連載コラム
第11回 三つ子の魂百まで

 真夜中につけていた新潟中越地震のテレビが、気づかぬうちに教養ドキュメンタリーの再放送に切り替わっていました。番組は、国に対する自治体主導の政策提案をテーマにしていました。ちょうどある自治体の技術系職員が、小学校の天井高さをあと30センチ低くすることで市の財政状況を好転させるといった秘策を推進する場面に、思わず見入ってしまいました。彼は、教育関係者を説得するために貸しビルのなかにある学習塾の小さな教室に出向いて塾教師にヒアリングしていました。そこの天井高さは2.5メートルであり、生徒からの不満がなかった!というものです。教育担当の職員は、こうした技術側との横の連携が地方自治によってこそ可能だというようなことをコメントしていて、めでたしめでたしというわけです。番組の製作者は自治体が国から一様に決められた規則(建築基準法を含む)に従うだけでなく、個々の状況に応じて知恵を搾り地域が自律してゆくべきことを伝えようとしていたようです。国家権力に対峙して地域のために闘う勇姿。完成の暁には「プロジェクトなんたら」で取り上げられるのかもしれません。

 ところで、建築基準法施行令第二十一条には居室の天井の高さが定められています。簡単にいうと、「居室の天井の高さ(居室全体の平均)は2.1メートル以上でなければならない。但し、学校の教室でその床面積が50平方メートルをこえるものにあっては、天井の高さは3メートル以上でなければならない。」ということです。そこで小学校は2.7メートルでもいいじゃないかという提案です。こうすれば構造体や仕上げ工事の減額、さらに空調効率といった運転経費まで高められ、市の財政は窮地を脱することにつながる。小学生の頃から最低の天井高さに慣れておけば、最低の建物でも楽しく生活できるし、環境に対して大きな貢献ができるということでしょうか(笑)。

 今回は、こういうのを漠然と見過ごさないように意見しておきたいと思います。天井の高さが一律何メートルかにご執心なのは、まず、営利目的のビルヂングのまったいらな天井しか頭にないからです。こういう輩が大きな間違いを犯さないように3メートルと決めておかなければならないなというのが法律なのです。さもなくば一律2.1メートルの学校をつくって節税に貢献しようとするからです。2.7だろうが2.4だろうがただ減らすという発想の根は同じでしょう。また、法を守るだけならば、少子化で30人学級だから50平方メートル以下にして2.1メートルでいけるという発想も可能です。しかしながら本来こうした施設に携わる人が考えるべきは、むやみに数字を上げ下げすることではありません。そろばんをはじく前に、やるべきことは他にあることを申し上げたい。たとえば仮に様々な制約からおおよその天井が低くなってしまったとしても、窓際ではより多くの光をいれるためになんとか3メートルまで切れ上がっているとか、職員室が2メートルでも上階に突き出ても構わないから、天井の一部分だけでも高くなっているとか。田舎なら土地はあるから平屋にして高窓をつけるとか教室ごとに光庭があるとか。天井は一律低いけれど、水平連続窓で緑への眺望がすばらしいとか、廊下だけはスコーンと天空に視線が向かうとか。こうした具体策があってこそ法律に対する異議に意義がある。

 日本でも家具で人気のあるアルネ・ヤコブセンが50年前に設計したデンマークのムンケガート小学校(1956完成)は倹しく工場のようだけれど、のこぎり屋根からの陽光が部屋の奥まで明るくしてくれますし、プライベートな光庭によって落ち着いた学習環境と家庭的な雰囲気が創られています。(写真1・2)さらにその20年以上前にできたオランダのオープンエアースクール(ヨハネス・ドイカー設計1932完成)には各階に教室と同じ面積のバルコニーがあります。(写真3)これらは今なお世界中の教育施設に影響を与え続けています。財源が厳しいからこそ、「どこまで低い天井に耐えられるのか」ではなくて、「個別の事情に対していかに誠実に豊かな空間を実現するのか」が小さな政府である自治体の可能性であることをいまこそ認識するべきでしょう。

 昭和40年代の住宅公団で小学生時代を過した私は、たまたま建築を始めたことで逆に空間が子供に与える影響の大きさを意識するようになりました。小さなこどもにこそ、もう変わることのない大人より、豊かな空間を体験させるべきです。大人はマンション購入の時だけでなく教室の天井にも気をくばるべきです。最後に極端な提案をひとつ。建築基準法施行令第二十一条の二「役所の教育担当部門の天井は平らな2.1メートル以下としてその精神的な貧しさを体験してみること。かわりに教室の天井は豊かな空間性を備え、財源のバランスをとること。」

 

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