連載コラム

第39回 居場所の感覚

昨日、息子が、膝前十字靱帯の再建後一年で、内部の金属を除去する手術の事前相談にて、担当医に言われたそうだ。

「手術の時に、半月板の状態も見てきますね。」

再確認したけれど、「見ときます。」ではなく、「見てきます。」だったそうだ。

内視鏡手術は、体に触れず、モニターを見ながら、操作棒を動かしておこなうから、まさしく膝の中に入るという感覚なのだろう。懐かしの映画「ミクロの決死圏」のように、スケールが変幻自在になるということは、膝の中も、訪れることのできる場所だということだ。

こないだ、「shibuya1000_005『変わりゆく渋谷』」というアート・イベントについてのコラムを書いていて、ふと思ったのは、もはや人の集まる街だけが、出来事や文化の発生する拠点ではないということだ。

スマホや内視鏡の普及によって、街も、膝の中も、端末の画面も、同列の「居場所」になっているのだと感じる。

(二宮)





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