tell a graphic lie
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(2004.8.1)-1
昨日、戻って来ました。収穫らしい収穫はありませんが、敢えて書くとすれば、滞在中自身のものを読んでみて失望したことと、帰りの飛行機で読み始め、今も読んでいる、ポール・オースター「孤独の発明」が非常によいことが挙げられます。あるいは、また、収穫が無かったこと自体も収穫といえなくもないように思います。
(2004.8.1)-2
昨日から今日に書けて、同じ内容のメールを三度書き出して、三度とも投げ出した。メールの内容は、今これからここに書き付けられるであろうことと同じもので、二週間近くの韓国滞在と、自身の書いたものに対する失望とを、ぼくはそこに書こうとした。そして、三度とも失敗した。書き付けられようとするいくつかの事柄たちは、限られた分量のメールの中で、そこにおいて許されるであろう簡潔なロジックによっても、かなり明瞭な関連を持って互いに繋がるように見受けられたが、そのことがどうもぼくには気に入らないようだった。滞在中に課せられたそこでの仕事がひととおり為され、解放されたぼくが暇に任せて自身の書いたものを、はじめからもう一度読み直して見たときに、それを極めて詰まらないと感じたばかりでなく、一部に意味の通らない文があり、さらには全文にわたって明瞭な意図の力が欠落していて、文意をまともに取ることができない文が数多くあり、それはほとんど我慢ならないほどで、その結果、半分ほど読み進めたところで、とうとう睡気に耐え切れなくなって眠ってしまったことを、明瞭に割り切って取り扱えてしまうというのは、気に入らないことだったのだ。そうして、割り切ってしまえることこそが、最も忌避されるべき事態のように思われた。何のために折り合いをつけるのか、また、何とそうするのか、心当たりはあったが、それは容認されてはならないことのはずだった。しかし、現に今のぼくにはそうしようとする傾向があったのである。ゴミを書いていたことに気づいたのなら、もっとそのことと今までそれに気づかずにいた自身にに対して憤り、悲しむべきだろう。それを、あたかも前もって予期していたかのように受け取り、耳障りのよい言い訳を見つけ出してそれに与え、あまつさえ、筋道たてて他人に説明しようとするなど。
(2004.8.1)-3
何を言っているのか、さっぱりわからなかった。自身によって書かれ、しかも、何十度と無く読み返されたはずの文章であったにも関わらず、今読んでいる一文が何を言っているのかわからなかったり、あるいは、一文あたりの意味は取れても、それが前後の文とどのような関連があるのか、さっぱり思いつかなかったりした。中には、一読して接続関係のおかしいとわかる文さえ混じっていた。ぼくは悲しさよりも、むしろ怒りをもって、そのどうようもない文たちの字面を追った。何が書かれてあるのか理解できないというのは、さらには、理解しても、それが非常に陳腐で詰まらないというのは、文章を読むのに大変な苦痛をもたらすものであることをぼくは再認識した。そして、実際にその苦痛に耐え切れずに、半分に差し掛かったあたりで、諦めて睡魔に身を任せることにした。
(2004.8.1)-4
また投げ出してしまった。
(2004.8.1)-5
 人工電力によって生じた光波が作り出した空は、いや空の映像は、それ自体が光り輝いていた。そして、ぼくに認識されることを強く要求していた。だが今度は、ぼくは怯まなかった。光り輝くそのあまりにも青い空は、まさにそうであるがゆえに、平板な似せ物であることをぼくに見抜かれていた。ぼくはその空をもとの一ドットの光源の集合に分解し、さらにその色をレッド、グリーン、ブルー、各八ビットの階調に展開した。ディジタル情報と電気発光素子に分解されてしまったそれは、もはや無限遠の深さと真の透明さとを有しておらず、向こう側のある、有限なただの面になってしまい、ぼくはその存在と意図を見抜くことができるのだった。縦横に分割された空の映像は、ぼくとぼく以外の人間たちに見られることを、その本質的な意味に据えられた存在であり、その青には単純にその目的を達するためのものでしかなかった。恐れるべきは不可解さであり、意味の隠された存在であり、それらがまさにいま存在していることだった。ぼくはスクリーンを凝視したまま、それにむかって歩いた。似せ物の空は、しかし同時に、ここで最も確実な存在のように思われた。歩行者信号が赤のスクランブル交差点の先頭に立ち、スクリーンを見あげたまま眼を閉じた。予期したとおり、目を閉じた黒の中、同じ位置に、メッシュ状に分割された四角いスクリーンとそこから出力される青空が浮かび上がった。そしてそのまま、ディジタルの空は伸びるメッシュラインに導かれるようにして膨張し、閉じられた視界のなかで、ほんものの空に挿げ替わった。すべてが、すべてということ自体が似せ物なのだとぼくは悟った。信号が青に変わる前に踵を返し、目的があるような速度で歩き出した。
 ぼくは部屋に戻り、紙袋ふたつに百何十枚のCDをつめて庸子の部屋に持って行った。インターホンを押してしばらく待つと、チェーンの掛かったドアがその許された分だけ開き、隙間から庸子の眼がのぞいた。前もって電話をせず、直接訪ねていったので庸子は「めずらしい」と言って、チェーンをはずしドアを完全に開いて紙袋を提げたぼくを迎え入れた。

(記憶の書)-その十一
 一九七四年、自分の結婚式から帰宅したときのことを彼は思い出す。かたわらの妻は白いドレスを着たままだ。彼はポケットから玄関の鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。そして、手首をひねったところで、鍵穴のなかで鍵の先がぽきんと折れるのを感じる。
 一九六六年春、未来の妻と知りあってからまもなく、彼女のピアノの鍵盤がひとつ壊れたことを彼は思い出す。真ん中のドの上のファ。その夏、二人はメイン州の片田舎を旅行した。ある日、住民もほとんどいないくなってしまった町を歩いている最中に、もう何年も使われていない古い集会ホールに行きあたった。なかに入ってみると、社交クラブの名残りらしきものが散らばっている。インディアンの頭飾り、何かの名簿、宴会の残骸。ホールは埃っぽくがらんとしていて、片隅にアップライト・ピアノが一台あるだけだった。妻はそれを弾いてみた(彼女はピアノが上手だった)。と、どの鍵盤も壊れていないことがわかった----ただひとつ、真ん中のドの上のファを除いて。
 おそらくその瞬間 A は悟った。世界は永久に彼の手をすり抜けつづけるだろうと。

 壊れた鍵盤のエピソードを(あるいは結婚式当日に鍵盤をドアのなかに失くしてしまう体験を)、もしかりに小説家が使ったなら、読者も注意を向けないわけにはいかない。これを通して、登場人物なり世界なりについて作者は何か言おうとしているの、と読者は当然考える。そこから象徴的意味あいを考察することもできるだろうし、隠れた物語を指摘することも可能だろう。構造上の仕掛けについて語ってもいい(なぜならある出来事が二度以上起きれば、たとえそれが偶然の産物であっても、そこには否応なしにひとつのパターンが生じるのであり、ひとつの構造が現れてくるからだ)。小説を読むとき人は、ページに書かれた言葉の向こうに意識的精神がひそんでいることを前提とする。だがいわゆる現実世界での出来事を前にするとき、人は何も前提としない。作られた物語がすべて意味から成り立つ一方で、事実の物語はそれ自身の向こう側に何ひとつ意義をもたない。もし誰かに「私はエルサレムに行くんです」と言われたら、人は思う。そいつはいい、この人はエルサレムに行くんだ、と。だがもし小説の登場人物が同じように「私はエルサレムに行くんです」と言ったとしたら、反応はまったくちがってくる。人はまず、エルサレムという土地について考える。その歴史、宗教的意義、神話的な場としての機能。過去を考え、現在を考える(政治----それもまた近い過去を考えることだ)。そうやって考えたもろもろの事象を、エルサレムに行こうとしている人物について自分がすでに知るところと組みあわせて、でき上がった新たな統合を用いてさらなる結論を引き出し、認識を精緻にし、その作品全体が読み終えられ、最後のページが読まれ書物が閉じられるとともに、今度は解釈がはじまる。心理的、歴史的、社会的、構造的、文献学的、宗教的、心的、哲学的解釈。それらを自分の好みに従って、単独に、あるいは複数を組みあわせて用いるのだ。もちろん現実の人生だって、そうしたシステムに基づいて解釈することは可能である(考えてみれば司祭や精神科医に話を聞いてもらうのはまさにそういうことだし、人間が歴史的状況に基づいて自分の人生を理解しようとすることも珍しくない)。だがその効果は同じではない。何かが欠けてしまうのだ----壮大さ、根本的なるものを捉えたのだという手応え、形而上的真理の幻影とでもいうべきものが。人は言う。ドン・キホーテは想像の領域において狂ってしまった意識にほかならない、と。現実世界の狂った人間を見て(たとえば A が分裂病の妹を見る)、人は何も言わない。無駄にされた人生の悲しみ、ぐらいのことは言うかもしれない。でもそれ以上は何も言わないのだ。
 A はときおり自分が、世界を眺めるのと同じ見方で芸術作品を眺めていることに気がつくことがある。想像の世界をこのように読むことは、それを破壊してしまうことにほかならない。たとえば彼は、トルストイの『戦争と平和』のオペラの描写を考える。その一節では、何ひとつ当たり前のものとして見過ごされてはいない。そしてそれゆえ、すべてが滑稽な姿におとしめられている。見えるものをただありのままに描写することによって、トルストイはそれを笑い物にしているのだ。「第二幕では、段ボールでできた記念碑が舞台に並び、背景の幕には月をあらわす穴があいていた。フットライトにはシェードがかぶさっている。チューバとコントラバスが太い音色を奏で、舞台の両袖から黒いマントの人々が、短剣に見えるものを振りまわしながらぞろぞろと出てきた。つづいてさらに数名の人々が走り出てきて、さっきは白い衣装だったが、いまは空色の衣装をつけているあの女を連れ去ろうとした。しかしすぐには連れ去らないで、長いこといっしょに歌い、それからようやく連れ去った。と、舞台の袖で何か金属性のものを三度たたいた音が聞こえた。すると人々はみなひざまずいて祈りの歌を歌いだした。こうした一連の行為は観客たちの拍手喝采で何度も中断された」
 そしてまた、これと同等に、方向としては反対に、現実を想像世界の延長物のように眺めたいという誘惑もある。これも A の身にときおり起こることだが、彼としてはそれを有効な解決策とは考えたくはない。ほかの誰もと同じように、彼もまた意味を渇望している。ほかの誰もと同じように、彼の人生もひどく断片化してしまっていて、したがって二つの断片のあいだに少しでもつながりが見えるたびに、そこに意味を探したい欲求に駆られてしまう。たしかにつながりは存在する。だがつながりに意味を付与すること、つながりが存在するというありのままの事実の向こう側を見ようとすること、それは現実世界の内側に想像世界を築いてしまうことだ。そして彼は知っている----いずれその想像世界がもろくも崩れてしまうことを。勇敢な気持になれるときには、意味の不在を第一原理として受け入れることができる。そんなとき彼は理解する。自分の義務は目の前にあるものを見ることであって(それは彼の内側にあるものでもあるのだが)、そうやって見たものを語ることなのだと。彼はヴァリック・ストリートの部屋にいる。彼の人生に意味はない。彼が書いている書物に意味はない。世界があり、世界のなかで遭遇するさまざまな事物がある。それらを語ることは世界のなかに存在することだ。鍵が鍵穴のなかで折れる。それによってひとつの事態が生じる。すなわち、鍵穴のなかに折れた鍵があるという事態が。同じピアノが二つのちがった場所に存在するように思える。一人の若者が、二十年後に、父が孤独の恐怖に直面したのと同じ部屋に住む。一人の男が異国の街のなかでかつての恋人に出くわす。それだけのことだ。それ以上でも、それ以下でもない。そして彼は書く。この部屋に入ることは過去と現在が出会う場所のなかに消滅することだ、と。それから彼は書く。たとえば----「彼はこの部屋で記憶の書を書いた」というように。
ポール・オースター 「孤独の発明」 記憶の書より抜粋

(2004.8.2)-1
意味を、意味だけを求めるものは、虚構のなかへ沈潜し、それ以外のあらゆるものから自己を遮断し、ついに意味を得る。その意味は、ここに書かれてあるように、その虚構のなかでのみ生存し、培養されるので、常にそれに触れているには、その傍に寄り添っているには、そこを離れるわけにはいなない。彼はどうあっても虚構のなかに居続けなければならない。その外へ戻ってしまえば、字義通り意味は意味を為さなくなり、再びそれの無い世界が彼を包み、呼吸からも皮膚からも見る間に浸透し、彼を乾上がらせてしまう。そのようにしてまでこの世界のなかに存在することというのは、彼にはまったく意味のないことだ。従って、いったんそこへ沈み込んだ彼は、もう二度と戻ってくることはない。彼は、彼自身の見つけ出したか、作り出したかした世界の意味のなかに住み、彼の本来存在していた世界を捨て去り、完全に隔絶する。
(2004.8.2)-2
そうだ。「でもそれ以上は何も言わないのだ」でもそれ以上は何も言わないのだ。そして確かに、だからこそ、それを書きつけるのだ。

(記憶の書)- その十一 続
 孤独の発明。
 彼は言いたい。すなわち、彼は意味する。フランス語でいえば "vouloir dire"、文字どおりには <言いたい> という意味、だが実際には <意味する> という意味。彼は言いたいことを意味する。彼は意味することを言いたい。彼は意味したいことを言う。彼は言うことを意味する。

 一九一九年、ウィーン。
 そう、意味はない。だが、我々が何かにとり憑かれていないと言い切ることは不可能だろう。フロイトはそうした経験を「無気味なもの」と言いあらわした。ドイツ語でいえば "unheimilich"、方言で「見慣れた」「故郷の」「家に属する」を意味する "heimilich" の逆。ということはつまり、我々を護ってくれる慣れ親しんだ認識の外に追い出される、というニュアンス。いわば突如自分の外に出て、理解しがたい世界をさまよう。そもそもの定義からして、我々はその世界で迷子になっている。そこでは方角を知ることさえおぼつかない。
 人間の発達の諸段階はほかの全段階と共存している、とフロイトは論じた。大人になっても我々のなかには、子供のころの世界観の記憶が埋もれている。いや、単なる記憶ではない。そうした世界観の構造がそのままのかたちで残っているというのだ。「無気味なもの」の経験とは、子供のころの、自己中心的、アニミズム的世界観の復活だとフロイトは考える。「おそらく我々一人ひとりが、原始人のアニミズムに対応するような段階を、個々人の発達過程において経過してきたのだと思われる。そして、それを経過した痕跡はいまも残っており、何らかの原因によってその痕跡がふたたび息を吹きかえすことがありうるのである。今日我々が『無気味』と感じるものはみな、我々のなかにあるそうしたアニミズム的心性の残滓を揺り動かし、それを外に出させる条件を満たしているのである」。そして結論----「無気味なものの経験が生じるのは、抑圧された小児的コンプレクスが何らかの印象によって復活する場合か、もしくは、我々が克服したはずの原始的信念が今一度その正しさを証明したかのように思える場合である」
 もちろんこれは説明になっていない。せいぜいひとつのプロセスを描写しているだけであり、そのプロセスが生じる領域を指し示しているにすぎない。だが、だからこそ A はこれを真として積極的に受け入れたいと思う。家を失くしてしまったような思い、それを精神のもうひとつの、はるか昔の家の記憶として捉えること。ある夢について、知りあいから指摘されてみれば実に単純明快に思えるのに、自分一人だといくら考えてもその意味を思いつかないことがあるように、フロイトの説の正誤を A は自分で証明することはできないが、それは彼には真と感じられる。彼はそれを積極的に受け入れたいと思う。だとすれば、自分のまわりで蓄積していく一方に思えるさまざまな偶然も、実は何らかのかたちで子供のころの記憶に結びついているのかもしれない。子供のころを思い出しかけることによって、世界がかつてのありように戻りはじめているのかもしれない。これは彼には真と感じられる。彼は自分の幼年期を思い出しているのであり、その幼年期が現在のなかで彼に代わってそれ自身を書きつづっているのだ。「意味の不在こそ第一原理である」と書くとき彼が意味するのはそういうことかもしれない。「彼は言うことを意味する」と書くとき彼が意味するのはそういうことかもしれない。あるいはそうではないかもしれない。----こうしたことについて確信を得る手立ては何もない。
ポール・オースター 「孤独の発明」 記憶の書より抜粋

(2004.8.4)-1
悪文。
(2004.8.4)-2
悪文。
(2004.8.4)-3
悪文。
(2004.8.4)-4
つまり、そういうことなのだ。ぼくの文は単に下手くそなのだ。いびつな密度と不自然なリズム。調和のとれていない、不均衡な構造物。まるで、以前描いていた絵のような。今のぼくの文というのは、つまりはあれと同じではないか。あれと同じように、不必要な部分での一律さと、本来調和が不可欠な部分での偏りが、すべてを台無しにしている。身体的、精神的バランス感覚を欠いた者のかくものは、それが文字であろうと線であろうと、同じことなのだ。意識すればするほど、不愉快な偏りが顕著に表れるようになり、それは拡大するばかりで、解消へと向うことはない。だから、ぼくの書いた文は常に、技巧のいやらしさが表層一面に浮き出している、読むに堪えない代物にしかならないのだ。老いた人間の皮膚からは、みずみずしさが失われ、全身が汚らしい皺に覆われてしまい、ほとんど見るに堪えないように。読めない文というのは、書かれていないも同じことだ。そうだ、読めない文は、書かれてないも同じだ。

(ボルヘスとわたし)
さまざまなことがその身に起こっているのは、もう一人の男、ボルヘスである。わたし自身はブエノスアイレスの市中を徘徊し、今では機械的にといった感さえあるが、足を止めて玄関のアーチや内扉をぼんやり眺めたりしている。ボルヘスについては、わたしは郵便でその消息を知り、教授名簿や人名事典でその名前を見るだけだ。わたしが愛しているのは、砂時計、地図、十八世紀ごろの活版術、コーヒーの味、スティーヴンソンの文章などである。もう一人の男も趣味は同じだが、役者の場合によく見かけられるように、何となくそれをひけらかす気味がある。わたしたちの関係は敵意にみちたものであると言えば、それは誇張がすぎるというものだろう。わたしは生きている。いや、自分自身を生かしている。ボルヘスをして彼の文学を編み出させ、その文学によってわたしという存在を正当化させるためにだ。彼がそこばくの優れた作品を書いたと言うのは、わたしにとっても何の苦もないことだが、しかしそれらの作品はわたしの救いにはならないであろう。おそらくその理由は、優れたものはもはや誰のものでもない、もう一人の男のものでさえなくなて、言語もしくは伝統に属するからである。それに、わたしはいずれこの世から決定的に姿を消す運命にあり、わたしの生のある瞬間だけがもう一人の男のなかで生き永らえるにすぎないのだ。わたしは一切のものを徐々に彼に譲り渡しつつある。歪曲し誇張するという悪癖がその彼にあることを知りながらだが。スピノザの理解するところでは、あらゆる事物がその存在を持続することを願っているという。石は永久に石であることを、虎は虎であることを願っているのだ。仮にわたしが何者かであるとしての話だが、わたしはわたし自身ではなく、ボルヘスとして生き残るのだろう。しかし、わたしは彼の書物のなかよりもむしろ、他の多くの書物や懸命なギターの音のなかに、わたし自身の姿を認めるのだ。わたしが彼から逃れようと努め、場末の神話から時間や無限との演戯へと身を移してからすでに久しい。しかしながら、それらの演戯も今やボルヘスのものとなり、わたしはどうやら、別種の工夫をしなければならなくなったようだ。すなわち、わたしは生のフーガなのだ。わたしは一切を失う。そして、その一切が忘却のものに、つまりもう一人の男のものになるのだ。
この文章を書いたのは、果たして両者のうちのいずれであったか。
J・L・ボルヘス

(シティ・オヴ・グラス)- 冒頭
 それは間違い電話で始まった。真夜中に三回かかってきたが、相手が話したかったのは彼ではなかった。ずっと後になって、このことを考えられるようになったら、彼はすべて偶然にすぎなかったと思うだろう。しかし、それはずっと後のことだ。初めは、ただその事件と、事件のなりゆきがあったにすぎない。違った結果になっていたらとか、また、相手の口から出た最初の言葉ですべては始まったというようなことは問題ではない。問題は物語自体であって、それが何かを意味しているか否かは、物語の知ったことではない。
 クィンに関しては、われわれを引き止める必要のあるものはほとんどない。どういう人物で、どこの出身で、これまで何をしていたかというようなことはさして重要ではない。たとえば彼は三十五歳だということはわかっている。結婚したことがあり、父親になったことがある。そして、その妻子ともすでに死んでいる。彼に著書があることもわかっている。もっと正確に言えば、彼は推理小説を書いた。これらの作品はウィリアム・ウィルソンの名義で書かれ、だいたい一年に一作のペースで発表された。彼がニューヨークの小さなアパートで質素に暮らすにはそれで十分だった。なぜなら、彼は一年のうち五、六か月小説を書き、あとはぶらぶらしていたからだ。多くの本を読み、絵を鑑賞し、映画を観に行った。夏には、テレビで野球を観た。冬はオペラを聴きに行った。しかし、何よりも彼が好きだったのは歩くことだった。ほとんど毎日のように、晴雨にかかわらず、暑い日も寒い日も、アパートを出て街じゅうを歩き回った----どこというあてもなく、ただひたすら足の向くままに。
 ニューヨークは果てしのない空間、出口のない迷路だった。どんなに遠くまで歩こうと、またどんなによく隣人や街路を知るようになろうと、彼はいつも自分が迷子になった気持ちがした。街の中だけではない。自分自身の中でも。散歩をするたび、彼は自分を置き去りにしているように感じた。人の流れに身をまかせることによって、自分がひとつの目になることによって、考える義務から逃れることができた。このことは何よりも彼にある種の平安を、健康な空白をもたらした。世界は彼の外に、彼の周りに、彼の前にあった。刻々と変化するそのスピードが、彼にひとつのことを長く考える余裕を与えなかった。身体を動かすことが肝心だった。一方の足を前に踏み出し、それに合わせて体を動かすことだ。目的もなくさまよい歩いていると、どこへ行っても同じ事で、自分がどこにいるかは問題ではなくなる。気が乗っているときには、自分がどこにも存在しないように感じられた。そして、それこそ彼が求めてきた状態だった。どこにも存在しないこと。ニューヨークは、彼が作り上げたその非在の場所だった。そして彼は二度とニューヨークから離れられないと思った。
 かつて、クィンは大望を抱いていた。若者らしく、何冊かの詩集を出した。戯曲や評論を書いた。さまざまな大きな飜訳も手がけた。しかし、唐突に、そのすべてを投げ出した。自分のある部分が死んだのだ、と彼は友だちに話した。そして、その死んだ部分がまた生き返ればいいとは思わなかった。彼がウィリアム・ウィルソンの名を使うようになったのは、それからのことである。クィンはもう本が書けるという気がしなくなった。クィンは多様に存在しつづけているが、もはや他人のためには存在しなかった。
 彼は書くことが自分にできる唯一の仕事だと思って書きつづけてきた。推理小説は妥当な解決策だと思えた。彼は複雑な物語を創るのに苦労しなかった。しばしば自分でも気づかないうちに、まるで努力などするまでもないように、うまく書けた。彼は自分がその作品の作者だとは考えなかったから、作品に対して責任を感じることがなく、従って、作品を擁護しようという気にもならなかった。要するに、ウィリアム・ウィルソンは想像された人物・・だった。クィンの内部で生れはしたが、今や独立した生活をしている。クィンはさまざまな形で彼とつき合い、ときには賞賛さえしたが、自分とウィリアム・ウィルソンが同一人物だと信じるまでには至らなかった。ペンネームという仮面の背後から、彼が姿を現さないのは、このためだった。彼は代理人エージェントを持っていたが、会ったことはなかった。クィンは郵便局に私書箱を借りていて、代理人とは郵便で連絡をとった。同じことは出版社にも言えた。出版社は代理人を通じてクィンに、原稿料、印税、版権料などすべてを支払った。ウィリアム・ウィルソンの著作には、写真や略歴は載っていない。ウィリアム・ウィルソンは作家名鑑にも載らなかった。彼はインタヴューに応じなかった。彼がもらった手紙の返事はすべて代理人の秘書が書いた。クィンに言えることは、誰も彼の秘密を知らないということだった。初め、彼が書くことをやめたと知った友人たちは、どうやって生計を立てるつもりだと訊いたものだ。彼はいつも同じように答えた。妻の信託資金を相続したのだと。しかし、実際は、彼の妻は一銭も持っていなかった。それに彼にはもはや友だちはいなかった。
 あれから五年以上たっている。息子のことは考えなくなった。ごく最近になって、妻の写真を壁からはずした。かつてはよく、腕に三歳の子供を抱いているような錯覚に襲われた----しかし、それは錯覚でもなければ、記憶でさえもなかった。肉体上の衝撃、彼の肉体に残され、コントロールすることのできない過去の刻印だった。こうした瞬間は今では少なくなってきた。さまざまな事が変化しはじめたようだ。彼はもう死にたいとは思わなかった。同時に生きているのがうれしいというわけでもなかった。しかし、少なくとも彼は恨みは抱かなくなっていた。彼は生きていた。この冷厳な事実が、少しずつ彼を魅了しはじめていた----あたかも余生を生きているかのように、あたかも死後の人生を生きているかのように。彼はもう明かりをつけたまま眠らなかった。何か月もの間、夢を見た記憶はなかった。
ポール・オースター

(2004.8.5)-1
「孤独の発明」の解説のほうに吉本ばなながこう書いている。「〜ある真夜中、私はオースター氏の『シティ・オヴ・グラス』という本をベッドで読んでいた。1行目からその文章はもう、私にとって恐ろしく切実な力を持っているであろうことがわかってしまっていた。それが何であるかがあいまいなまま、夢中でどんどん読み進んでいった。〜」この数行を目にしたぼくは期待を以て「孤独の発明」のすぐ次に「シティ・オヴ・グラス」を読みはじめることにした。期待は裏切られることはなかった。ぼくにあっても、この書き出しだけで十分だった。二つ目の人格の構築。それはたしかに解決策なのかもしれない。クィンという人物の経歴に関する記述を差し替えれば----ニューヨークを東京に置き換え、推理小説を他の何らかのジャンルの文章に置き換え、妻と息子に関する部分を削除して、かわりになぜこれまで独身であったかについての数行を挿入し----それができれば、これはそのまま、二つあるぼくの理想状態のうちの片方についての記述になる。ことが何かの弾みで非常に順調に進んだ場合、現実はその二つのうちのいずれかにもっとも近づき、ぼくもまた「非在」の存在となるはずの理想----ひとつはオースターの書くものであり、もうひとつは、実質としてあるときの「非在」、死----オースターの書いた、このわずか二三頁の文章にそのほぼ完全な記述を見出した。ぼくは完全に満足し、このあといかなる「物語」が展開されてもまったく問題にしないだろうと確信した。そして一度本を閉じ、都市という領域で考えられるかぎりの季節をむき出しにしている周囲の空気を眺めた。この暑さで速度は緩められ、そこかしこに澱みが目につきはするが、全体としてはやはり、この他の選択肢はあり得ないとでもいうように、都市は動き、前進していた。そしてぼく自身は、実際にはそこに属していないように感じた。
(2004.8.7)-1
「シティ・オヴ・グラス」を読み終える。ぜひ、感想を書きたいが。さて。
(2004.8.7)-2
文をつなげようとするのを止めよう。それがきっと間違っているのだ。読後感など、イメージの塊に過ぎないのだから、無理矢理にこじつけて収まりをつけようとすることなど必要ではなく、それどころか、むしろそれはよくない結果をもたらす元凶となることの方が多いと思ってみる。イメージを書き留めること。まずはそれに注力すべきなのだ。その上で、それに随伴して想起されたいくつかの思念が、その前後につけ加えられることを期待すればいいのだ。
(2004.8.7)-3
順不同。おそらく、遡る。
(2004.8.7)-4
最後のセクションで、唐突に「シティ・オヴ・グラス」の書き手が、文章中に顔を出す。彼は、「クィン」もしくは「彼」という一人称で続けられてきたこの小説の、その二つの一人称が、実際には三人称であり、書き手はクィンという人物のつけたノートを元に物語を整形したに過ぎないのだと言いはじめる。この書き手の名は結局語られることはない。名前というものにかなりの意味を与えられているこの小説中にあって、ほとんど唯一の名前の明らかにされない登場人物。著者によって書き加えられた本当の著者。おそらくそれは、ポール・オースター。
(2004.8.7)-5
彼は、五人目のポール・オースターである。ポール・オースターは五人いる。一人目は、依頼人ヴァージニア・スティルマンが偶然によって、主人公クィンに与えた名前。二人目はスティルマンが実際に捜し求めていた探偵の名前。三人目は、クィンが電話帳から探し出して接触した、小説中のニューヨークに実在するただ一人の人物である、作家の名前。四人目は、この小説「シティ・オヴ・グラス」の著者の名前。そして、五人目が著者が物語の最後に書き出さずにはいられなかった、小説中に顔を出す著者の名前。
(2004.8.7)-6
「小説中のニューヨークに実在する」という言い回しの不自然さ。そして、ある側面から見たときの自然さ。
(2004.8.7)-7
名前によって、人格を定義すること。二つ目のそれ。三つ目のそれ。現存する人間の個体ひとつが人格の単位を与えるのではなく、名前がそれをするのだということ。何らかの意図を以て、あるいは、何らかの偶然により、新しい名前が与えられたとき、新たな人格が始まる。主人公クィンは、それを合わせて四つの名を持ち、----本名クィン、推理小説の名義ウィリアム・ウィルソン、ウィリアムの書く推理小説中の探偵マックス・ワーク、スティルマンに雇われた探偵ポール・オースター----そのそれぞれが別個の人格として、彼のなかで同居している。それは一般にいわれるような多重人格というほど明瞭ではないが、----たとえば、一方の人格が覚醒しているあいだは、他方は完全に停止しており、その間の記憶は他方からは欠落してしまうというような----しかし、やはり四つの別の人格である。彼らは、その職業や習慣の違いばかりではなく、それぞれが互いに矛盾する性格を有しており、それぞれのように振る舞うことによって、主人公はそれぞれの人格になる。たしかにそれは、謂わば、夜の顔、昼の顔といった程度のものなのだが、ただ、彼らはそれぞれ名前を持っている。
(2004.8.7)-8
この主人公の四つの名前に、さらにこの小説の著者の名前、ポール・オースターの三人(著者自身、小説中の著者、小説に登場する作家)をつけ加える。すると、三つのニューヨークが現れる。小説「シティ・オヴ・グラス」の舞台としてのニューヨーク、主人公が書く推理小説の舞台としてのニューヨーク、それから、現実の、つまりポール・オースターによって「シティ・オヴ・グラス」が書かれているニューヨーク。それらは基本的に同じものだが、そこに存在する人物の構成に若干の差異があることになる。小説中のニューヨークには、主人公クィン、推理小説家ウィルソン、探偵のオースター、作家オースター、作中の著者オースター。ウィルソンの書く推理小説中には、探偵マックス・ワーク。そして現実のニューヨークには、「シティ・オヴ・グラス」を書くオースター。しかし、この三つのニューヨークには完全な境界というものはなく、互いがかなり部分で重なりあって存在している。クィンは、実際に推理小説の探偵ワークになったような気分になり、推理小説家ウィルソンはそのワークの小説を書き、さらにはワークならどうしただろうと思いながら探偵のオースターとして振る舞う。そして、小説の著者オースターはそれらすべてを内包する小説「シティ・オヴ・グラス」を書き、そこに自身を登場させる。ひとりは作家のオースター、ひとりは作中の著者オースター。そして、この作中の著者オースターも、彼の名と同じように、タイトルもまた明らかにされていないが、クィンのノートを読み、彼についての同じ小説を作中で書いている。世界は合わせ鏡のように同期し、互いが互いを模倣し、一部は入れ替わる。写像の写像は実像ではなく、また異なる次元で永遠に続く。
(2004.8.7)-9
無制限に内在する複数のひとつの世界。断片化された印象の集合としてある世界。記憶によって再構成された世界。時間軸に沿って完全に線形に途切れることなく続く世界。ひとつの名を持った複数の人格。分離していながら、しかも互いに結びついているそれらを。矛盾しながら、そのどちらもがまったく同じ部分を表わしているそれらを。
(2004.8.7)-10
それから、ぼくが書きたいと願っていた、いや、今も書きたいと願っている小説について。この「シティ・オヴ・グラス」という小説が、ぼくの想い描いていたものよりもかなりうまく、それをやりおおせているように思われたという点について。冒頭は完璧だったと書いたが、それ以降も期待以上の完成度を以て、それは進行した。具体的には、今日これまで書き付けているような小説の構造、主人公に内在する複数の人格や、重層する世界。それから、主人公のいずれかがあるいはいずれもが、監視対象のスティルマン老人と交わす会話。
(2004.8.7)-11
確認したのは、それは書きうるのだということだ。だから、同じものを書きたいと願う。具体的なかたちを以て、「シティ・オヴ・グラス」と同じものが書きたいと言う。これは約二十年前の作品で、それから、完全に現代の都市における作品である。ぼくが読んできた小説たちのなかでもとりわけ新しく、それだけに直接的に適用できる部分が多くある。いや、多くあるどころではない。もし、これをそのまま書き替えることができれば、それはぼくが漠然と想い描いているものよりも、かなりよいものになる。従ってそれは、より大きな効果を自身に対してあげることだろう。必要なのは、そこに至るまでに積み上げられなければならないものたちであり、それがどのようにしてもたらされたかは問題ではない。そのすべてがひとつの作品から得たものであった場合、剽窃、盗作、模倣と呼ばれるような状態であっても構いはしない。
(2004.8.7)-12
孤独に対する回答。孤独には、肯定も否定もなく、ただ応えることだけが求められる。ぼくはそれに正対し、歩み寄り、それと重なって振り返る。孤独はぼくと同じところに、ぼくの中にあり、ぼくは孤独と同じものになる。ぼくがあるところは、孤独と同じところで、孤独というのはそういうようにして人につくものだ。一体になったり、貼りついたりするものではなく、彼がそこを動かないかぎりは、彼は孤独である。人間の抜け殻、その形跡のようなものだ。孤独と重なりながら、そのときに見える世界を想像してみる。世界のあらゆる部分は、彼よりも常に重大であるという理由で、圧倒的存在感を有し、彼にはすべてが光り輝いて見える。どんな些細なものも、彼よりは絶対的に意味がある。彼が見ること自体を放棄しないかぎりは、それは続く。
(2004.8.8)-1
今日はよく眠った。二時間起きて、三時間眠るというペースだった。起きているあいだは、食事をしているか、本を読んでいるかのどちらかだった。ポール・オースターの入手可能なものを発表順に読むことにしたので、現在所持していないものたちが届けられるまでのあいだは、フォークナー「アブロサム・アブロサム」を読むことにした。悪文は、こいつのせいだ。四十間近、円熟のフォークナーが、持てる筆力のすべてを込めた作品であるのだから無理もないが、訳文にはいくつか、意味の通りのおかしな文章がある。そして、その形は、あるいはぼくの期待がもたらす思いこみかもしれないが、ぼくの拙文と同じような構文の錯誤が起っているように思われた。同じ言い回しの、近いタイミングでの繰り返しなどもいくつか見受けられた。そして、そのような文章からなるこの作品にはある種の単調さがあり、それは避け難いことのようにも思われるのだが、それでもやはり睡気をもたらすのは事実だった。今は、午後の十時半で、今日はまだ何も書く準備をしていない。だから、今日は結局書くことができないかもしれない。十分に眠ったので、頭がぼんやりとしているが、気分はよい。それで、島尾敏雄をひとつ読むことにして、今開いている。作品集、巻二「アスケーティッシュ自叙伝」読み終えたら、自分のを書こうとしてみるつもりだ。
(2004.8.8)-2
〜靴を脱いでいるぼくの脇で、庸子はしゃがみ、並べて置かれた紙袋の口を少し指で引いてひろげ、中を覗きこみ、「あー、そうか。持ってきたんだ」とつぶやいて、勝手に部屋のなかへ運んでいった。靴を脱いだぼくは背中のバックパックを下ろし、「この中にもある」と、紙袋の中身を部屋いちめんにひろげ、手にとって調べだしている庸子のそばに持っていった。庸子はそれも床にひろげた。さして広くもない部屋の絨毯の床がぼくのCDと庸子とで埋まった。庸子は自身の周囲にまき散らされたそれらを満足そうにぐるりと撫でるように見回してから、また手近の一枚を手に取り、ジャケットを眺め、その裏に書かれてある収録曲のリストを読みはじめた。
 その日いっぱい、ぼくと庸子はそうして部屋でCDを調べて過ごした。庸子は手に取ったCDの一枚いちまいについて、いつごろ購入したものか、印象はどうか、何回くらい聴いたのかといったことを尋ね、自身も知っているものについては、ぼくに同じことを話した。特に興味のあるものについては、中を開いてブックレットを取り出し、実際に曲をかけてみた。そうして、次第にぼくらは過去へと、自意識と自己保存の本能によって選定され、時が経つにつれ、多くの場合、現実という曖昧な呼び方のされる、あの不可解な硬直に全身を囚われるほどに、磨かれ、全体として抽象的な丸みを帯びるようになり、決して代替の利かない固有の価値を素手で植え付けられ、やがて、遠くの喧騒のように轟く興奮や、何かの拍子にときおり胸を刺すことのある、あの鈍く甘い痛みとして、肯定からも否定からも解放された絶対的な存在に育った微温的な過去へと、深く入り込んでいった。ぼくらはそれにほとんど酔ったような感じで夢中になった。昼食を取っていないことに、二人とも午後三時をまわるまで気づかなかった。
 窓の外が臙脂色に染まってしばらく経ったころに、一枚の薄いジャケットのCDへと順番が回って来た。そのときCDプレイヤーには、ジョアン・ジルベルトのライブ版が入っていた。ジョアンはギターだけを弾きながら、澄んだ声でぶつぶつ歌っていて、おかげで部屋はへんに静かだった。庸子は黙ってそれを聴きながら、すでに見終わり、そこから得られる回想が使い尽くされたCDたちを丁寧に部屋の隅のほうに積み上げることをしていたが、視界の端にあったそれに目を止めたのだった。しばらくそのジャケットを覗きこんだ庸子は、こちらに向きなおって、「これはなに?」と言って、それをぼくの方へ放ってよこした。取りあげてみると、遠近法的放射状に襞の入った朱色の円の中心に向って伸びてゆくか落ちこんでゆくかしている、黄色く塗装された、あるいは黄色い照明のためにそう見える、二本の金属製の太いパイプのような柱の写真があり、その上に、判読の難しい文字が幾つか並べられていた。もちろん、そのジャケットに見覚えがあった。黄色い二本の柱は、大型の天体望遠鏡とその支柱であり、赤い円はドーム状の天蓋の内側を一面に覆う厚い布の色で、この写真はつまりそれを真下から撮ったものだった。文字は、数字を素にして作られた特殊なアルファベットフォントで、「arai akino」と書かれてあるのをぼくは知っていた。そして、その下には表題が同じフォントで書かれてあった。「kakusei toshi」。覚醒都市。
(2004.8.9)-1
ふと顔をあげると、小川未明の童話集が目に入ったので、久しぶりに「
金の輪」を読む。何度読んでも、「すると、よい金の輪の触れ合う音がして、ちょうど鈴を鳴らすように聞こえてきました。」は、完璧だと思う。これだけのロジックを持った一文は、そうあるものではない。日本語の文としての技巧の極だと思う。一発書きの天啓が要る。書き直しまくれるパソコンで作っていたのでは、こうはいかねえ。「すると」と「よい」と「ちょうど」が我慢ならねえ。「〜がして、〜ように」が我慢ならねえ。「〜音がして、〜聞こえてきました。」が我慢ならねえ。何もかもがおかしい文であるはずなのに、この美しさ。
(2004.8.9)-2
日本語というのは、もともと非論理的な言語であるに違いない。文法などは無いものと思え。あるのはただ情緒だけで、それさえあれば、ほかは些事に等しいのだ。
(2004.8.9)-3
文の前後関係からいって、「すると」で接続するのは、おかしい。少なくとも、「すると」を使用する場合は、改段落すべきではない。
(2004.8.9)-4
「よい」は何にかかるのか。「金の輪」なのか、それとも「触れ合う」なのか、「音」なのか。あるいは、文全体に対してなのか。
(2004.8.9)-5
「ちょうど」も意味がわからない。「鈴」にかかるのか、「ように」にかかるのか。「鈴を鳴らす」の「を」というのも、「ちょうど」と組み合わせる場合、違和感がある。
(2004.8.9)-6
「〜がして」のあとに、「〜ように」が来るのはおかしい。どうように、「〜音がして、聞こえてきました」というのは、おなじことを二度言っていることになる。「音がする」という時点で、既に「聞こえている」はずなのであるから、その間に「〜ように」という修飾を挿む場合は、時間なりステップなりの移動が必要なはずであるが、この場合は、同じものを言いあらわしている。
(2004.8.9)-7
以上のことを顧慮して、同文を書き直すと、次のようになる。「〜細い道を歩いていると、ちょうど鈴の鳴る音に似た、よい音が聞こえてきました。音のする方を見ると、見知らぬ少年がよい金の輪を触れ合わせているのでした。」な、見たまえ。台無しだろう。
(2004.8.10)-1
最近、誤字脱字が非常に多い。一日に一箇所はあるような気がする。馬鹿みたい。
(2004.8.13)-1
実に暑いね。太陽の光が強すぎて、ものがみんな白っぽくなっちゃってるよ。
(2004.8.14)-1
 ぼくひとりがというのは、すべてがというのと同じことだろうか。そのとき、ぼくはそういうようなことを考えていた。黙って天体望遠鏡を見あげる写真を覗きこんでいると、ドームの屋根がゆっくりと開き、その奥に底無しの暗黒とそのあらゆる深さで浮かんでいる星たちから成る空間が姿を現す様が想い描かれた。それはディジタルの平面ではなく、正銘の底無しとして現れた。そして、そこに落ちこんでゆくときの、超高速でありながらほとんど停止しているのと等価であるというような感覚を、ぼくは夢想していた。ぼくひとりがというのは、すべてがというのと同じことだろうか。もしそうであるのならば、つまりそれは似せ物だということだろうか。ぼくには、それはよくわからなかった。そしてまた、そうであっても構わないと思っていた。じっと写真を見ているぼくに興味を持った庸子が傍によってきて、一緒にそれを覗きこみ、そしてもう一度、「これはなに?」と訊いた。ぼくは「うん」と呟いてから我に返り、傍らの庸子の顔を見た。
「これは、
 これは天体望遠鏡。こっちが本体で、これが支柱。この部分が割れて、そして星を覗くんだ」
 ぼくは写真を指さして庸子に説明した。庸子はぼくの手からそれを奪って、「ふーん」と言い、写真をしげしげと見つめて肯いた。それから、閉じられた開口部の上に置かれたフォントを読もうとした。「arai akino」のうちに三つある「a」は判読できた。それから、二つある「i」は「1」と読んだ(実際、それは「1」だった)。子音と「o」はまったく分らないようで、庸子はそれを「あ、、、あ、いち。あ、、、いち、、、、」とたどたどしく解釈したあと、「読めない」と言って、その文字列を終端した。ぼくは黙って再び庸子からCDを取り戻し、ブックレットを抜き出して開き、そこに刷り込まれている、このフォントの対応表を指し示した。庸子は、そこにある「覚醒都市」というタイトルと、「新居昭乃」という名前を確認したあと、おもて面の文字列の判読にかかった。今度はすんなりといった。「アライ・アキノ」「カクセイ・トシ」と、表と対応を取りながらゆっくり読みあげた。
 もちろん、天体望遠鏡の写真と一風変わったフォントだけでは、「覚醒都市」のCDは庸子にさしたる感興を与えたわけではなかった。すこしの間ながめてから、庸子はブックレットをケースに戻し、それをぼくに渡した。ぼくは「次は、これを聴いてみよう」と言って、プレイヤーの脇に置いた。ジョアンの歌を途中で止めるほどではなかった。もうどちらでも構わなかったのだ。「O Pato」を歌っているジョアンは午睡から目覚めたばかりの年とった猫みたいにごろごろやっていた。

(2004.8.14)-2
ポール・オースター「空腹の技法」を読み始める。これはオースター27歳から30歳まであたりのテクストを集めたもの。内容は、「孤独」と「文学」、「詩」、「芸術」について。まじめに勉強している。「孤独の発明」や「シティ・オヴ・グラス」がこの延長上にあるものだということをぼくは強く顧慮する必要がある。実に当たり前の話だが、準備というのは、目的が達成されるにあたって、前もって必要十分に為される必要があり、その帰結として作品や勝利が与えられるのであって、それは決して準備が指し示したあるレンジ(それが広角なものであれ、そうではなかれ)、その外には決して逸脱することがないのだということを知る必要がある。そして、ぼくがオースターとまったく同じだけの業績をあげるためには、現在の作業量では決定的になりないことは明らかであり、ともかく彼と同じだけの作業量を確保しないことには、彼の為したものとの比較すら覚束ないという純粋に物理的な要因によってもたらされている状況を理解し、それを打開するために最低限の動きを起す必要がある。
(2004.8.14)-3
そして、文学の伝統について考える。あるいは、文学の得意とする領域について。「孤独」や「死」、それから「完全に個人的な事象」を取り扱う場合に文学は適している。書き手はもっぱら、自身の内部についての話をし、読み手は、書き手と文章との一対一のやりとりを、自身と書き手の一対一のやりとりに置き換える。それは、確かに錯誤ではあるのだが、実に馬鹿げた、それを目にする誰にも明らかな矛盾によって成り立っているのだが、けれどもそれだけが「孤独」を取り扱う者たちの唯一の情報の共有手段なのであって、何が徹底的な孤独であるのかを先人が後へ続くものに対して示しうる手段なのであって、まさしくその目的のためだけに、他のあらゆるテーマの情報共有と同じようにして、それは許容され、利用される。もう一度言うが、著者は自身だけと向き合いながら孤独と自己について書き記し、それを読む者はその対象を自身に置き換えることによって、著者だけと会話する。一対一の対話であるという点は保持され続ける。重要なことは、決して、一対多という関係のうちでシェアされることはない。それは常にひとりがひとりに対して語るという営みによってのみ伝達され、その蓄積だけが、それ自体を新たな段階へといざなう。確実に、世界はそうして、そういった手法によってのみ、実質的な前進を果たしてきたのであり、今後もそれなりの期間、それは維持されるだろう。それが崩れるのは、自己の多重複製化(コピー)が、現在の孤独な者と、それの対話の対象としての文章が担っているような関係を機能することができるようになるときで、それはつまり、完全な意味での自己進化が可能になるときということを意味する。異種交配の必要はなくなり、自己があらゆる可能性を内包する。それはとりもなおさず、現地球における進化の法則の否定に他ならず、それは地球上生物の深化の伝統に依拠しない、まったく新しい体系によってのみ達成されるだろう。そして、それはおそらく人間の完全なコンピュータ化という事態のほかにはありえないだろう。そういった事態を詳しく取り扱う分野にSFというものがあり、そして、SFの大抵はそういった事態をほとんどクリティカルな事象として見るのだが、それは現在の我々の形相に対する愛着や固執に他ならず、実際にはそれはもっとずっとうまく機能するだろう。
(2004.8.15)-1
けれども、そんなことはどうでもよく。
(2004.8.15)-2
朝方のスコールとその後も止まり続けた雨雲のおかげで、夏のまん中にぽっかりと穴が空いたように涼しくなったので、自転車に乗って東京へ行く。ぼくにとっての東京とは、つまり三軒茶屋とその周辺のことを言う。そこに何があるかといえば、別に取り立てて何があるわけでもなく、ただ、ぼくが二十二歳から二十四歳まで住んだ部屋と、その周辺の街並みがあるだけだ。今日は、いま書いているものがもうすぐ終わりになるので、記憶を頼りに書いてきたそれに関連するいくつかの事柄を確認しに行ったのだ。ただ、いくつかの事柄といっても、具体的な項目というのではなくて、あそこにいたときの感覚とか印象とか、そういったものを確かめに行ったのだ。最近知ったポール・オースターが、都市(ニューヨーク)と孤独との結びつきの必然性について、ぼくと全く同じ感覚でいることがわかったので、今は東京にいるわけではない(1km北に行けば、そうだけど)、その記憶を頼りにそれを書いているぼくは、それだから、ときどきそういったものを確認しに行かなければならない。
(2004.8.15)-3
今日行ったところ。世田谷公園周辺、三軒茶屋駅周辺、以前の部屋の周辺、駒澤大学駅前周辺、世田谷通り、よく行き来した路地たち、よく使った店たち、いつも自転車を止めていたところ。つまり、あそこでの生活をなぞるという作業。変化したものとそうでないもの。新しくできた建物、無くなってしまった店。ぼくの感覚。違和感、親和感、疎外感。目につくもの。タバコを吸うこと。そういったことを確かめる。
(2004.8.15)-4
とりあえず、ぼくの乗っている自転車が違っているのが気になった。以前は、無印良品の安物の自転車だったのが、今日は、少しまともなものになっていて、座席の高さが10cm〜20cmほど高いために、目に入ってくる景色に若干の違和感があった。けれども、それを抜きにすれば、ぼくはそこにある主だったものたちを細部までおどろくほどよく憶えていた。そして、それぞれの場所、買物帰りに必ず通った路地や、三軒茶屋周辺の裏通りとか、環状七号の交差点とか、休日にいつも食事を取りに行ったレストランへの道のりとか、そういったひとつひとつに貼りついている記憶のうちのいくつかを取り出してくることができた。そして、それらは昨日のことのようにというどころではなく、ぼくが今はそこに住んではいないのだという知識が無ければ、ぼくは以前の部屋のドアを開けて、部屋の中に入ってからする一連の決まりきった動作をくり返したに違いなかった。一年半という空白は何の意味も無かった。東京はぼくがそこに所属していてもそうでなくても全く気にしないので、ぼくはいつでも望むときにそこに居ていいのだった。以前、ちょうど一年前くらいに、そのことを嘆いたような記憶があるけれども、それは別に嘆かわしいようなことではなく、純粋にぼく自身の意思次第なのだった。ぼくがそこに居たいと思えば、誰もそれを厭悪しはしない。逆に、ぼくがそこに居ても、そこに居るほかの全ての人々にとっては、居ないのとまったく同じなのだった。ぼくはそのようにして、二年間をそこで過ごし、そして、その二年間がこれまでの年月のなかで最も意義深い時間として記憶に残っている。そこには、どんな場所よりも多くの記憶があり(なぜなら、それまでのどんな時間よりも、真剣に見ることをしたから)、話されるべき何らかの事柄が付着していることをぼくは知っていた。そして、それは今も変わっていなかった。東京というのは、無数のプラスティックの小さな粒がぎっしりと敷き詰められて浮かんでいるプールみたいなもので、それを構成する一粒一粒は互いに他と溶け合うことがない。その粒というのは、たしかに個人というわけではなく、もう少し大きな、家族とか、知人たちの小規模なネットワークとか、そういうものなのだけれども、それでも、それらはほとんど無数にあり、しかも常に入れ替わっているので、実質的にその全てを把握し、関連を持つのは不可能で、どうしてもそのようにして他と融和することができず、全ては極く小さな島のまま浮かんでいるよりほかない。二十年住んでいても知らない顔の数は一向に減らず、したがっていつまで経っても、街がその人のものであるという感覚を得られることがない。よそ者といった言葉づかいは、永遠に発生しない。いつまで経っても、人々は、自分の部屋や自宅だけ(それから、職場や行きつけの店、特定のコミュニティの集会場など)が自身のテリトリーで、それ以外はいつもforeignerとして現れる。東京という街はそういう個の集合体で、だから、みんなほとんど必死の感じで、自身の家にこまごまとした手間をかけてみたり、やたらに公園を置いてみたりする。そして、その個の最も小さな形態が個人であり、そういう形で個が東京に所属するとき、その個は孤独に限りなく近づくのである。孤独というのは、それに気づくから、孤独なのだと今は思う。つまり、孤独は自覚されて初めて成立する、極く私的な感覚なんだと今は思う。そして、それに気づくには、十分すぎるほどに、東京は人間で溢れている。そして、それぞれが離れすぎている。
(2004.8.15)-5
それから、ついでに名前を探そうと思いたったのだった。結局、しっくりくる名前を思いつかないままに書き上げられてしまいそうだ。一人称の「ぼく」がいて、彼自身がその呼称で満足している場合、それに付けられている客観的な識別子タグというのは、そんなに重要ではない。彼は、外界からの呼びかけを、自身のうちで一度再発行してから取り扱うので、常に「ぼく」という呼称で足りてしまう。それだから、どんな名前が彼に与えられても、なんだかヘンな、しっくり来ないというように感じてしまう。そうなると、適当に実名を拝借してきて、これがお前の名前なんだといって、名札をつけてしまうのが一ばんてっとり速い解決法になる。となれば、スズキキヨトというのが、一ばん楽なのだけれども、今回は一応それは無しということになっていて、「大庭葉蔵」とか「佐野次郎」とか「太宰治」とか、なんでもいいんだけど、どうにかして探し出さなくてはいけない。でも、そういうわけで名前を探している過程で気がついたのは、そこでもっとも安いアパートに暮らす、学生だとか、社会に出たての若者だとか、敗者としてある人たちとかの部屋には表札がほとんど出ていないということだ。出ていても、佐藤とか田中とか山田とか、なんだかあっても無くても同じような苗字だけが郵便受けのところに並んでいるばかりだ。つまり、彼らは自身の名前を外に出す必要がなく、またその意思もないのだ。ひょっとすると、そんなことをするということに気づきすらしていないかもしれない。実際にぼくがそうだったように。でも、彼らは街の底辺のあたりにたまり、居ても居なくても同じような者たちの主要な部分を構成していて、東京を東京たらしめている核になる者たちなのだ。まあ、それはともかく、そういうわけで、彼の名前を探すことには失敗してしまった。それでも、ひとつだけ、少々大仰な名前を持ち帰った。「押見善太郎」やっぱり、駄目かな。
(2004.8.15)-6
でも、そんなことはどうでもよく。オリンピック、見てるかい?やっぱり、なかなかいいもんだね。ある期間やっていたものが、白黒がはっきりつくというかたちであらわれるというのは。それに、オリンピックは団体競技よりも個人競技が目立つほとんど唯一の機会だからね。それまでのいろんなものを最終的に全部ひとりでひっかぶるというのは、なんにせよ、そんなに悪くないよ。
(2004.8.15)-7
1bit = ON/OFF TRUE/FALSE SUCCESS/FAILURE WINNER/LOSER ALL/NOTHING
(2004.8.16)-1
ポール・オースター。実によく勉強している。ぼくも、もうそろそろ東京土着とsolitudeについての施政方針演説から、各論に移ってもいいだろうと思う。オースターのおかげで、それを自分で踏み固める必要が無くなってしまったのだから。これからすべきなのは、被写体である街と孤独とをスケッチする作業だ。ごく単純かつ、いい加減にいえば、街は自身の外にあり、孤独は内にある。街にある人工物、非人工物、街の季節、天候、特別な日、埋もれてしまうような凡庸な日。行きかう人たち、それから一ところに貼りついている人たちの顔、仕草、会話、構成、分布、にじみ出ている精神、にじみ出ない精神。孤独、現在の孤独、過去から続く孤独、この先も変わらないであろう孤独、またそうでない一部、その強弱、ニュアンス、隠蔽されたそれと、顕在化し刺すような刺戟のあるそれ、周囲を取り囲み徐々に押しつぶそうと圧力をかけてくるそれ。街と孤独の直接的な接点。ぼく自身とそれらの接点。それと関わるぼく自身の態度、もたらされる変化、抱く観念、奉じる何か。よき先人たちとの対話。最低限の文章技術。飢え、忍耐、悲壮。非在と偏光プリズム。tell a graphic lie
(2004.8.16)-2
「非在」というのは、オースターにもらった、ぼくには新しい言葉で、これはなかなかいい。しばらくのあいだ、うれしそうに連呼することだろう。非在というのは、ぼくの解釈では、存在はしない(に等しい)が、見ること、眺めることはするものを呼ぶ言葉で、要するに、小説家のようなものを指すのだけれど、たとえば、これの最も徹底した例というのは川端康成で、イメージとしては、厚さゼロ、重さゼロのホログラフィを思いうかべればいい。あるいは、板硝子のなかに埋め込まれた写真。
(2004.8.16)-3
非在 <-> 孤独。非在は状態を指し、孤独は感覚あるいは観念を指す。
(2004.8.16)-4
オースターの詩の解説を読んでいると、非常に詩が書きたくなってくる。でも、今のぼくはもうすっかり、それとは反対の方へ向っていて、今さら詩が書きたいと思ってみても、もちろんうまくいくはずがない。詩の対極にある文章の代表はフォークナーの悪文で、あるいは、ドストエフスキーやらが小島信夫やらがそれにあたるだろうけれども、それは言ってみれば、最も狭義の「言葉」というものから最も遠い形態の文章というやつで、「言葉」でなければじゃあ何なのかと聞かれれば、即「小説」だと答えてしまえるものだ。ごく大雑把な対比をすれば、詩はその対象を表現するものだけれども、小説はそんなことはしなくて、小説はただそれを述べるだけのものだ。述べるということが何をするのかといえば、だらだらだらだらと、ただもうひたすらに言葉を上塗りし、形容の上に形容を積んでゆくだけのもので、言葉としての美しさや、言葉自体の価値なんてものは、突き進めば突き進むほど無視され、打ち捨てられていかざるを得ず、究極のところで、それの望みうるのは、大家たちの作品、あのグロテスクの作品が作り出す根無しの苣花ばかりで、人の身体を絞り切ったり、張り倒すくらいしかできない。そこで専ら重要視されるのは、言葉ひとつひとつの正確さよりも、記述の十分さであり、主眼は、対象をもっともよく顕すことではなく、ただそれを書き記した当人に満足のいくほどに書き尽くされたかというところにある。小説が「正確を期す」といったところで、それは完全に間違っているか、的外れの記述はすまいといった程度のことで、詩のように、他の形では決してありえない、一意のものだけを目指すという決意であることはない。小説はそこに至るために、ユニークの表現を見つけるのではなく、言葉を尽くすことによってそれを為そうとするのである。けれども実際は、その言葉を尽くすという営みは、次第に対象そのものをあらわすのではなく、別のなにものかをそのすぐ傍に構築しだしてしまう。それはもうほとんど必然的な帰結というもので、そのような或る意味で「完全な」小説になればなるほど、そのなかの一部を切り出してみせることに価値が無くなってしまい、あるいは無くなるばかりでなく、ほとんど全然別のことを言っていることになってしまう。小説のそういった性質というのは、詩のそれとは完全な対極に位置するものであり、それを両立するのは不可能である。それは同じ走るという事柄をするにしても、マラソンランナーと100mのスプリンターとでは、有する性質が完全に矛盾するのと同じようなことで、小説はマラソンのようであり、詩は100mのようだと言っても、イメージとしては悪くないと思う。小説はとにかく、ただひたらすら途切れなければよいのであり、反対に、詩にとっては単純な論理が続くことなど、まったく何の価値もない。詩は個別に固有のロジックを内包するのであり、小説はそれを文体のなかに持つ。もちろん、そうした極端の詩と極端の小説とのあいだには、無数の段階があるのであり、また、詩と小説という二点間の一次元線分で言い尽くされるものでは、当然のことながらありえないので、これはあくまでごく些細な一断片にすぎないのだけれども、少なくとも、今のぼくに限って言えば、小説のほうを向いているというのは確かだ。


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