでいる横浜に比べると1~2度高いのではないかと思いますが、海風が吹かないならば暑さもよけいに感じます。南風をうまく取り入れれば、冷房いらずなんていうとカッコいいんですが、窓をあければ熱風が襲ってくるような今年の夏は、やせ我慢せず大きめのエアコンをつけ、オリンピックを楽しみましょう。

 中国や中央アジアあたりではまさにいま都市化の時代で、建築家が都市をデザインすることを求められています。一方、日本では都市計画というのはなかなか実体のつかみにくい混沌のなかで成果のみえない分野ですから、むしろ、実際に建てられる個々の建築や広場の質的向上こそが都市への有効な処方箋になるのかもしれません。両国駅から狭隘な街路を抜け、閑散とした巨大なピロティに到達した時に、公共建築だけがもつことのできる圧倒的な力を感じない人はいないでしょう。デザインへの賛否はあれ、このような都市スケールの建築、すなわち巨大性こそが東京以外の都市には決してまねのできない可能性でもあるわけです。

 まだという方のためにアドバイスしますと、まず、豪華絢爛な駕籠にはいったり、縁側のある庶民住宅の内部体験もできますから、脱ぎやすい履物でいくのがよいでしょう。それから食堂を期待してはいけません。食糧を持ち込んで、広場脇のテント屋根の休憩室を利用しましょう。床吹出しの冷房もはいっていて御盆休みでもすいていました。近くの第一ホテルで外食されるならば施設内よりリーズナブルでしょう。大人600円、小学生無料。老若不問、識ること、感じることのできる中身がありました。

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/ 江戸東京博物館
http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jma/index.html 気象庁

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